もみじろぐ

とある男の、心のほんの一部

予定のない日、暇な時間の価値がわからない人々

この気持ち、とてもわかって欲しい。

「今日暇なんだけど」
「暇すぎて死にそう」
「予定いれてないと落ち着かない」

そんなことを言ってしまう人の気持ちが全くわからない。

いや少しはわかるけど、でもなんか納得できない。

暇=自由

特に同年代の同じ大学生という立場の人達を見ていると、高頻度で「ひま、つらい」といった主旨の発言をしてる人を見かける。

わけがわからないよ。

暇って自由ってことでしょ?
一日中自分の好きなことをしていい、寝て過ごしてもいい、そんな自由な時間でしょ?

なぜその価値がないような発言をするのだろう。

むしろ社会人になってからはその自由を獲得するためにさえ奔走するかもしれないというのに、その価値をなぜ見出だせないのだろう。

誰かと過ごさないと時間の価値を発見できない

そういう人が多い気がする。

まぁかくいう俺も「ずっと1人で家から出ない生活を送れ」と言われれば孤独でどうにかなってしまうだろう。

けど例えば週に1日や2日、自分だけで過ごす自由な時間ができたとしてなぜそれが辛いことなのだろう。むしろ歓迎することじゃないのだろうか。

どうして誰かと過ごせないとその時間の価値を発見できないのだろう。自分一人では暇をつぶす能力もないのだろうか。


金銭的に余裕がなく出かけられないという場合もあるかもしれない。しかしそれでもできることの選択肢は少なくないと思う。

昼寝、考え事、掃除片付け、読書、ネットサーフィン、散歩、ウィンドウショッピング。お金をかけずとも時間を潰せるツールは見回せばたくさんある。

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もっとのんびり生きようよ

というか、「時間が余るならば何かをしなければならない」みたいな考え方がそもそもどうなのだろう。本当に何もせず、ぼーっと過ごすだけではダメなのだろうか。

「何もない時間」というのはそんなに忌むべきものなのだろうか。

ただ何かをしてる自分に安心したいだけに動き回っているのではないだろうか。
「時間がもったいない」という考えにとらわれ続けていいのだろうか。

何をそんなに慌てて焦ってセカセカしているの?

余裕があるなら、何の予定もなくのんびり過ごす時間があってもよくない?

まとめ

俺がバイトもせず「休日はゴロゴロ過ごすの万歳!」な学生ニートだからこんな思考が浮かんでくるのだろうか。

ニートに限ってこんな話するから余計自己正当化みたいに聞こえるのかもしれないね。


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この本にも書いてあったよ。詳しくはこちら


別に価値観を押し付けたいわけじゃない。

ただ俺は元々体力がないところも大きく、何か予定だらけの日々には辟易としたものを感じてしまうのだ。

忙しさは確かに心を埋めてくれる。何かを頑張っていれば辛いことも考える余裕さえなくなる。それは素晴らしいことだと思う。

でも肉体的にも精神的にも「何もしない日、とりあえず何もしなくてもいい日」があってもいいと思うんだ。
1度世俗のセカセカした時間の流れから離れてみるのも悪くないんじゃないだろうか。


予定のない日や暇な日の価値はかけがえないと思うんだけど、どう思いますか?