もみじろぐ

いろいろな雑記。げろげろー

「自己肯定感低い」は褒められた話じゃないよ、って話

はてブコメントが予想以上にバズって嬉しいので、ちょっと語ってみる。
元記事の論点からはだいぶズレてる気もしてる。あと煽り気味な口調になってる。
そこはごめんなさい。

ブコメ

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みんなスターありがとう、うれちい

本論

まず最初に結論として、自己肯定感低い、ってのはいいことじゃない。
経験則でそう思う。

歴史としてどうかはわからない。自己肯定感の如何にかかわらずヤバい人はいるだろうし、実際そこに明確なロジックとかメカニズムとか、そういうのはあるかもしれないし、ないかもしれない。


自己肯定感低い、ってのはいいことじゃない。
自分に対して肯定的になれないのが心持ち的に良くないよとか、そういう話をしてるんじゃあないぜ。
他に対して良くない影響が出る。
はっきり言って人の迷惑になる。

なぜって、自己肯定感が云々って感じの時点で、自己中だから。センターオブジアースだから。

世界の中心で俺の悲劇を聞いてくれ。

そんな感じだった。
メンヘラ黒騎士の俺はそんな感じだった。
そりゃマウントゴリラになりますわ。

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\ドンキーコング!!/
*1


いや、痛いわ。
というかやめて。
自分の押し売りやめて。
聞いてない聞いてない。求めてない求めてない。


あなたが有能であろうが無能であろうが、病み気だろうが、ダークネスだろうが、そんなのは他人にとっては大した問題じゃない。

あなたが、自分のアプローチに対して、どう返してくる人間なのか。
それだけ。
それが情報量のすべて。判断材料のすべて。


自称自己肯定感低いマン、最大のがんは、自分だけにスポットライトが当たってること。
周りのキラキラした人たちと私は違うの…なにもできない可愛そうな私…どうやって生きていけばいいの…?


あ、もしかして、自分が主人公だとでも思ってた?

いや、そうなんだけどね。
あなたの人生はあなたが主人公よ。
でも、あなたの人生のモブにも一人ひとり人生があって、それぞれが壮大なRPGの主人公してんのよ。
世はまさしく戦国騒乱の群雄割拠よ。


まぁつまり、周りを忘れるなってことよね。
視野広い、ダイジ。
アナタとワタシ、トモダチ。


正直、自己肯定感ってものがよくわかってない。
高ければむしろ人を尊重できるのか、低く謙虚に生きるのが駄目なのか。

自信とはなんなのか。
価値観うずまく社会で、自分をどう信じればいいのか。


ごめん、知らない。
なんだったら俺が教えてほしいわ。



ただ経験則として、「自己肯定感低いマン〜」って自称してるうちは自己中だから、気をつけようねって話。

いや、誰しも多少は自己中なんだけどさ。
自己中を自覚してない自己中ほど、害悪ってないじゃん?


謙遜は大事、悪じゃない。
ただ、自己肯定感なんて関係なく、謙遜はできる。

大事なのは目的。
なんのために引き下がるのか、道を譲るのか。


自分を振り返る前に、周りを見渡す。
分かれ目は、決断するときに「まず自分」とならないか、じゃないかなぁ。





(雑)
(完)
(所要時間1時間)
(マウントゴリラって単語すこだから使っていきたい)

さよならツイ廃

2019年に入って2つめの記事です。

みなさま、お久しぶり大根。


今宵は、Twitterの話題です。

実は先日、5年?ほど長く使っていたTwitterアカウントを削除しました。


以前の、1~2年前の自分が聞いたら発狂するような事態です。

そう、かつての僕は長い間、ツイ廃(Twitter廃人)でした。



どこからがツイ廃なのか、それは人によって意見が分かれると思います。
ただ僕は、そう呼ばれても仕方ない自覚があるぐらいには、のめり込み、その空間に時間を費やしました。
いろんな出会いも、別れも、仲違いも、気まずさも経験しました。

