もみじろぐ

とある男の、心のほんの一部

Vtuberの中の人・前世に触れるのは悪か?

どーも、久しぶり。

この場所は、僕にとってはもう過去でしかなくて、今を生きる僕にはこんな気持ちでしかここに帰ってくることはなくて、

ここをもし拠り所だったり、親しみを感じて訪ねてくれていた人には、申し訳なく思う。

 

本題に入ろう。

 

ここ1年で最も大きく、自分を揺るがした事件について、消化しきれない思いがあった。

忘れたつもりでいたのだけど、ふとyoutubeを見ていたら、おそらく昨今話題になったであろうVtuberの中の人、だった人がオススメされてしまったため、また思い出してしまった。

どうにも、消化できないため、書かせて欲しい。

 

Vtuberの中の人・前世に触れるのは悪か?

 

僕は、1年前ぐらいにVtuberにハマった。

ファンとしては遅い方であることはわかっている。痛いほどわからせられている。

 

Vtuberという単語が生まれたのが2017、18年頃、ファン人口が拡大したのが20年頃。5-6年の若いコンテンツとはいえ、もはやサブカルを主戦場とするオタクたちには避けて通れぬ大きなコンテンツとなっている。

 

身近に早くからVtuberに注目していた友人らをもつ僕は、その存在と影響力の大きさは2,3年前から感じていた。

 

バーチャルの世界のインフルエンサー

リアルとはかけ離れたアバターを操り、ゲームをしたり、歌ったり。

なんとなく感じていた忌避感をあえて言語化するなら、アバター技術の不完全さ、かもしれない。

 

アニメや漫画を長く摂取し続け、2次元の絵の躍動を見続けた目には、ちらりと見えた彼らの2d,3dアバターのガクガク具合が違和感として写ったのだろう。

 

結局まともにVtuberの配信なぞも見ることなく、避けて来てしまった。

ただの避けている感覚だけはずっとあって、どこか知ろうとしない自分への罪悪感があった。

 

だから、ハマれたときは、むしろ安心さえした。

そのハマり方が、黎明期を知る友人らとは全く違ったとも知らずに。

 

 

話が少し変わるが、

僕は声優さんが好きで、詳しい。

 

アニメをふと見ていてこの声、どこかで聞き覚えが…?と調べだして僕と同じ道へ来た同志は多いだろう。

 

前述の友人たちにはあまり理解されなかったが、僕はアニメのキャラクターと、声優さんを同一視している面がある。

もちろん、キャラクターがこうであったから声優さん本人がこうでなきゃおかしい、またその逆も、みたいな人格を強制する認識を持っているわけではない。

 

ただ、その声優さん本人の性格や、生い立ち、役者としての気概などが、音響監督さんなど多くのスタッフさんの手を渡り、また作品と混ざり合い、結晶化したのがアニメのキャラクターの声だ、と思っている。

キャラクターがあって、そこに声優さんが当てはめられるのではなく、

その声優さんがあって、そこに様々な技術や解釈が加えられて分岐して生まれたのが、アニメ上のキャラクターと思っている。

 

異論は認めよう。

 

ともかく僕の中ではそういう捉え方をして、楽しんでいる。

なので、「あるキャラクターと声優さんが同じである」というのは僕にとっては大きな視聴欲をかきたてられるものであり、

同じ声優さんが担当したキャラクターたちは、さながら推しのアイドルの私生活をみてギャップを感じたような、喜びが僕にはある。

 

無論、同じ声優さんだからといって、キャラクター同士がイコールにはならない。

ただ元となる根っこが同じものではあり、いわば性格の違う兄弟をみて興味深く思うようなそんな感覚があるのだ。

 

 

そんな僕だからか、

Vtuberにハマったきっかけは、声だ。

 

僕の入り口になったVtuber、でびでび・でびる氏の名前を伝えたら、友人は「やっぱりか」と口にした。

 

