もみじろぐ

とある男の、心のほんの一部

心の平穏のために、取捨選択している話。

先週。
ずっと気分が落ち込んでいた。

 

いや、ずっと、じゃない。
じわじわと、が正しい。

 

月曜日なんとかエンジンかけて、
火曜日温まってきたと思ったら嫌なことがあって、
水曜日嫌なことが頭から離れなくて、
木曜日は完全にシャットダウンして、
金曜日に再起動試みるも失敗して。

 

いやはや。まいったまいった。

特に例のS氏の件については、ずいぶん引きずっていた。

引きずっているのも自覚していて、それでシャットダウンしかけなのも自覚していて、それでも自分の理性はSTOPをかけなかった。

「いいよ、どうせちょうど業務落ち着いてるし、ここらで休養でもしとけや」

自分の中のでびでび・でびるはそう囁いて、

でも一方自分の中のえんえん・えんじぇるは「またやってしまいましたね。きっと後悔しますよ。もうあれほどサボりはやめようと決意したじゃないですか」と叱りつけてきて、正直、板挟みで更に疲弊した。

 

ただ不思議と、今日になってみると怖いくらい気分が落ち着いた。

なんでだろうか。

 

週末にたっぷりポケモン配信できたからだろうか。

新しい週で気分がガラリと入れ替わったからだろうか。

久しぶりに出社してリアルな人間交流することで心が換気されたからだろうか。

 

 

まぁともかく、なんかスッキリして、ストレスはどっかいった。

よかったよかった。

その報告だけしたかった。

 

 

あとは、おまけ話で、こういう心的負荷がぐぐっと来るタイミングのために、気をつけようと思ったことの話。

 

心の平穏のために、取捨選択している話、をしよう。

 

特に大したことではなくて、結局、目に入る情報をフィルタリングしましょうという話で。

具体的にいうと、分報とTwitterと、その他意識高いことあれこれ。

(分報というのは、いま社内で流行っている、社内向けのTwitterみたいなもの、と理解してもらえればいい。)

 

それこそ分報には書けないけれど、「この人うるせぇなぁ」って思った人のチャンネルはミュートしてる。Twitterも。

ミュートっていい機能だよね。相手にバレず、距離を取れる。視界からササッと排除できる。

 

以前までは、ミュートしてる自分の姿が何かでバレたらどうしよう、後ろ指を指されるんじゃないか、苦手なものだけ遠ざける自分って都合良すぎるのでは?など、アホな理屈に囚われていた。

 

だって「うるせぇ」ひとは「うるせぇ」のよ。

うっせーわ、Adoさんぶつけんぞ。

 

そう感じてしまったら最後、もうどうやったってそれは自分へのマイナス。ストレスの権化。
そんなもの、無理して腹に抱えてたって結局自爆する。

 

いいんだよ。

僕らの脳は、世界のすべてを詰め込めるほどの容量も、仮に詰め込んだとして再生できるだけのスペックもない。

 

「うるせぇ」にはミュート。これ、新世界の常識。

 

最近は視界に入ってしまう「うるせぇ」が随分減らせた気がする。

 

 

 

眠くなってきたので、今日はここまで。

みんなもがんがんミュートしていけ。