もみじろぐ

とある男の、心のほんの一部

結局父親に似るのか

父親が嫌いだった。

正しさのハンマーで人を殴ってくるような人だったから。


無論、当人に殴っている自覚はない。

正しくないことを正そうとしていただけ。その正しさは決して独善的ではなく、誰が見ても「まぁ確かに正しい」と言える本当の正しさで、それをただ貫いている人だった。

だから今思えば、父は糾弾されることは何もしていない。
むしろ誇れる親であったはずだ。

それでも小学生から高校生にかけて、僕は父を本気で嫌悪していた。


その理由は、自分の一切の感情を無視されたからだろうと思っている。
物事の結果だけを見て判断され、僕の内側で起こっていた過程を切り捨てられるようなことが多くあった気がする。



そんな嫌悪した父の特徴を、僕は継いでしまっている気がしてならない。

人に教えるとき、つい熱が入ってしまう自分を感じる。

正解を何より優先してしまう自分がいる。



うまく言葉にできないけれど、父と同じような人間になっている気がする。

なぜか今になって父に同情できるし、なぜか今になって父の苦労が身に染みる。


結局、男ってこういう生き物なの?
結局、頭でっかちで、固くて、融通がきかない人になっちゃうの?

ポジティブを嫌煙する自分

心が狭くて、みみっちくて、醜い人間だと思う。

僕はポジティブを強いられると、そのことがストレスに感じてしまう。
でもきっとそのこと自体がネガティブを肯定している証で、そんな自分が嫌で、かといって自分を外側から曲げられるのも嫌で、ほんと、何もかも嫌になる。


ポジティブを語る心理学の講義を受けつつ、僕の心の中にはいつも反抗心がうずいている。

なんで、明るいものを素直に受け取れないんだろう。なんで疑って、斜に構えて、毛嫌いしているんだろう。


それは多分自分が好きすぎるせいだと思う。

自分のことは嫌いだ、でも、自分を外側から変えようとする圧力はもっと嫌いだ。
ずっと圧力をかけられてきたから。あるいはそういう悲劇の自分をずっと演じてきたから。
正しいことでも、いや、正しいことだからこそ、押し付けられるのが不快なんだ。


たぶん僕には「ポジティブであれ」という教えも、'自分を外側から変えようとする圧力'に聞こえてしまうのだろう。



いい加減、'今の自分が嫌い、だけど自分を変えたくない'という右を見つつ左を見るような幻想を諦めたい。



何もかもがだるくて、何もかもがめんどくさい。

うだるような暑さで、脳が溶けているんだと思う。

心が狭い生き物

人はみんな心が狭いと思う。

自称心が広い人も、狭い人に「うわーなんでそんな心狭いのーありえないー」と嫌悪を抱くぐらいには心が狭い。

みんなみんな心が狭い。



僕も心が狭い。

おまけにプライドも高い。意地っ張りでもある。



自分の意見を否定されるとムッとする。

偉そうに話してる人を見ると、実際に偉い人でもいらっとする。

自分よりもレベルの低い人を見るだけで、「そんなこともわからないのか」とピリピリする。


馬鹿な人が馬鹿をしてるのを見るだけで悪態をつきたくなる。


アドバイスした内容を突っぱねられるだけで、頭にモヤがかかったみたいになる。

自分の思い描いた通りに動かない人に、腹をたててしまう。





そんなことに、動揺しても無駄なのは理解している。自分が世界の中心になったつもりでもいるのか、と言われるだろう。

でも、これは僕の物語なのだ。僕が主人公なのだ。
僕の物語では、ずっと僕が中心にいるように話が進んでしまうんだ。

しょうがないじゃないか。

わがままでも、心が狭くても、周りを許せなくても




そうやって自分を肯定しちゃう自分が心底嫌だ。はやくこんな僕を殺してくれ、痛い目に合わせてくれ

自信をあえて持たないようにしている

もともと自信過剰な性格だ。

負けず嫌いで、プライドが高くて、自分が一番でいたい人間だ。

人に勝っているという状態ほど、優越感に浸れるものはない。


みんなはどうなのかな。

周りがどんなに凄くても、自分だけがビリッ欠でも、気にしないのかな。


まぁ僕も負けても何も感じないジャンルは確かにある。

けど、自分が下にいるという感覚はどうにも屈辱的で、どうにか上にいたいと思ってしまう。




人間関係を縦軸で捉えているんだ。

だってそうだろう。

優れている人は確かにいて、ポンコツも確かにいて、どっちつかずな自分がいて。

みんな得手不得手はある、同じ水平線を歩いているんだって言ったって、やっぱり前か後ろか、優劣は確かにそこにある。





そうどうしても思ってしまう僕は、自信なんて持たない。

自信を持ってしまったら終わりだと思っている。



いや、すでに自信過剰な節があるぐらいだから、慎重に控えめに、自分を押さえつけてちょうどよいレベルだ。
得意気になる自分に言い聞かせる「調子に乗るな、お前より上はいくらでもいる」。

おかげで自己効力感なんて全然持てない。


自分を疑い続けないと、自信が自信として強固なものになってしまったら、ただの融通のきかないクソリプおじさんだ。
「昔はよかった」とぼやき続ける年寄りと一緒だ。
そうなりたくない。嫌われたくない。


でも好かれたい。誰かに憧れられたい。ちやほやされたい。人の言葉に翻弄されたくない。しっかりした意見の筋の通った立ち位置にいたい。もっと自信を持ちたい。自分を疑わずに楽に行きたい。


暗い子アピールして、哀れんで欲しいだけなのかもしれない。あーなんて浅ましいんだ、自分は。



2つの意思がぐちゃぐちゃ混ざって、目指す人間性もちぐはぐで、前にも後ろにもいけない。