もみじろぐ

いろいろな雑記。口では言えなかったこと。

会話とはキャッチボールなのであって、

会話とはキャッチボールだとよく言われる。

 

どこの年代まで浸透している慣用句(?)なのか定かでないので、もしかしたら、僕が糾弾したい人らはこの言葉を知らないのかもしれない。

 

だから強く言う。

キャッチボールなのだ。

決してバッティングセンターでもないし、投球練習場でもないのだ。

 

双方向のやり取りなのだ。

 

相手の球をどこか遠くへ飛ばすのも、相手に受け取れない球をこれでもかと投げつけるのも、「会話」という言葉の意味から外れた行為なのだ。

 

初球で誤って一方的になってしまうことはよくあるかもしれない。

しかし、2手、3手でもその一方的なゲームを続けるなら、それは会話をする意思がないということになる。

 

会話をしよう。

自戒も含める。

言って。

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めっちゃハマった。

まずメロディーが耳に残った。

イントロから流れ出す、リズムギターとベースの「たったったー、たったったたー」のリズム。何度も繰り返したくなる。

歌詞の途切れ方がリズムにあって、小気味よい。

小気味よさから繋がるサビは切なく、でも湿っぽくない。

サビ終わりからすぐに心地よいリズムに繋がる。


そして特に良いのは、2番。

一度音数が減る。

あのね、私実はわかってるの
もう君が逝ったこと

あのね、わからず屋って言うんだろうね 忘れたいんだけど

からの

もっとちゃんと言ってよ
忘れないようメモにしてよ
明日十時にホームで待ち合わせとかしよう

"もっとちゃんと言ってよ"の、感情の急上昇がたまらない。

胸にぎゅーっとくる。

牡丹は散っても花だ
夏が去っても追慕は切だ

ここの言葉選び。めっちゃ好きだ。歌詞とメロディーが切なさの風船をふくらませる。

口に出して 声に出して
君が言って

一気に破裂するか、と思った瞬間、風が吹き抜けるように空気が抜けていく。


そしてまた静かに切ないサビにつながっていく。

きっと、人生最後の日も愛をうたうのだろう


終わりは唐突に、スッキリと。

続きそうに思えるリズムはぴたりと止まる。



聞けば聞くほど好きだ。

他の曲も聴いてみよう。CDも買おう。

DISCOGRAPHY | ヨルシカ

珈琲の美味しさ

お題「コーヒー」

珈琲。

コーフィ。コーヒー。カッフェ。


書くネタがパッと浮かんで来ないので、今日も今日とてお題スロット。ガラガラガラ。


コーヒーの美味しさを理解するのは、だいたい皆どれくらいなんだろう。。
中学生ぐらいまでは、なんで大人はあんな真っ黒でただただ苦いものが飲み物として成立するんだろう、とか思ってた。

1. コーヒーを飲めるようになったのは高校ぐらい。
2. めちゃくちゃハマったのは浪人時代。
3. あんまり飲まなくなったなぁ、と思ってたら祖父母宅からコーヒーメーカーがプレゼントされたのは一ヶ月前ぐらい。

まだ好きではなかった。でも一緒に住んでいた婆ちゃんが食後によく飲んでいて、勧められて飲んでしまった。砂糖とミルクいれて、やっぱり苦かったけど思った以上に飲めた。
甘くしたら美味しいかと思って、砂糖たっぷりいれてみたけど、別に美味しくはならなかった。たぶん、ほどよい量があるんだと思う。

親父が一日に2回はコーヒーをドリップして淹れる人だった。その生活に付き合って、勉強の眠気覚ましにと、ガブガブ飲んだ。いや、ガブガブというほどではない。
この辺からブラックを飲んでいた。飲みたいという積極的なモチベではなく、眠気覚ましにカフェイン決めてやるぜかかってこいや的なアレで飲んでた。そして慣れてしまった。
コーヒーをドリップするときの香りは好きになった。香りはこんなかぐわしいのに、味には全くそういう風味(どんな)が感じられなくて不思議だった。香りと味と反比例、みたいな。

一人暮らし状態になってカフェイン中毒継続かな、と思いきや、飲まないと飲まなくなる。(
コーヒーも古くなると味落ちるんですよ、ええ。

そしてほんと最近、コーヒーメーカー手に入れました。
最初は未知との遭遇でワクワク、レバー倒して「ゔぃーーん」
俺「なんか、かっけぇ!」

2日後の俺「秋田」

そうそう、これこれ。
個人的にはカプチーノがうまい。ちゃんとミルクの泡があわあわして甘くて、美味しい。



どうでもいいけど、紅茶よりは珈琲派だよ。

手帳をうまく使えない

お題「手帳」

なんか書きたい!!って欲求がすごいのに、全然さらっと書けるネタがなくて、とうとうやってしまいました。
いつの間にかはてなブログに実装されていた、新機能。

「お題スロット」
読んで字のごとく、お題をランダムで提示してくれるのです!あら嬉しい!


