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事実と意見の区別せよ・発信の心得〜「10代からの情報キャッチボール入門」を読んで〜

 
 
今回も読書感想文だよ。
 
本日ご紹介する本はこちら!
10代からの情報キャッチボール入門――使えるメディア・リテラシー

10代からの情報キャッチボール入門――使えるメディア・リテラシー

 

 

 
今までの感想文を書いてきた二冊の本に比べると結構読みやすくて一日で読みきれたよ。てか今までのが重すぎたってのもある。
 
まぁタイトルに「10代から」と付いてるし、文章の語りかけるような雰囲気も中高生を想定したものなんだろね。
 
本棚にかなり前から並んでいて読まないとって手にとったんだけど、おそらくこの本を買ったときの心情は「大人向けより読みやすいから」とかそんな感じだったはず。
 
 
この本は、メディアを介したコミュニケーションを「キャッチボール」と称して、情報の「送り手」と「受け手」という視点から指摘を加えていくという内容。
 
 
著者の実体験を例に出して「誰もがネットでは被害者にも加害者にもなりうる」と解説した上で、
情報の被害者にならない《賢い受け止め方》と、加害者にならない《正しい発し方》
を《4つのギモン》と《4つのジモン》と題して紹介している。
 
 

『事実と印象・意見をごっちゃにするな』

情報は人が発するものである以上、事実を淡々と伝えるだけのものは案外少ないんよね。印象や意見をたっぷり含んでいる。
 
それを鵜呑みにしてしまうと、印象や意見の部分が事実と同等の扱いを受け、最終的に書き手が伝えるべき事実が変わってしまうこともある。
 
そのために事実と印象・意見の仕分けをしなければいけないとのこと。
 
確かにその通りだと思う。
 
あくまで書き手の主観での印象が事実になってしまったら大変な騒ぎだ。でもこれが現実のかなり起きている。
 
 
本文で紹介されてる例を引用すると、
 
〈事例F〉 報道のターゲットにされている人の自宅前から
 
疑惑の△氏はこわばった表情で、記者を避けるように裏口からこそこそと出て行った。
 
わりとありがちに思えるこの表現。でもこれってすごい事実に印象がプラスされている。
 
どこが事実で印象か、ちょっと考えてみて欲しい。
 
 
この文章にある事実は、「△氏は裏口から出て行った」だけだ。
 
びっくりだよね。これなら特に何の印象も抱かないのに、元の文章を鵜呑みしたら明らかに怪しそうなイメージを植え付けられてしまう。
 
だって「疑惑の」も事実と断定するものはなにもないし、
「こわばった表情」なのは元からそういうゴツい顔の可能性もある。
「記者を避けた」どうかもわからない。
「こそこそと」しているように見えたのは猫背で姿勢が悪いからかもしれない。
 
これでもし無実の人だったらどうするんだろう。考えると恐ろしいよね。
 
 

でも「事実と意見」仕分けをしたとして、問題が生じてしまう。

 
だってさ、ニュースをレポートするときに本当に事実だけ淡々と言われたら「なんか無味乾燥だなぁ…」って思わない?
 
さっきの例なら
「△氏は裏口から出て行きました」
の一言。
現場からは以上です、ニュースを終わります。
 
っておいっ!!それだけかいっっ!!
 
 
自然な感覚として、印象がプラスされてる
「疑惑の△氏はこわばった表情で、記者を避けるように裏口からこそこそと出て行きました」
って方が、明らかに読む気をそそられると思う。
 
 
これを筆者は情報を料理に例えて説明してる。
 
「情報」を料理にたとえるなら、《事実》は素材で、《意見・印象》は調味料。上手に調味料を使って「素材を食べやすくしてほしい」というのは、食べる側の希望でもある。
「素材は何でもいいから、この人の味付けが味わいたい」というリクエストだったある。そういう希望や、それに応えるための料理人の工夫は、永久になくならない。
 
