もみじろぐ

とある男の、心のほんの一部

僕にとっては趣味は仕事で、仕事は趣味に含まれるけど、基本楽しくない。

ふと自分の中のもやもやが言語化できそうなので、残しておく。

 

「僕にとっては趣味は仕事で、仕事は趣味に含まれるけど、基本楽しくない。」

 

僕はしがないWebエンジニアをしている。

ことコロナ禍では外出の必要もなく、家でPCに向き合って黒い画面をカタカタとやっている。

エンジニアという職をよく知らない人には、SEなんて言われたり、人と関わらない仕事だねとか思われる(偏見)けど、めっちゃ人と関わるしコミュ力消費する。

なんせ大規模なものづくりは物理的に一人ではできないし、受託制作の弊社は、仕事を取ってくる人、デザインをする人、コードを書く人の最低でもスリーマンセルで案件が動く。

当然コミュニケーションはすごく発生するし、お客さんの求めるものづくりを要求される我らは、お客さんとも綿密なコミュニケーションを必要とされる。ときにはそこでトラブルや行き違いもおこる。

そんなストレスフルな日々を、僕はときに黒い画面でPCと仲良くし、ときに人とも意見を交わし、楽しく苦しく過ごしている。

 

まぁ僕の職説明はこれぐらいでいい。

 

なぜ僕はエンジニアになったのか。

それは、僕が楽しいことしかしたくないから。できないから、と言い切ってもいい。

 

世の中には、仕事は仕事、遊びは遊びと頭を切り替えられる人がいると言う。身内にもいる。

だが、僕には、その感覚は理解できない。学生の頃から、今も、ずっと。

 

だから、僕は勉強が向いていなかった。正確には、受験としての選択肢が狭い勉強は向いていなかった。

だから浪人もした。予備校も転々としたし、親には心労をかけた。

 

勉強が楽しい、と感じる瞬間はときどきあった。でもそれは気まぐれで、まばらで、根本的に勉強に気持ちが乗っていなかった。親を満足させるため、勉強のふりばかりした。心はそこになかった。

 

受験の話はもういい。

とにかく、僕は気持ちが乗らないと、「これがやるべきことだ」と目の前に本を積まれても一切動けないタイプの人間なのだ。

だから、就活なんて直感的に無理だとおもったし、ふと触ったプログラミングが楽しくて、これならば親も社会も納得するだろうと、その道だけを歩いた。

 

まぁ、同年代でその道を極めた人はきっと星の数ほどいて、僕にとってそれは天職ではないだろうと最初からわかってはいたけど、とにかく、これならなんとか飯が食えそうだと思えたんだ。

だから、エンジニアになった。なれた。

 

一番の趣味ではないけれど、趣味の一角と、社会の需要の唯一の接点がそこだった。そうなるしかなかった。

 

で、今。

社会人となって3年目の僕は、心を壊しかけた。

もともと壊れやすいガラスの器ではあるのだけど、ためにためたフラストレーションが、泥のように溢れ出してヒビが入った。

 

入社してすぐの頃は、希望を持てていた。

お客さんがいて、僕ら作り手がいて。一緒にお客さんのビジョンを叶えよう、体現しよう、創造しよう。夢のある仕事だと思っていた。

 

でも実際に担当する仕事の多くが、お客さんの顔が見えず、意図が見えず、ただ何度も何度も氷のような冷たい言葉の修正指示が降ってくる日々。

もう、何がしたいのか、何を作っているのかわからなかった。

 

そして僕は諦めた。

仕事は、仕事である。

仕事は、楽しくないものである。

仕事は、淡々と目の前のタスクをこなしていく作業である。

 

エンジニアリング自体が、もう趣味の輝きを失っていた。

 

 

そして僕はゲーム実況に目覚めた。没頭した。

まぁそれはそれで、ストレスフルな日々だが、運動後の汗が心地よいように、心地よいストレスだった。

これぞ趣味。これぞ輝きという感じだった。

 

 

なんだか回想になってしまったが、
僕にとって仕事(エンジニアリング)は趣味の一角であって、でも楽しくなくなっていった。その穴を埋める形で、ゲーム実況という大きな趣味を持った。

 

 

で、言語化したかったのは、この趣味→仕事の流れについて。

 

ふと見てしまった同僚A氏の呟きを共有したい。

趣味が活かせて嬉しいとか趣味だから〜みたいな感情はほぼないなと思った
趣味だったら自分の満足した時点で終わりだけど、仕事だとそれ相応のクオリティが求められるし
取っ掛かり(きっかけ)は趣味だけど、その後私の中で趣味と仕事は交わらないな

 

このA氏が、前記事で言及していた後輩なのだが、

僕はこのA氏に強い嫉妬を抱いていた。

 

なぜならA氏の趣味(の延長で仕事になったもの)は上司にはちゃめちゃに評価されていて、

一方僕は、ついぞエンジニアリングについても、趣味についても、評価された記憶がない。

 

というか基本上司はエンジニアリングの人ではないので、評価する立場や理解はないが、A氏についてはやたらと褒めるのだ。

もっともそれは、上司が個人的にやっている事業にA氏のスキルが活かせるからで、
なんというか、お門違いな嫉妬なのかもしれない。

 

僕がA氏に嫉妬したのは、A氏が僕と同種の、「趣味→仕事」人間だと判別していたからというのが前提にあるのだが、

上記の呟きを読むと、別種であると理解できた。

という話をしたかった。

 

A氏の中では、同じクリエイティブな作業でも、趣味でそれをするのと、仕事でそれをするのとは全く交わらないらしい。

理解できないわけではない。

おそらくA氏の境界線は、「発生する責任」なのだとおもった。

 

趣味でするクリエイティブと、仕事で求められるクリエイティブ。

A氏にとって、趣味はさほど責任なく、自由に触って自由にやめられるもの。仕事は責任があり、最低でも合格60点のクオリティを保証しなければならないもの。

 

 

僕は、違う。

なぜかというと、僕のゲーム実況は、常に100点を目指すクリエイティブをしている。

 

張り合おうというわけではない。

 

ただ「発生する責任」において、言い換えるなら「目指すクオリティ」において僕は仕事以上に趣味で燃えている。

 

もちろん、所詮趣味だ。10点だろうが、20点だろうが、自分が満足すれば放り出していい。確かに責任は発生していない。

だが、僕は、何より自分の満足が常に100点の位置にあるんだ。

 

愚かだと思うし、本末転倒だとも思うが、
僕はクリエイティブに、何があろうとも100点を求めてしまう。責任はなくとも、自分自身が許さない。

 

そういう意味で、僕の趣味は仕事よりも仕事らしい重さを持っている。

だから、逆転しているのかもしれない。

 

僕にとって仕事はどうでもいい。

確かに責任はあるし、それを果たそうとは思う。

でも、それは、僕を熱くさせない。つまらない。

つまらないことには60点で十分だ。

 

楽しいことにこそ、100点を出したい。目指したい。燃える。熱くなる。

 

逆に言えば、仕事でたまに楽しいときは、燃える。

僕はそんな社会不適合者だ。

 

「僕にとっては趣味は仕事で、仕事は趣味に含まれるけど、基本楽しくない。」

 

 

 

書いてて思ったけど、いつの間にか責任の話が目指すクオリティの話になっていて、今の興奮している僕は、なにか話を捻じ曲げているのかもしれない。

 

日にちが経ったら、読み返そうとおもう。