もみじろぐ

とある男の、心のほんの一部

人と人の距離感の話

ちょっと最近モヤモヤと悩んでいるというか、考えているというか、そんなことをポツポツと、屋根から垂れる雨粒ののように湿っぽく、話そうと思います。


距離感

人と人が関わる時そこに「距離感」というのが生まれます。

家族、恋人、友人、先輩後輩、知り合い、という関係性そのものも言ってしまえば距離感だし、そういった関係の中でも「恋人とは常に接していたい」「一人の時間は誰にも邪魔されたくない」など人それぞれの望む距離感があります。

人それぞれパーソナルスペースというものがあるとも言われます。まぁこれは物理的な意味での距離感ですね。

いくら親しい人でもあまり近くによってこないで欲しい。あるいは友人だろうと近づいてもなんら不快感がない。人それぞれでしょう。


心理的な距離感、物理的な距離感、どちらも人それぞれバラバラです。

友人と知り合いの境界線が曖昧だったりするのも、要はその人の距離感の問題でしょう。


とにかく幸か不幸か、偶然か必然か、人にはいろんな距離のものさしがあります。

それは時間と共に変化したり、相手によって変化したり、あるいは一切揺らがなかったり、変幻自在で掴みどころのないものです。

同じ距離感を持った同士の関係でなければうまくいかない、なんてこともなく、むしろ全く正反対の距離感を持つ2人が凄く仲良かったりします。

距離感は何かしらその人の人間関係に基盤になっているとは思うのだけれど、それが比例しているとも反比例しているともいいづらい。なんだかよくわからないブラックボックスなパラメーターです。


僕の距離感

さてさて、具体的な話をしましょう。

具体的な僕の話をしましょう。

僕自身も僕の距離感を完全把握、掌握しているわけじゃないんですけど、まぁたぶん一番理解していることは間違いないでしょう。

逆に言えば、僕は僕の具体的な話しかできません。まぁ当然といえば当然、至極当たり前のお話ですね。



僕の距離感は結構ゆるゆるのふにゃふにゃです。

伝わりませんね、これじゃ。

うーん、なんていうのかな。区別が曖昧なんです。あまりその人との距離感を意識してないんです。

いや意識はしてるんですけど、あまり重要視してないんです。

友達

例えば、ある程度会話をした経験があって、二人きりになってもそれなり会話できそうだな、って人はだいたい友達の範疇です。

友達って定義にいろんな意味を見出しちゃう暇な方…もとい生真面目な方もいらっしゃりますが、まぁ、そんな難しく考えてもなぁ〜って感じで。

ネットなら、というかTwitterなら、ますます曖昧です。

声を聞いたこともない、顔も知らない、住んでる場所も遠い、そんな状態でも何度かリプで会話できたら俺的にはもう友達です。

別に「この人は心許せる」とか「この人とはとりあえずクソリプしとけばいい」とかそんなラベリングはちゃんとしてません。誰にでも心を許してるようなところもあるし、誰にでもクソリプしちゃうところもある。

ラベリングなんてものは後になってから考えたらいいのです。区別なんて区別しなきゃ困る時だけすればいいし、さしあたって普段に接している時点ではみんなフラットです、仲良しです。

昔から友達がそんなに多くなかったからこそ、そんな一々区別してる余裕がなかったのかもしれません。でもこうやって自分の過去を省みて細かく性格分析して…なんてのも馬鹿らしいです、やめましょう。

まぁとにかく友人、知り合い群は曖昧で適当です。

家族

家族は区別します。

まぁ家族に関しては、なんていうか、同じ屋根の下で長年の同居人なわけで、まぁその他の人間関係とはどうしても区別せざるをえないというか、特別な関係でしょう。きっと誰にとっても。

