Twitterは依存しすぎなければなんだっていい。
久々のSNS論。
かつて大学でツイ廃*1芸人を名乗っていたこともあった僕ですが、まぁ本当にいろいろ痛い目に合いまして、ようやく健常なる(?)Twitterユーザーに成長しました。
そんな僕のタイムラインにとある方のブログが流れてきまして、
kanonote.com
とても共感でき、様々な方向への配慮と感情を込めた溢れんばかりの内容でした。かのさん、本当にお疲れ様です。
ただどうしても、ここまで情熱の篭ったものを読んでしまうと、なんというのでしょう。創作欲が刺激されるというか、何か言わずにはいられなくなるというか。
決して反論、というわけではないのですが、かのさんに引き続いて僕バージョンの「わたしの場合のマイルール」を語りたいと思います。
- Twitterはパラレルワールドの集合体、正解なんてあるわけない
- Twitterという社会に馴染むために、自分はブランド
- 結論:深く考えても疲れるだけだよ?
- 馬鹿な消費者に、読み手に、付き合うことなんてない
Twitterはパラレルワールドの集合体、正解なんてあるわけない
僕はTwitterをどう使うか、もっと言えば、何者として使うか、は大事だと思っています。
リアルに存在する本名の自分として、なのか
ネット上での付き合いのための仮想人格として、なのか
ブロガーとして、自分を売り込むためのもの、なのか
愚痴を垂れ流すbotとして、なのか
まぁ簡単に言ってしまえば「リア垢*2なのか、ネット垢なのか、宣伝垢なのか、闇垢なのか」みたいな話でござんす。
これによって、そのアカウントから見るTwitterというSNSは随分違う世界になります。フォローする世界もフォローされる相手も変わります。
つまり、同じSNSでも、そこには平行世界というか、交わらない、交わるべきでない世界というか、界隈のような独立したコミュニティーが存在します。
リア友界隈、同じ学校界隈、同じ趣味の界隈、ブロガー界隈、ユーチューバー界隈…
だからいくら同じSNSと言っても、そこはもう全く異種族がひしめき合うネットワークであって、そこに何か統一的な一般論を持ち込もうとするのはそもそも違う気がするんです。
引用RTやめてください!とか
巻き込みリプやめてください!とかさ、
いや知らんがな、Twitterやめろ?
だって突然今の現代社会で「世界統一しよう」とか言い出す人いないじゃないですか。そんなことしたら絶対戦争じゃないですか。Twitterもそういうことだと思うんですよね。
Twitterという社会に馴染むために、自分はブランド
件のかのさんのブログには、「自分の名前を大切にしているし、人の名前も大切にしたい」というお話がありました。
とても共感かつ尊敬できる考え方です。
ネットとはいえ人は人。
そこの画面の向こうにいるのは、たった一人の人格で、たった一人リアルに存在している一個人。
現実だろうと、ネットだろうと、そこに個人があればそこにブランドが生まれます。ブランドイメージは大切にしなければ、人は寄ってきません。
どんな使い方をするにせよ、結局Twitterも人の集合であり社会。社会に馴染むには自分がどんな人間であるかを表現することが必要条件です。
自分がどんな人間かを表現してブランドを作る一方、それがどんな評価を受けているか、というのも多少意識しなければと思います。
何も意識して「こういうツイートしなきゃ!」「こういうツイートは絶対やめなきゃ!」とか固くなる必要はないと思うんです。
ただ、なんでTwitterを始めたのかを思い出して欲しいんです。きっと多かれ少なかれ、人と繋がるためだったはずなんです。
この辺の意見は実は二年前から変わってなかった。
momijitan.hatenablog.com
まぁ、「そんなん知るか!誰に嫌われても構うもんか!俺は俺だ、うおおお!!」って姿勢の人も、どこの世界にもいるもんですが…
とりあえず僕から言えるのは、Twitterで誰かと仲良くするの楽しいよ?
結論:深く考えても疲れるだけだよ?
まぁここまでそれなりに正論ラッシュしてきましたが、固くなるのやめましょ。楽に考えよ?
楽しくやろう?楽しくなくなったら閉じて他の楽しいこと探そう?
辛くなったらブロックでもツイ消しでも垢消しでもアンインストールでも、やりようはなんだってあるじゃないですか。
死にゃしませんよ。
ご飯食べてトイレしてお風呂で温まって、寝て起きたら忘れてるって!
要するに、そう、依存しすぎなければなんだっていい。
むしろそれで本当に「やばい死んじゃう!!」みたいになってたら、ヤバい。そうなってしまった状態がとてもヤバい。
かつての俺はその沼に片足突っ込んでたけど、今だから言える、ろくなもんじゃねえ。
Twitterは用法用量を守って正しく…(ry
馬鹿な消費者に、読み手に、付き合うことなんてない
最後にちょっち話逸れた一言。
かのさんのブログを読んで思ったのが、「めっちゃ配慮しまくってるな!めっちゃクソリプ、炎上対策してるな!!」ってこと。
本来、Twitterにはルールなど存在しません。
あくまで、わたしが個人的にみんなと仲良くあるために決めていることです。
当然、ルールに従ってないからと言って、否定したり、ブロックしたりしませんのでご安心ください。
この文言、ブログに確か3回も出てきてた!すごい念の入れようだな、おい!!
決してかのさんを叩いているわけではなく、ここまで念を入れないと意見を主張するのが不安になるようなネット社会、現代社会って頭おかしいなと思った。
いや、ほんと、今に始まったことじゃないんだけど。
ありとあらゆる場所で、ありとあらゆる人や団体が、常識的に考えて読み手が読み取るべき「行間(のような何か)」をわざわざ説明しなきゃいけない雰囲気が漂っている気がして、本当に頭おかしいと思う。
ネット上でも自分の意見を言うのにわざわざ、「これはあくまで私個人の意見であって…」ってつけなきゃいけないこの窮屈感。どうなんですか、これ。
こんな窮屈な社会があっていいのか、いや、あってはいけない (反語)(ババン)
この窮屈感をどうしたら良いのか、僕にはまだ名案はないのだけど、とりあえず表現者の人達はもっともっと強気でいていいと思う。
物事を歪んで捉えちゃう人達のことより、ちゃんと物事を見極めて良さを汲み取ってくれる人は必ずいる。そういう人達をもっともっと虜にして欲しい。そういう人達の輪をもっと広げて欲しい。嫌がらせするのも躊躇するぐらい、ちゃんと自分を見てくれる人で周りを固めちゃえばいい。
Twitterで何かを発言するのだって同じこと。
何かを言葉にできる人が、自分の何かを表現できている人が、人の言葉に寄生することでしか自分を表現できない人に劣るはずがない。
もっと自信を持っていい。届くべき言葉は届くべき相手にきっと届く。
自信に溢れた言葉には、人を変える力がある。