もみじろぐ

とある男の、心のほんの一部

社会的に「男」であることをやめたい。目指すはジェンダー・センシティブ

前々から、男をやめたいと思っている。

ここで誤解しないで欲しいのが、僕は性的マイノリティではない。マジョリティ同様に異性に恋をし、同性に性的興奮をすることは無い。


僕がやめたいと言っているのは、「社会的な男」の話。「sex」でなく「gender」の意味だ。

僕は一般とされる男性像が嫌いで嫌いで、仕方ないのだ。
特に、女性に対しての「男性」という存在のあり方に強烈な嫌悪を感じる。自分がその一員であることが我慢ならない。

女になりたいわけじゃない、けど、男として存在していたくない。

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Twitterは依存しすぎなければなんだっていい。

久々のSNS論。

かつて大学でツイ廃*1芸人を名乗っていたこともあった僕ですが、まぁ本当にいろいろ痛い目に合いまして、ようやく健常なる(?)Twitterユーザーに成長しました。


そんな僕のタイムラインにとある方のブログが流れてきまして、
kanonote.com


とても共感でき、様々な方向への配慮と感情を込めた溢れんばかりの内容でした。かのさん、本当にお疲れ様です。

ただどうしても、ここまで情熱の篭ったものを読んでしまうと、なんというのでしょう。創作欲が刺激されるというか、何か言わずにはいられなくなるというか。

決して反論、というわけではないのですが、かのさんに引き続いて僕バージョンの「わたしの場合のマイルール」を語りたいと思います。

*1:Twitter廃人。Twitterに依存しまくりな人です。

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インドを大名旅行しただけで世界観が変わった話

報告遅れましたが、インドに旅行してきました。8/15~24の9日間。

親父がたまたま仕事の会議が現地であるということで、それついでに旅行しようということで行ってきました。

正直なかなかハードな旅でしたが、得たものは大きかったです。

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自己犠牲と譲歩と自我と、自信

自分より人。

自分の意思と人の意思が衝突しそうになったとき、あるいは、人の強い意思を感じ取ったとき、決まって僕は相手に道を譲る。会話の主導権という名のバトンを渡す。

喧嘩になりそうなとき。
相手の機嫌が悪いとき。調子が悪いとき。
相手が何か強い主張を抱えているとき。
会話を回したそうにしているとき。


それを感じ取った瞬間から僕は一人の人間ではなく、相手にとってのリスナーであり、相槌係であり、カウンセラーであり、なんでも屋になる。

譲歩、どころか、自己犠牲のような気もする。

いつからか、あるいは最初から、僕はそんな自己犠牲的な生き方を選択してきた。

あらためて振り返ると、損得で言えば見るからに損であるし、精神的な負担も少なくない。それでも、その生き方を変えられない、替えられない、自分がいる。そんな話。

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