そうする時間も、必要もなくなった今は、「どうしてだろう」とさえ思います。

たぶん、当時の僕は、そこにしか居場所を感じれなかったのだろう、と想像します。
寂しくて、話せなくて、打ち明けられなくて、抑え込まれた感情がそこに注ぎ込まれたのだろう、と。


かつての神童もただの人、かつてのツイ廃はただのリア充になってしまいました。

ありがたいことです。

きっと、今の相方さんとの出会いがなければ、こんな晴れやかな気持ちで過去を見ることなど出来なかったでしょう。



ツイ廃だった頃の僕は、時間と心を持て余していました。そしてそれを全てTwitterに注いでいました。
だから不思議だった。
現実の友達が、どうして自分のようにならず、Twitterという虚構からほどよく距離を置けているのか。

今ならわかる。
現実に持て余すものがなかったから。ちゃんと現実で時間を過ごしていたから。

僕もそうなった。
時折見るだけで十分。
逆に何を喋ったらいいかもわからない。特に話題もないし、ちょっと最近あったすごかった報告をするだけ。



別段、なにか別れを言うでもなく、気がついたら、ツイ廃から遠ざかっていました。


だから今回アカウントを消したのは、ツイ廃を精算するだけでない、別の理由があります。


実は去年の夏付近から、とある理由で、ずっと使っていたその垢(=アカウント)で呟くことが窮屈になっていました。

その理由とは、顔を知っている大人とつながってしまったこと。

詳しいことは割愛しますが、やはり大人に見られている緊張感はやばいです。ちょーしんどい。

そして高レベルな大人たちのツイートはプレッシャーでもありました。


結局去年の夏付近、別垢を作りお引越ししました。今やその垢がメインです。


呟くのが気まずくなってしまった旧垢ですが、何年も使った分、思い入れも多少ある。
消すのは惜しいとそのまま放置すること、約半年。



年も明け、とうとう残しておく意味もあまり感じないようになってきました。
思い入れがあっても今や空っぽの垢、時折タイムラインを眺めてみるものの、やはりプレッシャー源となるツイートは多く複雑な心境です。


消そう。

失うものはある。でも痛くはない。
残しておくことで、得る幸福もない。


ふと思い立ち、サラッと、ためらいもなく、削除してしまいました。


あ、なんだろう。このスッキリした気持ち。
大怪我したかさぶたがキレイに剥がれたような、部屋の隅に放置していた粗大ゴミをとうとう捨てたような、そんな気持ち。



さよなら、ツイ廃の記録。

さよなら、黒歴史


今日から新しい自分ってわけでもない。
今日から劇的に何かが変わるわけでもない。

でも、まず一歩。
別れをここに刻むことも、一歩。

2018 to 2019

今週のお題「2019年の抱負」

こんばんは。もみおです。

2019年ですね。びっくりです。2018年、まだ半分ぐらいかな〜って気分で終わってしまいました。
平成最後の〇〇〜とかあちこちで騒がれてましたが、ボク的には「ほぉん、そうなのか、で?」みたいなドライな感覚でした。
まぁそんなわけで、年明けですので、まぁ雑に振り返り、雑に目標立てる、雑な記事を書いておこうと思いまする。

ふりカエル🐸

1月

momijitan.hatenablog.com

わんわん言ってるだけですね。

2月

momijitan.hatenablog.com

就活を始めた時期ですね。うーーん、青臭い。

3月

momijitan.hatenablog.com

インターン先で、「こういうブログは書かない方がいいんじゃね(苦笑)」って言われて悩みました。
結局、大人の目があるtwitterアカウント、Facebookへの公開はやめました。おとなこわぃ。

4月

momijitan.hatenablog.com

書くことなかったので、プログラミングの解説コーナーはじめるかなーってパソコン内のメモを記事にしてみました。コーナーは続きませんでした(完)

5月

momijitan.hatenablog.com

何回振り返れば気が済むんだこの人、日本語だいじょうぶかな。なんか勢いと感情だけで書いたね。

6月

momijitan.hatenablog.com

たぶん彼女とギクシャクしてた時期。寂しくなるとブログに愚痴こぼすうんこ野郎でした。

7月

momijitan.hatenablog.com

この辺ずっと暗いな。諦めないで!(CV:真矢みき

8月

oh!!! nothing of kiji!!!!

