もみじろぐ

いろいろな雑記。げろげろー

成人を思い出す

今年は、やけに成人式の話題を見た気がする。

身近なフォロワーさんが成人したー、ってのが2,3人。
成人になったおまえらに一言〜的なツイートも、RTやふぁぼでTLによく流れてきた。



僕は、今年2020年の誕生日で、25歳になる。浪人+大学4年+社会人1年。
ひええ。
もう20代の前半が終わったかと思うと、恐ろしい。



当時の僕は、どんなだっただろうか。

印象的だったのは、
成人式で中学の同級生やら、高校の同級生やら、同じ塾に通っていた子らと遭遇したこと。
中学の同窓会で、セミフォーマルな格好で、って言われて困って、中学の地味めな子らと普通に私服着ていって周りがスーツだらけで大恥かいたこと、ぐらいか。


うん、なんか、まだまだ青くて痛々しかった。
今は今で、また数年後に振り返れば、青く見えるのかもだけど。


当時のブログも見つけた

momijitan.hatenablog.com

なんでほろよいのサムネつけとんねん。


前後の記事もざっと読み返して、なんというか、胃もたれするような気持ちになった。
若さというか、幼さ…かな。

ふえぇ。



明確に10代だった中学や高校の頃は、大人って立場がすごい一段上の存在に感じてて、20歳かあるいは社会人になった途端、急にぴしっと自分が入れ替わるような漠然としたイメージがあった。

それがまるで間違いだったことは、今はわかる。


20歳になっても、社会人になっても、自分がわかりやすく変わることはない。
自分は自分。
変わろうとしなければ本当にそのままだし、変わるきっかけがあっても、それは何ヶ月か年単位で、皮が徐々にポロポロ剥がれていくみたいに変わっていく。

だから、子供みたいな大人がいるのも納得できる。

はてさて、自分はどうか。

彼女のお姉さんには、まるでおじさんみたいに成熟した人だと言われたけれど、
僕自身はまだまだ、意地っ張りで融通が利かない子供を内側に感じている。


30歳になったら、自分をどう思うんだろうか。
楽しみだ。



別に、成人になった誰かに、何か言いたいわけじゃない。
先輩面なんかしたくないし、年齢は下でも先輩だなって思える人だって、きっとたくさんいる。


僕とあなたの歩幅は違うし、そもそも歩いている道は別々。
もしかしたらどこかで交わったりするかもしれないけど、離れていくかもしれない。
道は一人ひとりにあるし、その歩き方は人それぞれ。
走ってもいいし、座り込んで休憩もいい。振り返ってちょっと逆走するのもありかも。


あなたがあなたの道を好きに進めること祈っているよ。


僕は、25歳になった日に、きっと何か書こう。
26も、27も、30も。きっと。




なんかそれっぽく情緒的に書いてるけど、自分でも深くは考えてない。
そうであったらいいね、ってだけ。

そういえば、少しブログのモチベーションが高いので、カテゴリーを細かめに分けることにした。
今までは、なんだか、自分のまとまらない思いを「意見です!」って感じにするのが嫌で、日記・雑記としてほとんど書いていたんだけど。
まぁ、今更、なんか人の目を怖がるのもバカバカしくて。
少し胸張って書いていこうかと。

産みの苦しみとキャラクター

たぶん、何を産み出すにも、苦しみが伴う。

命を産むのはすごい大変で命懸けなことだし、精神的なことだって。

こうして文章を書くのも、ちょっとした発言をツイッターでするのも、何か創作活動するのも、インスタに投稿するのだって。


わずかでも、自分の一部を載せて、あるいは込めて、誰かの目に留まる場所に放り投げるのは、一見ボタン一つで簡単なようで、それはそれは大変勇気がいって、エネルギーがいることだ。


ふと、ブログのネタはないかなと過去に書き溜めていた下書きを見直した。

今の自分には書けない、青臭い文章だった。
妙に上から目線で、妙に決めつけで、妙に自信があって、妙に勢いがある。そのくせ大した厚みのない文章。
まるで見よう見まねでYouTubeを始めた小学生か中学生みたいな、そういう痛々しい文章。
同じ自分とは思えない。

なんで当時の自分はそこまで青臭くなれたのか。

それはきっと、産みの苦しみを感じないために、自分にキャラクターを憑依させたからなんじゃないかと、今、ふと気づいた。
当時の僕は、自分の中の青臭くさを凝縮したキャラクターを憑依させてた。