さーて今週のもみじさんは…
デュクデュクデュクデュク、ドン!

手帳〜〜〜


って最初に書いてあるやないかーい👏




はい。(閑話休題



それでですね。
私、実は最近悩んでいることがありまして。

皆さん、手帳うまく使えてます?
てか、スマホやらパソコンやら、googleカレンダーやらある昨今のデジタル社会の中で、手帳使えてる??


俺はですね。
使えてないですね。

最近はGoogleカレンダーに予定を書いてスマホ・パソコン連携させて、TodoリストはTrello*1というサービスにハマっておりまする。

なんだったらスマホやらパソコンやらで予定を管理する前、高校ぐらいから手帳には挑戦してるんだけど、連戦連敗中でござる。


そもそもあれなんだよね、書くほどの予定がたっぷり入る生活をしてないのよね。

ライブとか、イベントとか、コンサートとか、早くから日程が決まってる予定がほとんどない(インドアだから)。シフト制のバイトもほとんど経験がない。デートも不定期。
あれ、、もしかして書くことなくない??


って思ったのでググってみた。


手帳にはスケジュール以外に何を書く?私が書いている8つのこと | アオイロノヲト

これによると書くことない人は

1. 目標を書け
1年間の、またはその月に「これを達成するぞ」という具体的な目標を立てても良いですし、「これを意識してやってみよう」というテーマを設定しても良いです。
→ ふむ、なるほど。良さげ。

2. 大切な人の予定
→ 確かに!人の誕生日とか全然覚えられないし、書いときたい!

3. 関わっている人・応援したい人の名前
同じく意識を接続する意味では、お客さんなど関わっている人や応援したい人の名前を書いておくのもおすすめです。
→ ??!えーと、うん??わからんぞ、どゆこと??

4. アファメーション
何か自己暗示をかけたいことを1つか2つ、短い文章にしてノートのページとか表紙を開いたすぐのページなどに書きましょう。
→ …うーん、、書かなきゃだめ??

というわけで、2/4、つまり1/2参考になりました。


確かに、最近は目標というより、ひたすらメモったToDoを消化してるだけだしなぁ。生活全体の指針というか、大きな目標は形骸化してるかも。

目標書いておけば、予定確認の度に目に入るわけだし、ありだな。


結局それぞれの日に書く予定がイマイチ少ないんだけど…そこは頑張って「書くぞ!」っつって書くよ、頑張る!
何当たり前のこと言ってるんだこいつ。


皆さんはどんな風に手帳を使っていますか?
軽いノリで情報提供まってまーす!

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※とりあえずバイトと、来月(明日だけど)の目標書いてみたw

いじめは災害みたいなものかもしれない

ふと、新聞を読んだ。学校の図書室で。

んで、新聞の頭に「いじめ」という3文字が見えて、つい食い入るように読みふけって、言いたいことがもにゅもにゅーとなった。


いじめ認知 過去最多 昨年度県内公立学校:朝日新聞デジタル

インターネット使ったいじめ 1万2000件超で過去最多 | NHKニュース


もにゅもにゅー!

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なんだかわからないけど、いじめの認知数が過去再高なんだとか。

ふむ。


そもそもさ、いじめを数で捉えることに意味なんてあるのだろうか。

いや、まぁ統計として、数えるのは大事なのかもなんだけどさ、いじめってなんか雲みたいなものというか、どこからがいじめってわからないじゃない?
よく「いじめは被害者がそう感じたらいじめだー」ってあるけど、本当にそんなのいちいち報告してたら1万どころじゃ済まない気がする。
からかいだって、ふざけ合いだって、いじりだって、いじめになる可能性は十分にあるわけで。
でもそういったものは、確かに被害者から見れば加害行為だけど、得てして子供時代の通過儀礼というか、必然的スキンシップというか、そういう性質を持っている。そういうやり取りがまったくない学校生活を想像すると、それはそれで不気味だ。


俺も、いじめという災害に巻き込まれたことはそこそこあるけど、なんというか、本当に人に相談しないとどうしようもならないものと、一種のコミュニケーション、スキンシップ的な側面を持つものとあって、後者に関しては問題として取り上げてもさほど得るものはなく、むしろ溝が深まることもありうる。

