読みにくいかも
ふと、自分の書いた記事を読み返してみた。
うまく言語化できないけど、脳内で読み上げようとして引っかかりを感じた。つまり、読みにくい。
たぶん、書き手の僕の気持ち良さが最優先されているから、そんな文章になるんだとおもう。
誰に教わったわけでもないけど、僕の文法は、〇〇で△△で□□だよね、みたいな同義のものを並列する特徴がある。
簡潔にしようと思えば、〇〇だよね、の一言で済むのに、たくさんの表現をあえて入れてしまう。
なんだろう。
なんか、1つの言葉じゃ気持ちが収まりきらなくて、多くの言葉に小分けにしてアウトプットしてるのかもしれない。
今書いてるこの瞬間も、並列が入りそうになって、かなり書いては消してを繰り返した。
染み付いてるね。
自分のため書いている場所だから、やっぱり優先度は「その書いてる瞬間の僕」が一番だとは思うけれど。
ふと、「その瞬間を過ぎてしまった僕」として、なんともザラついたような違和感を感じたので、今後は意識してみようかな。
僕の〇〇で△△で□□文法、どうですか?
おはよう
「夜に、考え事はよくないよ。」
と彼女がよく言ってくれる。
「夜はいろんな暗いこと考えちゃうから。」
だいたい、このブログは、夜の闇と共に産み落とされた文章、あるいはその感情をもとに広げて文章にしたものが多いのだけど。
とりあえず、直近心にズシンときている問題があって、友達関係なんだけど、文章を作らなきゃいけなくて、
それを考えるのを昨日の夜は諦めて、朝にしてみた。
確かに、スルスルと、冷静な文章が作れた気がする。いつもに比べて、読み返して「いや、なんか違うな」って感覚が少なかったかもしれない。
その問題について、いろいろオフレコで、その友達には口が裂けても言えないような暗い感情もあって、それをブログで消化しようかなってここ数日考えていた。
でも、何でも言うけど、そういうの書かずに忘れた方がいいのかもしれない。
とりあえず、今、朝。明るいうちであれば、なにか違うアプローチが出てくるかもしれないと、記事入力画面を開いてみた。
まぁあと1時間も満たないうちに、仕事スイッチを入れなきゃいけない。まだ顔も洗っていない。着替えもなんか中途半端だ。朝飯も、お腹痛くて、温かいカップスープ1杯で済ませてしまった。
うん。
こんなワタワタした状況で、深いことは書けない。やめよう。
ただ、僕がこんな状態でも、彼女は僕の頭をぽんぽんとして、明るく「いってきます」といって出勤して行った。
最近よく寝坊して、起きた頃に彼女は出勤していたから、僕が出勤前に起きていて少し機嫌が良かったのかもしれない。
悪くない朝だ。
いや、それどころか、最高の朝だ。
好きとか、恋とか、愛とか、どれもなんとなくわかったつもりになって、でもなんとなくわかれば十分なものだと思っていた。なんとなく"そう"なって、なんとなく家族ができていくんだと。
でも、最近、愛はちゃんと、わかる気がする。
解決したよ。
タイトル一言で、言いたいことはおしまいです。
なんか、ブログの使い方が、悪いことあったら書きに来て、たぶんそれからしばらく書いてなかったら解決してて、みたいなのが多かったから。
ここ1-2年。
なんか同じ風になるのが悔しくて。その意地だけで書いた。おしまい。
あ、でも、久しぶりに文章に身を任せる感覚を味わえて楽しかったよ。
他の人の、ブログわーってやってた頃から俺が一方的に覚えている人たちも、結構ブログ続けててくれて、嬉しかった。はてなブログはこの購読機能がいいのよね。
そう、ブログを書く時って、どうしてもこう情緒的でゆらゆらした文章しかかけないんだけど、なんか他で文章書く時と違うんだよね。勢いのままに書くというか、考えながら書いてるというか。浮かんでくる文字に自分を委ねてる感覚。
確かに手を動かしてキーボードを打ってるのは自分なんだけど、なんか自動操縦の車に乗っているような気分。
でもあれなの。バスとかタクシーって感じじゃないんだよ。あくまで運転席。運転席に座ってるんだけど、手を離しても、勝手に景色が流れてくような感覚。
不思議な感覚で、癖になる。
別に誰に求めらてるとか、ここはもう、どうでもよくて。
でも、すごい自分を取り戻すというか、慣れ親しんだ実家みたいな気分になる。あぁ、ここでの自分こそ、自分だなってなる。
たぶん、結構最近頑張って、自分らしくないことを頑張っていたから。
