もみじろぐ

とある男の、心のほんの一部

社会なんてない、君と僕だけだよ

最近、痛ましい事件が続いている。

事件を悼むあまり、誰かに矛を向けたがる人がいる。
加害者、一部のカテゴリーに属する人達、○○な意見を持っていた人達。


無論、この世の理不尽を許してはいけない。
事件はいつだって理不尽だ。
人として、憤るべきだと思う。
怒りも、悲しみも、やるせなさも、感じるべきだと思う。


でも、それを誰かに向けてしまっていいのだろうか。




矛を向ければ、その人だって黙っていられない。
多くの人は、直接やり返されることはない、なんて安心してるかもしれない。
でも、やり返さなくとも、その影響で別の誰かに矛を向けるかもしれない。
それがある人から始まり、どこまでもぐるぐると人々を渡っていくかもしれない。
めぐりめぐって、なんの関係もない、なんの落ち度もない人が傷つくかもしれない。

きっと、そうなっている。

負の連鎖だ。

やられたらやり返していいのか。

無抵抗であれ、というわけじゃない。
戦っていい。立ち上がっていい。屈しなくていい。
でも、戦い方はやり返すことだけじゃないはずだ。



みんな、この不幸を、大きなものがなんとかしてくれると思ってる。
社会がなんとかしてくれると思ってる。
誰かがなんとかしてくれると思ってる

違うよ、
ここには、君と、僕しかいない。
語る僕と、聞いている君しかいない。

複雑に絡み合った関係性だって、紐解いていけば、単位は一対一の関係だと思う。

皆が呼ぶ社会ってものは、たくさんの「君と僕」で出来上がってるんだ。

どうして、それに気付かないんだろう。
あるいは見て見ぬふりをしてしまうんだろう。



僕は、そんな大人達が、子供の頃から嫌いだった。
テレビの前だけで何かのせいして、偉そうなこと言って、でも結局変えるために何も行動しなくて。


もう僕も大人になってしまった。

反面教師でこうして突っ張ってみせてる僕だけども、結局君と同じかもしれない。

何ができるかもわからず、何をすべきかもわからず、流れていくニュースを眺めて、意見を内に秘めて、ご飯食べて、寝て、仕事して、繰り返して。


そんな君と僕で、この社会は作られているんだ。



何かを変えるためには動かなきゃいけない。
そんなことはわかっている。

でも、どうしたらいいんだろう。
どうあればいいんだろう。