うまいことを言うなぁ。
 
ブログなんかまさにそうだと思うんだよね。その人の味付けが気に入ってたり、興味があるから、素材つまりテーマはなんであろうと読んで味わう。
 
だからそこで「それはあくまであなたの意見ですよね?!」ってツッコミいれるのは野暮だと思う。
実際にそういうめんどくさい輩、ネット上にいっぱいおるし、そういうのに目をつけられた方の苦労は計り知れない、マジで。
 
 参考記事
 
「それなら事実なんてどうでもいいじゃないか!!面白ければいいんだろう?!」
 
いやいや、そんな極端な話ではないんだ。
 
何か情報を発信するなら、そこの核となる事実の存在は重要だ。
 でも大事なのは意見とか印象を排除することじゃなく、受け手が事実と混同して受け取らないことなんだ。
 
「私はこれを見てこんなこと思ったよ」ってのを「これの実態はこうだ!」って捉えなければいいんだ。
 
ふと冷静になって「この人はこういう意見だけど、事実は違うかもしれないよね」って視点に立てればいいんだ。
 
 
 

 発信する側の心得

もう1つ印象に残った箇所がある。これは今の「受け手」の心得じゃなくて「送り手」側の心得。
 

情報には「易しさ」がいる。

情報を発信するときはこれで伝わるかを意識せよ。
 
 言われてみれば当たり前のことだけど、大事なことだと思った。
 
ここでは「伝わる」と「伝える」の違いを強調している。
 
「伝える」は《自分が発する》こと、「伝わる」は《相手に届く》こと。
 
手紙にたとえるならば、「伝える」は便せんに書いて封筒をポストに入れるまでのこと。
「伝わる」は、相手がその封を切って便せんの中身を読んで理解した瞬間を指す。
 

 

確かに。これをごっちゃにして「伝える」で自己満足しちゃう人は結構いるかも。
 
まぁこれは学者とか官僚とか、偉い身分にいる人たちに刺さる気がする。
俺は偉い立場にいればいるほど「易しさ」に無頓着になるものだと思ってるのだけれど。
(これも勝手な俺(書き手)の印象
  
 
これは俺が生きてきて、それなりの数の教師という立場に立つ人を見てきて感じた印象なのだけれど、「前提で必要とする知識が一切なくても、その話を理解できるような丁寧な伝え方ができる」人っていうのがものすごい少ない。
 
それは時間の関係だったりで省かざるをえないのかもしれないけど、どうしても「伝える」の段階から抜け出せていない気がする。相手を思いやって「伝わる」かを意識できていない気がする。
 
俺はそういう人達にすごい不満を感じてたから、そこはかなり前から意識してるつもりでいるんだけど、どうなのかな。
 
昔から「教えるのがうまい」って言われることが多いから、貴重な長所として少し温めてるんだけど…(ボソッ
 

送り手が「汗をかけ」

この「送り手」の心得のまとめとして筆者は面白い提言をしていて、《汗の総量一定の法則》というものだ。
 
発信側がうんと汗をかいて思いやりたっぷりに情報を投げれば、受け手の側はほとんど汗をかかずに楽にそれを受け取れる。
逆に、情報の送り手があまり汗をかかずに適当な発信をすると、受け手の側がそれを理解するためにあれこれ考えて汗をかかなければいけない(それが面倒だと、受け手は情報のキャッチを拒否してしまう)。
 

 

 なるほど、これは確かに。汗の量が一定っていうのは送り手と受け手がかく汗を足したら一定、ってことなんだね。
 
ここで「総量が一定なら、相手にかかせればいいだろ」って思っちゃダメなんだろうね。ちゃんと「伝わる」には送り手がたくさん汗をかいて渡さないといけないんだ。
 
 
 

感想

想像以上にサクサク読めちゃって、内心「これで感想文書けるかなぁww」って感じだったんだけど、わりと書き出したら言いたいこと溢れてくるもんだね。
 
メディアリテラシーってことで、読む前は「ネットは気をつけないといけないよ」みたいなことが書いてあるのかと思いきや、ここで述べられてることはむしろ日常的な会話でこそ意識すべきじゃないかなってものばっかりだった。
 
 
どちらかというと、コミュニケーション教本って感じかも。
 
興味持った人は軽く読み流せるしオススメだよ♪
 
 
 
おしまい。