何か創作をするとき、普段と違う自分になっている人は多いんじゃないだろうか。
あるいはそっちが本性?とすべきなのかもしれないけど。
その切り替わりを、キャラクターの憑依、と捉えると面白いかもしれない。

音楽に夢中になって、頭を降ったり手を振り回したり、楽器をかき鳴らしたり。そういう時、気分はすっかり舞台上のアーティストだ。

あるいはYouTubeを見よう見まねでするとき。気分はすっかりHIKAKINかはじめしゃちょーかもしれない。僕はやったことないけれど。


何か憧れの人がいて、それと同じことをしようとするとき、人はその人のイメージを自分にインストールしてきて、そのキャラクターを纏うのかもしれない。
そうすると力が湧いてきて、自分の拙さとか、矮小さとか、感じずに没頭できるのかもしれない。


物書きのときはどうだろう。

憧れの人や作品があってものを書く人は、やはりその人の文体やら語尾やらインストールしてきているのかもしれない。
僕は、残念ながら歴史に学ばない、自分の溢れ出す思いを表出させんがために書く、愚か者だから、何かをインストールしてる自覚はなかった。

ただ、やはり何の後ろ盾もなく、産むエネルギーはなくて、その結果、どこかで見たような勢いのあるブロガーの偶像を纏って、手を動かし続けられたのだと思う。

そしてその偶像の浅さを自覚してしまった瞬間から、僕はブログを書き続けられなくなったんだ。


そう思うと、最近、妙に筆が重いのが納得出来る。

まぁ、後は単純に、暇じゃなくなったからとか、他に楽しいことがあるからとか、物理的な要因もあるのだけど。



ブログは、ずっと書いていたいと思う。
金銭的にも、物理的にも、特段絶対に捨てたくないと思える財産はパッと思いつかないけど、このブログは、そういう類の財産だと思う。

ブログは僕に色んな人を連れてきてくれた。僕に代わって、うまく言えない言葉を届けてくれた。

残しておきたいし、埃が積もらない程度に手入れもしたい。



ただ、こうして書いている僕は、以前のようなキャラクターに頼った僕じゃない。
きっと、創作活動の初期にはそういう段階があって、それを乗り越えた、自分の足で立って自分の口でちゃんと喋る、そういう状態になったんだと思う。

前進、してたんだな。僕。

明確にいつからそうなったのかはわからないけど。僕は僕として、僕に自信を持って、話すことができるようになっていたみたい。

書くことを無理に続けずに、ブログとも適度に距離をとって、現実でいろんな経験をしたおかげだろうか。




なんだか、スッとしてきた。

ブログを書いてない時間が、何か停滞で、遅延で、怠惰なものに感じていたから。

そんなことはなかったんだ。


過去の僕を今日の僕は越えている。


この記事も、実は3日ぐらい跨いで書いていて、最初にどんな動機で書き始めたのか実は覚えていない。

でも、なんか落とし込むべきところに、心と文章を落とし込めた感じがする。



頑張ろう。

全てが文章に表出しなくたっていい。

でも、たしかに、僕は昨日より前に進んでいる。

大丈夫。

ノらないとき

どうにも仕事の調子が出ない。

くだらない作業に時間取られるし、気分転換でやろうとした自習の制作物も、いろいろ考えているうちに楽しさが全然なくなって、ただ後回しにしたい面倒な作業の一つになってしまった。

