ゲームを恋人と共有するのは難しい
僕はライトではあるが、splatoonやモンハンなどを嗜むゲーマーである。
今回のテーマは、ゲームを恋人と共有するのは難しいの巻である。
そもそもとして、テレビゲームは男子の嗜みであって、たぶん世間一般には女子でゲームに興じる人は少数派だ。
なので、僕の場合、その少数派な方とお付き合いできているのがまず幸運なことだ。
かつてゲームへの理解を得られず関係性をこじらせた僕としては、そこへの感謝は忘れてはいけない。
が、しかし。
それはそれとして問題は起こる。
同じゲームをプレイしていると、進捗や技術に差が生まれ、それにより劣等感やコンプレックスを刺激されスランプに陥ってしまうのだ。
当人含め、勘違いしないで欲しいのだが、これは決して特定の個人だから起こる問題ではない。
少なくとも僕自身、ゲームの技術で劣るのを実感する機会は多々あったし、実際に劣等感を感じ苦手意識を植え付けられた記憶がある。
よってこの問題提起は、スランプに陥る当人の精神的脆弱性を批判しているつもりもないし、ましてや関係性を嘆いているわけでもない。あくまで前向きに、「どうにかしたい」という意思に基づいてるのを理解して欲しい。
ゲームの強さは先天的かも
ゲームは緊張感や刺激性の高い娯楽ではあるが、反射神経のような先天的な運動能力を必要とするジャンルも多い。
運動能力が低く、幼い頃から損ばかりしてきた僕は、その"先天的などうしようもなさ"を知っている。ぶっちゃけ運動能力がモロに反映されるスポーツ系ゲーム、スマブラなどは苦手意識が強い。
楽しいんだけど。負け続けるとやっぱり辛い。
つまり何が言いたいかって、努力や経験でどうにかなる強さも限界があるんじゃないかって話。
かくいう僕も運動苦手なのでゲームを弱い方だと自覚しています、謙遜じゃなくて、マジで。
弱い人はどうやったって弱いし、その逆も然りなんじゃないかと。
後天的にどうにかできるのはRPGとかかな?
ゲームは娯楽であって闘争である
体が闘争をもとめる、的な。
前言撤回というわけではないのだけど、ゲームは娯楽といえど"楽"ではなく努力が必要だ。
先天的にどうにかならない部分ももちろんだが、後天的に伸びがゼロかというと、そんなことはない。
結局強い人は、まずプレイ時間が違う、熱意が違う、忍耐力が違う。
それは心構えの問題だと思う。
娯楽といえど弱肉強食。強くありたければ、心構えは必要だと思う。
ゲームに限った話ではなく、趣味全般、クオリティを追求すると闘争の身を投じることなるよね。
エンジョイ勢の心
"エンジョイ勢"という言葉は、弱くても楽しみたいというライトゲーマー達の願いが詰まっている。
ただ悲しいかな、エンジョイ勢といえど、勝ち負けはあるし、成功失敗はある。
負ければ悔しい。負け続ければ辛くなる。
結局、心はみんなガチ勢なのだ。
真にエンジョイ勢の心があるとするならば、そういった勝ち負け白黒の価値観とは離れたものだろうが、それはもはやゲームというシステムを楽しめているかさえ怪しい。
ゲームを繋がりに
話がゲームという仕組み自体に逸れたが、一般的に我々はゲームの進捗や技術の差について苦悩することは少ない。
「あぁそうか、自分は下手なんだ」と認識し、触れなければいいだけの話だからである。
所詮、娯楽。触る義務も必要性もないのだ。
しかし、それを人間関係の橋として用いていると、話は別だ。
意思に反して、触る必要性に迫られてしまうのだ。
強引な解決法は、「ゲームを繋がりとして用いない」というものだ。確かに、そもそも共有を諦めてしまえば、その差で息苦しい思いをすることはない。
しかし、共有できるものを持っておきながら、それをあえて避けるというのも、僕には苦痛だ。
解決策募集
そして結論は出ていない。
要するに「楽しく一緒にゲームがしたい」だけなのだが。