もみじろぐ

とある男の、心のほんの一部

矛盾

僕は人の目をすごく意識する。

実際に見られているかどうか関係なく、意識する。

 

例えば人通りの多い道、人通りの少ない道ですれ違う相手、家にいれば後ろを通る家族。

 

その人らの視線よりもふわっとした、人の視界が扇形にあるとして、それが自分の身体に掠っただけで僅かな緊張が走る。

見られている、というより、見られているかもしれない状態に緊張する。

 

呼吸を意識すると自然な呼吸がしづらくなるように、人の目の意識が、僕を不自然な状態にさせる。

変な歩き方をしていないか、変な服装じゃないか、変な姿勢じゃないか、変に注目を集めていないか。ムズムズソワソワとしてしまう。

 

伝わるだろうか、この感覚。

 

 

一方で、

ネット上、特にTwitterでの僕は、人の目の意識など1ミリも感じないらしい。

特に大した意図もなく、脳内を垂れ流していたら、「お前は一言多い」と友人に注意されてしまった。

 

言われてみれば確かに。

「AはBかもしれない」というぼんやりと推測のツイートに、僕は「AはBかもしれない。だから俺はBが嫌いだ」みたいな一言を足してしまう傾向にある。

「AはBかもしれない」なら、なんのことない個人の感想ツイートなのに、「だから俺はBが嫌いだ」とわざわざ足すことで途端に角が立つ。

 

少なくもリアルの僕な絶対に飲み込むであろう、そんな角が立つ一言を、Twitterの僕は難なく投げ込む。

 

なんだろうか。これは。

これがネットだけに強いネット弁慶でござるか。

 

この矛盾は、あるあるなのか。

 

 

もしこれがネット弁慶なのだとしたら、実際問題解消できるかは置いておいて、どうにかしたいという気持ちはある。