殺してくれ
油断すると、すぐ人を傷つける
すぐ人を追い詰める
そんな大人になるもんか、とすごくすごく神経細かくして、相手の顔色、声色を観察して、生きてきたのに
結局、少し気が緩むと、すぐこれだ
自分の中にきっと、人を見下して、くだらないなと失笑する人格があるんだ
なんて人でなしだ
こんなのは人間じゃない
人の間で生きちゃいけない
殺してくれ
僕は人間じゃないんです
本当にごめんなさい
そっくりに出来てるもんで、よく間違われるのです
君のブログが好きなんだ
いえいえ。
そんな、褒められたもんじゃあございやせん。
このブログなんて、
- だいたいネガティブで、
- 歴代全彼女(?)に評判がよくて、
- 僕自身は、そんなに自信がなくて、
- すごくパーソナルで赤裸々な文章で、
- 妙にかっこつけてしまう締め方してて、
- 一部の人にはウケるけど、一部の人には徹底的にウケずに冷笑されるか、キモがられるか
みたいなブログだよ?
結局こうして、なんか書くのときどき楽しくなってきて書いちゃうけど、なんていうか、いつもナーバスよ?
いつでもカタカタしながら書いてるよ?
あ、カタカタしてるのはキーボードね。
心はガタガタブルブル。
彼女がね。
好きだよって言ってくれるんですよ。
これ。
こんなブログを。こんな文章を。
いや、嬉しいさ。
うん、じわわーと嬉しいさ。
うまくいえないけれど、ここには、僕のこう、「うおおおおお」って感じが詰まってるのよ。
うおおおおおおおおおお
エモくて、しっとりした、人間性が、心が出ちゃうんすよ。
合わない人には、ほんと、心底合わないと思うんだけど、たぶん、僕はこれを出したいんすよ。
一人引き出しにしまう日記帳じゃなくて、この場に書くってのはそういうことなんだよ、きっと。
どっかで、わかるよ、そうだね、って言ってほしいんだよ。
そう言ってほしい言葉達が、言葉達の泣き叫びが、この文章なんすよ。
僕は、あるとき、自分の黒い、ネガティブを見せびらかす癖と、さよならした自覚がある。
でも、今、僕はその癖と決別できているだろうか。
結局ネガティブなこと書いてるし。見せびらかしてるし。
昔みたいに、「見てくれー見てくれーこの哀れな俺をーー」って必死さはなくなったけど。「まぁ、興味あるなら見てけよ…スッ (「・ω・)「」みたいにライトな感じになったけど。
歴代彼女()にもウケがいいってのも、ねぇ。
いや、嬉しいんだけどさ。
今の彼女より前は、「見てくれー見てくれー」状態だったわけでさ。その頃の精神性残ってないのかなって不安に思ったり。
まぁでも、読者がいてくれるのは、物書き冥利につきるよね。
自分の中で抱え込むはずだったなにかを受け取ってくれた人がいた、ってのがさ。
ありがとね。
繊細というか、花瓶?
花瓶≠過敏
6/20の1時19分。
事実上、6/19日の25時19分に書いている。
書きたい時って、いっぱい書けるね、さっき書いたばっかりなのに。
不思議。
僕はたぶん、精神的に過敏なんじゃないかと思う。
イライラしてる人がいたら、ハラハラしちゃうし。怖そうな人がいたら、絡まれやしないかと、ビクビクしちゃう。
機嫌悪そうな人は、声かけづらいし。悲しそうな人には、自分が何もできないことが申し訳なくて辛くなっちゃう。
あれ、いうて、自己中なだけでは?