まぁ、らしくなくても、慣れていくうちにらしくなるんだけど。
みなさん、こんにちぬ。っつって。
もしかしたらここから辿ってたどり着いてくれる人がいるかもしれないから。宣伝だけ。
ぬめちゃ、という名前でyoutubeで活動がんばってます。
恥ずかしいけど、時間をかけて、愛情込めて作った動画たちが出ているので、よかったらひとつ。
チャンネル登録なんかしてくれたら、僕の承認欲求がとっても満たされて、うふふってなる。
ブログも、もしかしたら、またちょびちょび書きたいかもしれない。
でも、もしかしたらだから。わかんない。
もしかしたらの、その時に、また会いましょう。
そういう小さな絶望の積み重ねが、人を大人にするのです。
呪術廻戦おもしろいよね。
ななみん、推しです。
みなさん、こんにちは。
90日以上ぶりにブログを更新しています。
職業はWeb業界のエンジニア、趣味はアニメとゲーム、最近はyoutubeでゲーム実況活動しています、もみじです。
ななみんにつられて読みに来てしまった人、ごめんなさい。
呪術廻戦。好きでアニメも見てますが、今日はその話はしません。
というか、特に何を話そうか、決めてもいません。
僕は大体この場でなにか話そうとすると、だいたいブログに久しぶりだねとか、かつての自分への哀愁とか、何回も何回も回ったマリオカートの最初のコースみたいな道をぐるぐる回るだけになってしまうのです。
それはしたくない。なんだか何も学んでないみたいで。何も進んでないみたいで嫌だから。
さて、タイトルにふとななみんのセリフが浮かんだのは、
まぁちょっとした絶望でもないけれど、暗くなるような出来事があったからでして。
同棲中の彼女と、なんかすれ違いが変な方向にこじれてるってだけの話なんだけど。
大したことはない、んだけど、僕らにとってはまぁまぁ珍しい感じのトラブルになってしまって。うん、正直、結構参ってはいる。
人と意思を共有する、通じ合う、伝え合う、考え合う。すごく難しいんだなって思う。別に簡単だなと思ったことは一度だってないけれど。いろんな経験をすればするほど、「あぁ難しいねぇ、うまくいかないねぇ」と小さく絶望している気もする。
これが大人への階段か。
別に大人になることがキラキラピカピカした階段を登ることじゃないなってのはわかってたし、期待もしてなかったけどさ。
ただ、たぶん恋愛において、長く続く秘訣とか、夫婦円満でいる秘訣とか、そういうのにはキラキラ要素を期待してたのかもしれない。
若いねぇ。アオハルだねぇ。
拝啓20の僕へ、恋愛の着地点は小さな絶望の積み重ねだよ。
誤解を招く言い方になったかもしれないけど、なんかこう、結婚できる関係とか長く続く関係って、別に体も心も頭も、全ての相性ばっちし、喧嘩もすれ違いも一切ありませんーーいえぇーーい。ではないよ。ってことを言いたかった。
いや、みんな知ってるか。知らなかったの俺だけかもしれん。
結構、その、歴代お付き合いさせていただいた人たちとの関係性を振り返るとね。
ほんと、俺が未熟すぎてごめん殴れって感じなんだけど、「なんだ、すべての相性ばっちしじゃないじゃん」みたいになってお別れしちゃった例が結構あって。
いや、それだけが理由じゃないのかもしれないんだけど、もう結構朧げになっちゃってるんだけども。
なんかこう、結構諦めが早かったのよ、俺。
当然「こことここは相性あうね、素敵な出会いだね」って言ってお付き合いしだしたのにさ。
相性がよくないこと1つが我慢できなくて。相手のその部分を変えようとしてしまったり、我慢しようと抑えてみるも結局抑えきれなかったり。
今思えば、大切な出会いを、1つの相性の悪さだけで、簡単に切って捨ててしまったような気もするんだ。
いやほんと、今更、なんだけど。
つまり何かというと、、いろいろ経て、俺はすれ違いとかそんなのは、選択次第でどうにもなるもんだよっていうのを知っていまして。
んで、たぶん、このナウ打ちのめされている俺も、明日の朝にはいつもの寝ぼけたアホ面の自分になっているっていうのを知っていまして。
小さく絶望しても、それをどう受け止めるか、どう消化するかで希望もどかどか出てくるってのも知っていまして。
僕は、たぶん前より大人になっている。
お風呂はいってくるね。
( ´・ω・`)
( ´・ω・`)( ´・ω・`)( ´・ω・`)