もみじろぐ

とある男の、心のほんの一部

たまには情報量を落としてみる。

久しぶりにブログを書いている。

人のブログを読んで、触発されて書いている。

 

最近、どころか、ここ1年ぐらい。

暇あればゲームか、アニメか、動画か、音楽か、ラジオか。とにかく1MBは越えるような情報ばかりインプットしてきた。

退屈すれば、手を替え品を替え。世の中はすごいもので、消費しても消費してもコンテンツは湯水のようにあちこちから湧いてくる。

だから気付きもしなかった。情報量を落とした、たかが膨れてもKBに収まるテキスト媒体の安心感なんて。

 

先週ぐらいだったか。ふと実家に戻って手に取った読みかけの小説。持ち帰ってきて、なんとなく手が空いた時間に手に取った。

久しぶりの読書には不思議な安心感があった。片手に収まるようなサイズ。手で紙をめくる感覚。少し古本のように黄ばんだ紙の匂い。

 

ゲームやアニメは大好きだ。

でも、読書も良い。例えるなら、上品な喫茶店で珈琲の香りを嗅ぐような、そんな安心感がある。落ち着きがある。

 

文字だけのメディアも良い。

恥ずかしい話だが、ここ数ヶ月、Twitterの最大140文字以上の文字を読む機会がなかったように思う。世間を騒がせているニュースだって、ニュースサイトまで読みに行かず、Twitterに流れてくる見出しだけ摂取して全てを理解した気になっていたかもしれない。

だがふと、はてなブログのアプリを開けば、かつて同志だったブロガーたちの近況がズラりと並んでいた。

無機質に並んだだけの情報だったそれが、今の文字に飢えた僕にはすこくエモーショナルなものに見えた。直近の何個か読ませて貰った。

 

そうだ。そうだよ。これがブログだよ。

 

エモさが爆発した。

そして僕は今、こうしてその思いの丈を綴っている。

 

文字を読むことすらご無沙汰なのだから、書くことはそれ以上のご無沙汰だ。

ちゃんと文章として成立しているだろうか。かつてのブロガーとして、恥ずかしくない言葉選びができているだろうか。不安で身体が痒くなる。

 

とりあえず、僕は今、このエモさを文字にぶつけたかった。それだけだ。

特に着地点もオチもない。

 

1つ言いたかったのは、

読書って良いね。文字メディアって良いね。

 

今の僕のクリエイティブなエネルギーはゲーム実況に全振りされちゃっているけど、どこかで、サンドイッチで余ったパンの耳を活用するみたいに、端っこのちょっとしたエネルギーで文字にも携わっていたいものだ。