9月

oh!!! nothing of kiji too!!!!!!

10月

momijitan.hatenablog.com

パパきらーい。

11月

momijitan.hatenablog.com

なんか10月~この辺までやたらブログモチベだけがあった。でも話題はなかった。なのでお題スロット回して書いてた。しょーもないネタと思うけど、わりと書ける。意外と。

12月

モチベ落ちてるじゃねーかよーーー!!!!
記事ないじゃんんんnnn


今年

はい、というわけで新年でござります。あけおめことよろ、マジ卍。

さっそく目標いいまーす


  • 実は社会人一年目。寝坊遅刻には気をつけよう、まじで
  • だらけちゃうのは仕方ない。自分のだらけを観測しよう。後でちゃんと反省できるように
  • いろいろ抱え込まない。パンクする。優先順位をつけて、どうでもいいことは早く自分の手元から切り離す。
  • 感情をうまくコントロール。辛い時は辛いことと正面衝突しない、楽しいことで忘れちまえ。
  • あとはまぁいろいろ大人の付き合いがんばれ。


朝弱いので、生活リズムに注意。これ大事。
一ヶ月に一回ぐらい思いっきり何もかも投げ出して、アニメばっか見て寝る生活をすることがある。良くないんだけど、普段のストレスが暴発してそうなるのだと思う。なんかこう、うまいことガス抜きさせつつ、立ち回りたい。
基本理想が高いから、いろいろやろうとしちゃうし、どうでもいいことをタスクにいれちゃうとこがある。キャパに気を配る、大事。
まぁあとはとうとう社会人なんで。モラトリアム感覚抜いていきたい。



以上!!今年もがんばろう!みんな!!

そうだ、京都に行きたい

お題「もう一度行きたい場所」

 

お題に頼らないとブログ書けないマン、参上。

 

もう一度行きたい場所を聞かれたら、答えてあげよう世の情け。

世界の平和を守るため、(ry)京都に行きたい(?)

 

 

京都です。

 

実はむかし住んでました。

小2から小学校卒業まで。親の転勤で。

 

出身は東京、小学生だけ京都、中学以降はまた東京という、西と東の都を往復した異色な遍歴を持っています。

 

まぁそんなわけで、京都は第二の故郷みたいな感じなんです。

昔住んでた家とか言ってみたいんス。

 

引っ越した直後、両親に連れられあちこち名所を巡ったのですが、まぁ当時の僕はよわい7~8歳前後。早く帰りたい以外の気持ちがなかった気がするw

 

日本史やらを学習して、美術館とか味わえるような歳になった今ならいろいろ見てみたくなる。

清水の舞台はどれくらいの高さかとか、銀閣の書院造りとか、龍安寺枯山水とか、嵐山渡月橋の景色とか、鴨川沿いの納涼床とか。

うん、いろいろ味わいたい。

 

観光客とか多いかなぁ。混んでないときに行きたいなぁ

会話とはキャッチボールなのであって、

会話とはキャッチボールだとよく言われる。

 

どこの年代まで浸透している慣用句(?)なのか定かでないので、もしかしたら、僕が糾弾したい人らはこの言葉を知らないのかもしれない。

 

だから強く言う。

キャッチボールなのだ。

決してバッティングセンターでもないし、投球練習場でもないのだ。

 

双方向のやり取りなのだ。

 

相手の球をどこか遠くへ飛ばすのも、相手に受け取れない球をこれでもかと投げつけるのも、「会話」という言葉の意味から外れた行為なのだ。

 

初球で誤って一方的になってしまうことはよくあるかもしれない。

しかし、2手、3手でもその一方的なゲームを続けるなら、それは会話をする意思がないということになる。

 

会話をしよう。

自戒も含める。