正確にいうと、声が特徴的だから、が理由ではなく、

特徴的な声を通して、Vtuberの中の人の、話のうまさ、器量の大きさ、エンタメ性、豊富な人生経験などを感じとれたのが理由だ。

 

あえて中の人、と言わずとも良いのかもしれないが、

僕のVtuberの対する感動は、好きなキャラクターの中の声優さんを知った感覚に非常に近しいものだったのだなと、今は思う。

 

 

大手Vtuberグループ「にじさんじ」を中心に僕のVtuberブームは加速していった。

 

そして、事件は起きた。

 

 

今思えば、Youtubeのオススメ機能が憎くてしょうがない。

にじさんじばかりを見ていた僕のyoutube画面に、ふと実写の女性ゲーム実況者とみえるチャンネルが表示された。

 

なんの脈絡ないそれに、僕は最初少しの違和感を覚えただけだった。

 

少し経って、なんのきなしに画面をスクロールしていたら見えてしまった。

にじさんじで既に引退したVtuberと、あまりにもよく似たキャラクターの絵柄と、その特定のVtuberの代名詞だったであろう特徴的な顔の表情のサムネイルが。

 

おもわずクリックしてしまった。

そして聞き覚えのある声。間合い、息遣い。

 

驚いた。

感動した。

 

そしてためらわず、それを友人たちに報告してしまった。

 

 

今思えば、その報告と、そしてその後のやりとりの言葉選びは最悪だった。

 

友人たち、というか主に一人のそのVtuber推しであった友人Hの地雷を踏み、烈火のごとく罵倒された。

 

いや、罵倒というほどではなかったかもしれない。

慈愛を含んだ忠言、諭しだったかもしれない。

 

 

あまりのショックに、詳細は今もあまり思い出せない。

 

 

 

結果だけいえば、僕があまりの無神経に友人の地雷を踏み、然るべき制裁を食らっただけだ。

それについては、不徳の致すところであるし、蒸し返したいことなどなにもない。

 

 

ただ、

それから時間ができる度に考えてしまう。

 

それをタブーとするファンが多くいると理解した上で、

Vtuberの中の人触れるのは悪だったのだろうか?

 

僕のように、Vtuberを中の人をある側面で同一視するのは、悪だったのだろうか?

 

ありとあらゆる場所で、Vtuberの中の人触れるのは悪なのだろうか?

たとえば、同僚のちょっとした愚痴を居酒屋でこぼすような、有名アイドルの良くない噂を世間話ついでに話すような、そんな些細な小出しも許されないものだろうか?

 

 

 

まったく、youtubeのオススメ機能くんは大したもので、

つい昨日だか一昨日から、別の引退したVtuberとおもわしき中の人のアカウントが僕のyoutube画面に出てきている。

声で、一発で確信してしまった。

 

また思い出してしまったじゃないか。

 

 

 

こうして思いの丈を綴るうち、僕も冷静になってきた。

 

 

結論は、おそらく悪ではない。

 

というか、僕が事件で痛い目にあったのは、最悪の相手、タイミング、言葉だったのが理由だ。

 

同僚のちょっとした愚痴も、

有名アイドルの良くない噂も、

まさか本人や身内、そのファン相手にすることなど誰も想定しない。やらない。

 

 

きっと時と場所と相手を選べば、口を開くことは許される。

 

現に、「Vtuber 中の人」と調べれば数多くの情報が出てくる。それだけ人の興味を惹く内容なのだ。

 

 

ただ、気軽にTwitterなどで呟くのは堪えねばなるまい。

僕のまわりではVtuber好きの人が多くて、油断はできない。いまだに事件のトラウマで恐ろしくもある。

 

 

問いかけておいて、勝手に自己完結してしまい申し訳ない。

 

僕と同じような出来事があった人、同じ感覚が少しわかる人、

いたらいいなぁ。

 

もしいるなら、なんだか少し救われる気分だ。