情報の胃もたれ
情報量の多いものに触れると、心が胃もたれみたいな、痛いというよりダルいような、そんな感覚になることがある。
僕だけだろうか。
例えば、人混み。
例えば、色鮮やかすぎるファッションや、広告。
例えば、夜の街の、飲み屋付近の喧騒。
例えば、人が怒ったり叫んだり泣いたりな映像、空間。
例えば、誰かの強い感情が込められた言葉たち、意見。
押し寄せる情報量が、自分の消化速度を上回るハイペースで、どばどば入ってくる感覚。
心がじわじわ重くなってきて、そこから逃げ出したくなる。
人による話かもしれない。
僕はたぶん、何かに触れた時、人より多くの情報を受信しまう、あるいは膨らませてしまう人間だ。
人と話せば、人の表情、声のトーン、身体の微妙な動き、裏にある意図、いろんな情報を並列に受信する。いや、その程度の情報量、みんな受信しているかもしれない。
うまい例えが出てこない。
けど、確かに、何かに触れた時、「これは情報量が多すぎる、処理できない、しんどい」と心がアラートを発する時がある。
そうなるであろうことを、なんとなく察知する。
最近は、それを自覚して、心の言う通りにその場から離れたり、心を一旦フタをして、情報を受け止めず滑るように流すようにしている。
なんとなく、人より情報量を受け入れる皿が小さいように思うけど、それはそういうものだろう、と思っている。
最近だと、
祖母が亡くなった。
母を亡くして、じわじわと疎遠になっていた母方の祖母だった。
皆が泣いている中、ここは情報量が多い空間だなと思った。
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ふとTwitterを開くと、
仲良しの人、個性的な同僚、腐れ縁の友人。様々な人がいる。
彼らの言葉に、僕は興味がある。
それらは時に僕を微笑ませ、奮起させてくれる。
でも、ときどき重く感じることもある。
所詮自分とは関係ない、何食わぬ出来事を語るだけの言葉。でもそれがなぜだか受け入れ難い、プレッシャーを感じる、直視できなくなる。
Twitterを閉じる。
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自粛が解禁され、
人々が浮かれて歩き回る姿が目につく。
「やっぱり人と会うのが1番だよね」
「これで心置き無く飲める、やっほーい」
否定はできない。
でも、リモートの会議も飲みも、僕はわりと好きだったよ。
画面越しぐらいの情報量が、僕の心には、ちょうどよかった。
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情報量が多すぎると、胃もたれする。
ときどき、胃もたれどころか、情報の雨を浴び続けてキャッキャしてる人もいるもんだから、
そんな人にダンガンロンパの如く、ずばりと、言ってやりたい。
人それぞれ、情報の許容量はバラバラなんだぞ。
僕は特に少ないから、
あんまり一気に情報よこすなよ。
まぁ、ほら、マイペースにいこう。