もみじろぐ

とある男の、心のほんの一部

俺の複雑な事情を解説しよう

改めて、俺の、我が家の事情を解説する。
 
何度も闇を漂わせて情報を小出しにしてきたので、正直みんな混乱している頃だと思う。だから時系列順に、情報を整理していく。
 
 「過去にこんなことがあったから」という理由で何かを主張したいわけではない、ただ、振り返ってみたくなっただけ。
 
 
 

小学生まで

俺は東京生まれ。兄弟はいない。
 
家は3階建ての二世帯住宅。つまり1階と2階に別々の入り口があり中は繋がっていない。1階に父方の祖父母が住み、2と3階に俺の一家が住んでいた。
 
俺が幼稚園の頃、母ががんを発症する。当然俺は知る由もない。
 
小学校は某有名私立大の付属校。俺はどうやら補欠でギリギリ合格したらしい。
 
 
しかして、父の転勤がきっかけで小学校2年生にて東京を去り京都に家族三人移り住む。ここが俺の一度目の転校。その際、空き家となった2階と3階は賃貸とする。
 
ここで俺に衝撃を与えた「父が突然ゲーム廃棄事件」が発生。ここより父が嫌悪の対象となる。
 
 
小学校4年生のとき、母の体調が悪化し母方の祖父母(こちらも東京在住)が自らそばで世話をしたい、と京都に引っ越してくる。
 
俺も同時に引き取られるような形になり、母方の祖父母、母、俺の四人で新たな住宅を借りて住むことになる。よって俺は二度目の転校、父は引っ越してきて住んでいた家に残った。
 
 
そして小6で母が他界。祖父母は東京に帰り、小学校の残った期間は父と二人で過ごす。
 
ちなみに中学受験なるものをしたが、尽く全落ち。やはり俺の勉強不足が原因だろうが、父は「もうこの子を育てられない」と思ったそうだ。
 
 
 
 

中学時代

父に見放され、俺は東京の生まれた家に送られる。とはいえもともと住んでいた2,3階は賃貸のため人が入居中。よって1階に住んでいる父方の祖父母の元に置かれる。だが1階は狭く、自室もなかった。
 
これが三度目の転校。地元の中学に通う。
 
祖母は優しい人だったが、祖父が厳しい人で
「親に似て学者目線で喋る」
「女みたいな性格で気持ち悪い」
などを言われ続けた。
 
父とは物理的に距離をおいたものの、頻繁に
「勉強はしているのか」
「漫画でなく本を読め」
と耳の痛いメールを送ってきて、たまに訪れては俺に小言だけ言って帰っていった。
 
そして学校ではちょっとしたいじめのような何かを経験し、あまり楽しい場所でなかったりもした。
 
 
そういったことが小さく積み重なった結果だったのだろうか、中2にて不登校になる。朝起きれば頭痛、気だるさ、吐き気、腹痛、様々なものに襲われた。
 
俺はそれを必死に訴え、多くの病院に行き、やがて大きな大学病院に行き「自律神経失調症」という診断を受ける。
 
 
そんな俺を父は「自分で病気を作っている」とまるで仮病のように扱い、祖父は見ているとイライラするからと自分の地元(東京は祖母の地元)へ帰って、ときたま戻ってくるだけになった。
 
 
中3でなんとか回復を果たすが、学校の勉強についていけず成績はひどい有様。
 
高校は推薦でなんとか入れてもらった。
 
 
 
 

高校時代

高1ではまだ不登校をまだ引きずり休みがち。
 
部活で人間関係を構築してなんとか高校生らしい生活を送れるようになる。
 
 
高2の春から早めに受験勉強を開始する。当時は自分の能力を過信し、本当に勉強をしていると思っていた。
 
そんな姿をみて祖父母は喜び、「もうこれは東大目指すしかない」と煽った。俺もそれに乗せられて志望校に掲げるなんて暴挙もした。
 
一方父はそんな俺を「勉強のふりばかり、受かるわけがない」と冷ややかに罵る。いや、結局そのとおりだったのだが。
 
 
自分の実力に限界を感じた高3の夏からゆるやかに引きこもりの闇へと落ちていく。
 
出願して受験に行かない大学もあった。当然、全落ち。
 
 
 
 
 

浪人から現在

そして浪人生となり、父が「一年は俺が面倒をみる」と引き取る。
 
その頃父は京都から大阪に転勤しており、俺は行ったこともない大阪という土地に放り込まれることになる。
 
志望校は大阪に行く前から実家から通おうと、関東と決まっていた。
 
 
 
そして紆余曲折を経てようやく大学に合格。
 
ようやく終わったかと思えた地獄もまだ続く。
 
 
まず、俺は2,3階に大学に入ったら住むつもりであったのが、契約年数などの関係でまだ空いた状態になかった。早くても開くのは今年の8月。それまでは中高時代同様、1階で暮らさねばならない状況だった。
 
俺の苦手とする祖父も俺が大阪に去ったことで、こちらに戻った状態をキープしていた。祖母が足が悪く買い物が辛いため、祖父が運転する車が必要になったというのもある。
 
最初は半年程度、我慢など苦にならないと思った。
 
が、受験の緊張状態から開放された反動か、ふとしたきっかけで祖父母の俺に対する鬱憤が爆発。お年寄りというのは怒りの伝染性が強い。中高時代の俺の惨めさを延々と語りだす。挙句には自分の昔話を持ちだして比較し始める。
 
 
そしてもっとも俺を苦しめるのは、父と祖父の意見の違いだ。お互いに全く違う意見なのに、同時に居合わせると祖父が黙る。父方の祖父母は父に一切口出しを避けるのだ。そのくせ父がいないところでは自身の意見を押し付ける。
 
 
父は父で大学合格が決まるなり「おめでとう」もなしに「これからの勉強は…」「単位は…」と小言ばかり。
 
 
 
 
そういう経緯で、耐えられなくなって、飛び出した。一人になりたかった。一人で息のつまらない空間が欲しくなった。
 
 
 
当然、今回語った事情は、俺の主観で語ったものにすぎない。故に事実を誇張している部分もある。
 
 
けど、なんていうのだろうか、俺が家族に飢えている背景を伝えたかった。
 
少しでも思うところがあったのなら、幸いだ。
 
 
 
 
重苦しい記事は…このブログの恒例と目をつぶって欲しい。吐き出す場がここしかないのだ。
 
 
 
おしまい。