しかし特別だからこそデリケートゾーンなのは間違いないわけで。

僕なんかは母親いないので、遠方に単身赴任中の親父と、世帯別ではあるけどご飯を基本一緒に食べる父方の祖父母が家族というカテゴリーです。

子どもらしい反抗期で、猛烈に敵対視していた時期もありましたが、今は平和な感じです、きっと。

なんだろう、うまくいえないけど、あえて例えるなら、大人の友達みたいな感じ。意外と話し口調とか友達のような感じです。

結構想像以上に友達かもしれない。うん、そんな気がしてきた。ちょっと綺麗な日本語に直すけど、友達のノリ。ルームメイト。

心配性というか、過保護だから、ちょっとお節介でめんどくさいタイプのルームメイトだけど。


母方の祖父母は、やはりどうしても距離が出来てしまったので、時々会いに行きはせど、親戚というカテゴリーです。

俺にとって、たぶん親戚は家族よりも下、というか全人間関係の中で最も軽く扱って興味も持っていない人たちかもしれません。

限りなく赤の他人なのにどうやら血がどこかでつながっているらしい、他人です。

恋人

恋人に関してが一番考えます。

慣れてないから?でもなんか気持ち的に一生慣れない気がする。

実は最近、俺の中で大幅に恋人という距離感が変動しているのを感じます。


というのも、最近、恋人という関係の不都合さというか、まぁ言ってしまえば面倒な部分を実感することが多いから。

相手が云々というエラーなのか、そもそも恋人という関係そのものの潜在してるエラーなのか、あるいは俺の考え方のエラーなのか、今の俺にはわからないのだけれど。


最初、というか、初めて恋人が出来た頃、まぁほんの二年ちょっと前、俺はとてもメンのヘラちゃんでした。メンタルのヘラちゃんでした。心まっくろくろすけでした。

恋人isベスト、恋人isオンリーワン、恋人isファミリー的思考で頭がいっぱい。

今まで知らなかった異質な快感を覚えて、愛という麻薬をボリボリ貪る。受験期で浪人生で、そんな社会的隔絶感が、孤独感がされにそれを促進する。

はーおいしい、愛っておいしい、気持ちいい、もっと、もっと欲しい、まだ足りない。もっともっと。


まぁドン引きですね。今の俺でも思い返すだけでドン引きです。

うへーきもちわる。

まぁ気持ちわかるけどね、でもなんかドロドロしててヌメヌメしてて、欲望丸出しで下品で、一言でいうとそう、醜い。

踏みつけたアリが死にそびれて苦しくてジタバタしてるのを見下ろすような、そんな感覚。

こんなこと言ったらアリに失礼かもしれない、ごめんねアリさん。




そんな醜い自分は去年、いや今年の2月か3月か、わりと最近までうねうねしてました。

あーあ、思い出したくもない。自分で自分に虫酸が走る。


そんな自分から一転、どころか七転び八起きぐらいして、僕の心は静かになりました。

冷静になったのか、冷たくなったのか、諦めたのか、悟ったのか、ものをハッキリ言うようになったのか。たぶん全部。


愛のハイエナは消え、愛?まぁあったら嬉しいし素敵だけれど、なくても生きていけそうだよね、うんうん、恋愛も疲れるしね、とかそんな事を言えちゃう気分。

あれれ、恋人ってもしかしてそんな必要じゃない??

あれれじゃあなんで俺は付き合ってるの?ちゃんと好きなの?そもそも好きってなんだー?恋人ってなんだー?あれれー?


うーん、この。


昔にも「恋愛わかんねーふぁー」って書きなぐったことはたくさんあるはずなんだけど、そのときに感じていたモヤモヤとはまた何か違う、モヤモヤ。

momijitan.hatenablog.com


これを考えていた頃より前より進んだ感じは確かにあって、似たようなことを悩んでいる気もするんだけど、何か違うの。


簡単に言うと、俺が求めているものが「愛と母性の女神」から「自由の女神」に変わったのかなって感じ。

そう、自由。

自由がいい、いろんな意味で


何かが閉じてる気がする。もっと開放されたい。開放感の悦びを知りたい。


ピギィ!!!!



恋人同士は赤い糸で結ばれた関係なんていうけれど、俺の感覚としてはじわじわと重い鎖に変化しているような感じ。切ろうと思えば切れるよ、なんかペンチ的な固いもの切れますよ的なやつでパキンって切れるよ、きっと。

でもまぁ軽々と切れないし、切るのも怖いし、断面がどんな感じになるかもわからないし。


まぁ要するに、恋人の距離感ってどこなんだろうって感じ。

難しいね、頭痛いね。モヤモヤするね。


考えなきゃいけないことなのか、まぁとりあえず思考放棄して四の五の言わずに快感に浸っていくべきなのか。



うーん、やっぱり考えちゃう。


もやっともみじ


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