うーん。

ぼーっとツイッターを見たら、今日は低気圧がすごいらしい。

なるほど。それはすごい納得がいった。

うん。低気圧だ。

昼飯に外出て戻ろうしたら雨降ってたし、たしかに、なんか妙に元気を吸い取る空だ。


低気圧は仕方ない。

せっかくちゃんと早起きして、いつもやらかしている遅刻をせずに朝からエンジンかけてたのに。


いや、自分を責めてはいけない。

だってこれは天気のせいだから。

大丈夫。

明日になれば、あるいは、今この瞬間の気分を変える何かが起これば、調子を取り戻す。



仕事をすべき場所で、こうして自分の趣味におぼれている罪悪感はあるけれど。

大丈夫。

無理をしないこと。無理を強いないこと。

それが結果的に良いパフォーマンスを出すことだと、知っているから。




そういえば、前回、あともう1記事書きます。みたいな感じで書いてたけど、結局その記事はお蔵入り。

下書きを振り返ると、今年、というかもう去年か。去年はすごいお蔵入りになった記事が多い。

勢いで書きかけて、だんだん疲労で失速してきて、垂れ流すほどの文でもないし恥ずかしいしってなってお蔵入り。

今年は、書き切ろう。

なんとなくその方が後で見て気持ちがいい。

年末だね

ずっと、ブログを更新したかったけど、なかなか、それをするエンジンがかからなかった。
燃料が足りてなかったり、バッテリーがあがっていたり。そもそもエンジンをかけなくても楽しいことが他にあったり。


ちょっとした身内にこのブログを読んでもらう機会もあったのにね。


とりあえず時間もできて、心の余裕もできて、でも他の楽しいことよりは今はブログの気分で。

うん。書ける。

書けるよ。


この勢いのまま、また何日分も書いて「よっしゃブログ習慣復活だおらぁん」ってしたい。
でも、きっと、カレンダーのマスを埋めていくみたいにブログを使うと、どうしても粗くなる。雑になる。薄くなる。


それは嫌だ。
僕はブログを大事にしたい。

勢いとそのときだけの感情と、なんかこうぶわーーってきて、それが続く時しか、自分で「公開する」ボタンを押せるような文章は出てこない。

今、それが来てる。
書けそうだ。すごい。久しぶりだ。嬉しい



年末だから、振り返るような記事も書きたいけど、それはまた別のネタ。

とりあえず今この勢いに乗って、
もう一記事。

書きたい気持ちはあるけれど

書きたい。

久々に書いたブログは、思いの外反響があって(スターがちょっとついたり、Twitterでふぁぼされたり程度だけど)、もっと書くよーー見ててよーー行くよーーーみたいな気持ちになる。

でもそれは、経験則的に、だいたい空回る。


狙ったものほど響かなくて、なんのことなしにその場の気まぐれと勢いで書いたものほど響く。
うーむ。ままならず。



実は、3年前ぐらい、つまり20~21ぐらいの頃、たぶん一番ブログに乗ってた時期で、毎日書いたるぞオラオラ俺の声を聞けぇ、みたいな、
ともかくすごい勢いでブログ書いてた時期がある。

その頃に、書き溜めたネタが、ふとメモ帳アプリ開くとわんさか出てきた。

書いてる途中で勢い落ちちゃって、いつか続き書くだろうと残してた下書きの数々。
なんていうのかな、今読むとあれだよね。めちゃくちゃ青い。痛い。そして覚えていない。


人によって、あるいは年齢によって、変わってくるのだろうけど、
3年前ってもう僕にとっては大昔もいいとこで、
別人の感覚。

わりと人間的にいろいろ成長があったのが、浪人〜大学時代だし、ほんとに人が変わったと自分でも思う。


昔の自分がどうしてそんなに勢いがあったのか、全然わからない。



まぁ、そう、何が言いたいかって、
昔書き溜めたネタとか、使えないんだよね。今。


思考のきっかけぐらいにはなるけれど、その下書きに費やした以上の時間で、全く別のなにかを書くことになる。

いや、それはそれで別にいいんだけど。


TwitterとかInstagramとか、やってて思うのが、ネタって鮮度が命で。
やっぱり自分の中で旬なその瞬間を逃すと、「あ、忘れてたけど、まぁなんか放流して供養しときますか」みたいな残飯処理的な感覚になる。

それはやっぱり美味しくないし、不本意なものだ。

なんだったら、話のネタの鮮度の落ち方は、魚より早いかもしれない。冷蔵庫で保存とかできないし。


たぶん3年前の僕的には、冷蔵庫的感覚で、食いかけのネタをしまってたんだけど、そりゃ腐りますわな。
想像したら相当にグロテスクだ。

最近冷蔵庫に溜まってた果物とか処理したけどやばかったし。うん、古いのダメ、絶対。鮮度、大事。



そうこう話してるうちに、この話題自体も鮮度が落ちてきた気がする。

そろそろ〆時か。


他のブロガーさんたちはどうしてるのかな。

やっぱ一度書く手を止めちゃったらなかなか書ききれなかったりする?
それとも昔のネタもきっちり処理する?