よくわかんないけど。
なんていうか、人といたら疲れるの。本心をすべてさらけ出せる人意外は。というか恋人以外すべてが。
いや、恋人も場合によっては、疲れる。
ごめんね。
人と人って、100%一緒になれないのが悲しく思うよ、ほんと。
深読みのしすぎだと思う。
あ、この人は機嫌が悪くなりそうだ、とか
この人、俺に絡みづらいんだろうな、とか
この人と、この人、きっとあんま仲良くないんだろうな、とか。
なんか、必要のない情報、もはやただの妄想かもしれない想像が自分の中に響いちゃう。
厄介だ。
どうして、現実には何も起きていない、自分の中だけでの妄想で勝手に傷ついているんだろう。
この受信力、どうにかしたい。
再生しない
辛いことがあった。
でもそれは100%辛いことじゃなくて、60%ぐらいの辛さ。
残り40%ぐらい「いい経験ができたな」って感じ。
新卒で、Web系の制作会社で、エンジニアをしている。
Web系のエンジニアは、たいていTwitterでコミュニティがあって、頻繁に勉強会と称して会社を跨いで技術交流している。
それはきっととても良いことだし、フリーランスでも、ベンチャー企業でも、実はお硬い大企業でも、「技術」という点でフラットに関わって情報交換ができるのは、他の職種にはない画期的なものだと思う。
でも。
僕には辛い
自分の技術にまだまだ自信のない僕には。
自信がないことを隠せなくて「じぶんなんて」って予防線を張ってしまう僕には
そもそも、そんな自分を認識することがまず辛い。
辛い。
自分よりも同年代でも、できる人はすごいできる。コードにかけてきた時間が違う。
勝てない。いや、勝たなくていいのに。
なぜかそう思ってしまう。
自分にも何か自慢できる何かがないと、この場にいてはいけない気がして
はぁ。
てかそもそもコミュ障だし。
みんながワイワイ語り合ってる輪にどうやって入ればいいのやら。わかる?わかんない。
人とコミュニケーションを開拓するのが苦手だから、そういうことをしたくないために、職人的な道を選んだのに。
結局もとめられるのは、それだ。
話すのは好きさ。話されるのも、黙って聞いてるのも好きさ。
でも、その空気をリードするのは苦手なんだ。
僕だけなの?
それを強いられる環境に強引に放り込まれたら、どうにかなるの?
辛いね。
勉強になるけど、その度に自分の無力さを実感しちゃう。
やめた。忘れよう。
遊ぼう。ゲームをして、塗りつぶそう。
辛いことは、再生しないほうがいい。
その時間は、結局それを追体験するだけだ。
だからしないよ、やめるよ、すぐ忘れるよって書こうとしたのに。
社会なんてない、君と僕だけだよ
最近、痛ましい事件が続いている。
事件を悼むあまり、誰かに矛を向けたがる人がいる。
加害者、一部のカテゴリーに属する人達、○○な意見を持っていた人達。
無論、この世の理不尽を許してはいけない。
事件はいつだって理不尽だ。
人として、憤るべきだと思う。
怒りも、悲しみも、やるせなさも、感じるべきだと思う。
でも、それを誰かに向けてしまっていいのだろうか。
矛を向ければ、その人だって黙っていられない。
多くの人は、直接やり返されることはない、なんて安心してるかもしれない。
でも、やり返さなくとも、その影響で別の誰かに矛を向けるかもしれない。
それがある人から始まり、どこまでもぐるぐると人々を渡っていくかもしれない。
めぐりめぐって、なんの関係もない、なんの落ち度もない人が傷つくかもしれない。
きっと、そうなっている。
負の連鎖だ。
やられたらやり返していいのか。
無抵抗であれ、というわけじゃない。
戦っていい。立ち上がっていい。屈しなくていい。
でも、戦い方はやり返すことだけじゃないはずだ。
みんな、この不幸を、大きなものがなんとかしてくれると思ってる。
社会がなんとかしてくれると思ってる。
誰かがなんとかしてくれると思ってる
違うよ、
ここには、君と、僕しかいない。
語る僕と、聞いている君しかいない。
複雑に絡み合った関係性だって、紐解いていけば、単位は一対一の関係だと思う。
皆が呼ぶ社会ってものは、たくさんの「君と僕」で出来上がってるんだ。
どうして、それに気付かないんだろう。
あるいは見て見ぬふりをしてしまうんだろう。
僕は、そんな大人達が、子供の頃から嫌いだった。
テレビの前だけで何かのせいして、偉そうなこと言って、でも結局変えるために何も行動しなくて。
もう僕も大人になってしまった。
反面教師でこうして突っ張ってみせてる僕だけども、結局君と同じかもしれない。
何ができるかもわからず、何をすべきかもわからず、流れていくニュースを眺めて、意見を内に秘めて、ご飯食べて、寝て、仕事して、繰り返して。
そんな君と僕で、この社会は作られているんだ。
何かを変えるためには動かなきゃいけない。
そんなことはわかっている。
でも、どうしたらいいんだろう。
どうあればいいんだろう。