いや、あるいは加害側の感覚としては、全てスキンシップ的な感覚だったのかもしれない。


昔は、誰かに傷つけられた、侵害された、そのことへのショックがあって、それを訴えることが正解なのだと思っていた。

でも今思うと、冷静に相手の意図を汲み取れば、別段傷つくこともなかったのかもしれない。



いじめという現象は、要するにすれ違いなんじゃないかな。

何かをさせたい人と、何かをしたくない人、それがこすれて、ぶつかって、先に武器を構えたほうが悪になる。


無論、言葉だろうと、拳だろうと、武力に訴えるのは短絡的だしリスクが大きすぎる。
そこでブレーキを踏めない人、あえてアクセル踏み込んじゃう人は、素直に軽蔑してるよ。もちろん。

でもそれはほとんどの人が成長につれて、そこそこ丸くなって、アクセルブレーキの扱いはまともになるのよ。
実際、大学生になってから危なっかしい運転する人にはあんまり会わない。おかげで平和だ。

つまり何が言いたいかって、いじめってのは幼さ故のトラブルなのよね。まぁ当たり前なんだけど。



かくいう俺も、つい1年前かそこらは、「いじめっ子に限って人生楽しそうやんけ!許せへん!!」とか思ってた。

「俺はどんだけ経っても傷つけられた事実は忘れないからな!許してやってるけど、忘れないからな!」とか謎のマウントとってた。


ただふと冷静になると、加害者も、被害者も、幼かっただけなのかもしれない。
幼いからすぐ手がでるし、幼いからすぐふさぎ込むし、幼いから引きずるし、幼いから世界の広さに気付けない。


勘違いしないで欲しいのだけど、不登校になってしまう子、あるいはそれ以上の選択をしてしまう子たちをdisってるわけじゃないよ。
自分もそうなったし、わかる。
当時の自分のとっては、本当にそれしか道がなかったし、それが真実だった。

その時点でそうなってしまったのは仕方ないし、その選択もその時の精一杯なわけだし、間違いじゃない。逃げることでしか意思表示できない場面だってある。
その選択を卑下したりはしない。一瞬の決意を、尊重したい。



ただいろいろ通り過ぎていった今言えることがある。

いじめって、幼さから必然的に起こる、災害みたいなものだったかもしれないって。

いわば青春の嵐
誰を攻めてもどうしようもない類の、災い。

災いだから、傷つく人もいる。命を落とす人も。



「いや、そんなことない、いじめっ子が悪い。あいつらのせいで俺は、」とか思う人もいるかもしれない。

確かに加害者はいる。
俺も、世間にはいじめっ子出身者と、いじめられっ子出身者しかいないって思ってた。被害者でいるのは楽だし、復讐感覚で好きに物言える感じは心地よかったさ。
憎まれっ子世にはばかって、正直者ほど損をする。そう単純に世界を嘆いていたかったさ。


でもそう単純じゃないんだ。

世の中はもっと複雑で、いろんな人の"したい"と"したくない"がグチャグチャに絡み合って、幸福も不幸も、雑にふった塩コショウみたいに不均等にばらまかれていく。
しょっぱいも辛さも、酸いも甘いも、混沌でランダムで不公平だ。

そんなグチャグチャな世界で、誰が悪いかなんてはっきり決められない。加害者だって誰かの被害者で、誰かの奴隷で、その加害者だってわからない。
仮に誰かを「悪者だ!」と決めて貶めたとして、それで自分が幸せになれるとは限らない。復讐したって、傷を負った事実は消えない。どんなに色を重ね塗りしたって、固まった絵の具は剥がせない。

そんなわけがわからない世界で、空気で、空間で、僕らは呼吸をして歩かなきゃいけない。


なんだかこうして世界の広さを感じていると、いじめという問題を考えるのがちっぽけに見えてこない?

世界は広いぞでっかいぞう。北海道もでっかいどう。


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もちろん、いじめって現象を「ありきたりだ」と軽く容認する社会であってほしくない。災害だから、援助もすべきだ。悼むべきだ。


でも、いじめに敏感すぎる社会も、あんまりいいこととは言えないかもしれない。

なんだか最近の社会は、みんなが悪者探し悪者叩きに躍起になってる感じだ。



悪者を痛めつけることよりも、優しくしようよ。眼の前の人に、自分に、言葉に。
僕らは戦う以外の手段をたくさん持ってるはずじゃないか。



What’s going on?
僕らはもう生き抜いてやろうよ。

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