もみじろぐ

とある男の、心のほんの一部

年始で心がコケてしまった話

人間てのは本当に難しい。

日々、希望に生かされているかと思いきや、急にやってきた絶望が病のように

心に絡みついて離れない日もある。

 

今日がそうだ。

 

昨日。新年一発目、書き初めをした。生放送で、ガチで。

【謹賀新年】書き初めするぞおまえら!!墨汁は持ったか?じょばばば - YouTube

 

前々(といっても2週間前程度)から温めていた発表を筆に込めた。

 

受肉

 

僕は昨今オタク界隈で流行りのバーチャルユーチューバー、通称Vtuberに去年の今頃からどハマリしている。

最初こそ「バーチャルの身体がなんだ、それだけで人気になれるものか」と斜めにさえ見ていた僕が、まんまと沼にぽちゃんである。

そして、自身のゲーム実況活動、配信活動と隣人のような彼らに憧れさえ出てきた。身の回りでも、ゲーム実況者からVtuberへ転向する人も多く、それによって人気を得てビッグな存在になる例もいくつか見た。焦りも感じてきた。

 

昨年から、Vtuber技術の主流と言われるLive2Dに触れたり、苦手意識を持ったままでも憧れを捨てきれずにいた人物イラストにも向き合おうかと、ペンタブを購入したりもした。

でもやはり、ふんわりとした憧れ、興味だけでは手も進まない。

昨年は大した練習もできず、無論1つのキリが良い成果さえ出せなかった。

 

昨年、大きく躍進できたことは、動画での地味な活動から、頻繁な配信活動が継続できたことだ。

もはや孤独に、一人誰もいない部屋で喋り続けることに慣れていた僕に、ファンと呼べる人さえできた。涙が出るほど嬉しいことだ。

 

その勢いに乗って、年末年始も張り切って配信をしようかと思いたち、元旦にやることを思い浮かんだのが書き初めだった。

 

我ながら、配信は想像以上に盛況だったと思う。

物珍しく捉えてくれる人もいれば、年始の挨拶として顔出してくれる人もいて、いつものファンもいて、なんだか慣れないことをしている感覚さえ忘れてしまった。

 

Vtuberを本気で目指して、イラストとLive2Dの練習を1年かけて気を抜かずにやり抜くことを宣言した。

Vtuberの多くは「苗字なまえ」という感じなので、それに習って新しく「雨東風(あまこち)」という名を考えたりもした。

東風吹かば思い起こせよ梅の花…の東風だ。

風流かつ、発音したときの「こち」のどこか可愛らしい感じも気に入っている。

 

問題はその後、配信を終えた後だ。

詳しくは省くが、当日の配信は実家の一部屋で行っていた。

 

実家には父がいて、あまり長居はしたくなかったが、節目だからと出来上がった習字を見せた。

今思えば、迂闊だったのかもしれない。

 

父はアニメ文化などにはそこそこ通じていて(そのときはチェンソーマンの曲を流していた)年齢にしては理解もある。

だがつい近年、2019年以降盛り上がっているVtuber文化、ましてやYoutuberなる文化は全く馴染みがない人だ。

受肉」という言葉に違和感を覚えたらしい。というか日常生活ではあまり使わない言葉が抱負として出たことに、疑問を感じている風だった。

当然といえば当然だろう。

 

僕はなんとか「Vtuberになること」「バーチャルとしての身体を持つこと」を意味していて、界隈外では周知されていないが、ある種のスラングとして定着しつつある単語であることを説明した。

いわゆるバ美肉バーチャル美少女受肉)だ。そちらのほうがスラングとして有名、かつ造語であることを考えると、素直に「バ美肉」とすればよかったかもしれない。

ただ美少女=男性の僕が女性を演じることと解釈されてしまうので、美少女ではないがバーチャルの身体を得るよ、と表現したく「受肉」となってしまった。

 

父はネットで検索すると、一般的にはキリスト教で、しかも特殊な場面に登場する単語であることを確認し、「宗教的な言葉を使うのは危険である」とすこし説教のように僕に諭してきた。

意図せずとも宗教的な単語を用いることで、宗教関連の活動家などに注目されてしまうのではないか、誤解を生むのではないか、と僕を案じてのことらしかった。

 

意図はわかる。

だが、うーーん。どうだろうか。

 

消化に苦労した。いや今も苦労している。

 

父の意図はわかる。が、実際問題として危惧するようなことは起こるだろうか。

 

 

正直、わからない。

たまたま今起きていないだけで、この先にあるのかもしれない。

 

だがその理屈で宗教関連の活動家が対象を探しているんだとしたら、Vtuber界隈で多く「受肉」という言葉を用いている人すべて、対象にならないだろうか。

自身でイラストやモデリングを担当してVtuber活動することを「セルフ受肉」と表現されるのも界隈では一般的で、実際に「〇〇@セルフ受肉勢」と名前に組み込んでいる方も多くいる。

そういった方々は日々そのようなトラブルに巻き込まれているだろうか。少なくても僕にはそう見えていない。

 

うーーーーーーーーーん。

 

つまりそういうことだ。

 

 

僕が迂闊だったといえば、それはそのとおりだ。

一般的でない単語を、一般の人間に自慢するようなニュアンスで見せてしまった。疑問を持たれるのも仕方ない。

 

だが心が納得しきれていない。

喉の奥に刺さった小骨のような不快感がとれていない。

 

 

心を込めて、全くの邪念なく、掲げた抱負だった。

それにケチをつけられてしまった。

 

それからイマイチ元気が出ない。

心が転んで擦りむいてしまった。

 

 

どうすればよかったのだろうか。