幸せな人への嫉妬と壁
幸せな人への嫉妬が止まらない。大きな壁を感じてしまう。
幸せな人、幸せそうにしている人がいる。
恋人がいる人、友達に恵まれている人、趣味にとことん打ち込める人、家に帰れば幸せな家族が待っている人。
そんな人達がいて、そうじゃない自分がいる。
自分には自分なりの幸せがある。そんなことはわかっている。
恋人だっていたことがある。友達だっていい奴がいっぱいいる。楽しくなれる趣味だってある。家族だって、ときたま大きな幸せをくれる。
なのに。
嫉妬が止まらない。羨望が止まらない。
何か大きな壁があって、穴から向こうを覗くとそれはそれは明るく眩しい世界があるように見える。
壁の向こう側の人が語りかけて来ても、慰めにしか聞こえない。哀れみにしか聞こえない。
なんでだろう。
どうして、いつから、僕はこんな可哀想な人になってしまったのだろう。
あなたにはわからない
オマエなんかに、私の苦労が、悲しさが、孤独が、わかるもんか。幸せの溢れているオマエに、わかってたまるか。
わかってほしい。でも簡単にわかってほしくもない。
本当はみんな苦しんでいるってわかっている。それぞれの生きづらさを抱えて、それでも立ち向かって生きているってわかっている。方向が違うだけで、生きづらさとか悩みとか、そんなの比べるものじゃないってわかっている。
でも自分はきっと立ち向かう力が弱くて、生きづらさを口にして泣き喚かないと気がすまない。なんて傲慢で自分勝手な生き物なんだろう。
本当に、本当にこんな自分が大嫌いだ。
でもこんな自分を変える力も意思もない。
だからこんな自分を愛して欲しい。認めて欲しい。必要として欲しい。そうしてくれたらきっと変われる。きっと生きていける。きっともっと自分を好きになれる。
自己愛が強いのに、自己肯定感が足りない歪な状態。だから肯定をしてくれる人を希求する。
気持ち悪い?理解できない?
そうだよね、ほら、あなたにはやっぱりわからない。知ってたよ。だからここに壁があるんじゃないか。
気付いたら右も左も周りが壁だらけ。向こう側が全然見えない。
それぞれのムラ
それぞれの生き方がある。それぞれの考え方がある。それぞれの生きやすい土地がある。
生きづらさは生きづらさを集める。闇は闇を引き寄せ、光は光で惹かれ合う。類は友を呼ぶ。
気付けば人達はそれぞれの似た人ばかり、都合の良い人ばかりで固まって居心地のよい集落を作る。会社、学校、ネット上、あちこちで集落が生じる。
現代も立派なムラ社会だと思う。
それが良い事なのか悪い事なのか、よくわからない。
けど何か集落の中にいただけじゃ見えないものがあると思う。似たような人が集まって見落とされる視点があると思う。
人は足りない部分を埋めるために人と関わるのだとして、似た人同士では長所はより長所に、穴はより大きな穴になるだけな気もする。
壁をより分厚くしているのは集落かもしれない。
分かり合うために
本来人が分かり合うのは難しい。ちょっとした共感は簡単でも、全てを分かり合うのは相当な困難だ。もしかしたら不可能かもしれない。
それを忘れてはいけないと思う。
NARUTOの、ナルトとサスケの関係はまさにいい例だと思う。
NARUTO-ナルト- コミック 全72巻完結セット (ジャンプコミックス)
- 作者: 岸本斉史
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2015/02/04
- メディア: コミック
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主人公のナルトとライバルのサスケは、お互い才能に恵まれながらも不幸な境遇と孤独な少年時代を送っている。
ナルトは努力で次第に人に認められていく一方、サスケは復讐に取り憑かれ悪の道へと落ちていく。
周囲がサスケを諦めていく中、ナルトだけはサスケを信じ続け何度拒まれても手を伸ばし続け、全力でぶつかり続けた。
どれだけ似ている同士だとしても人が分かり合うにはこれぐらいの苦労がいるのかもしれない。
NARUTOは人と人がわかり合う苦難を、忍者という設定を通して描いたアツい物語だ。
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いつだったか、コミュニケーションの汗一定量の法則、という考え方を耳にしたことがある。
コミュニケーションを取る際、相手に自分の意図が伝わるためにかく汗の量は一定であり、そのため伝える側がより汗をかけばより相手に伝わりやすい。逆に伝える側が楽をしてしまうと相手のかく汗、つまり負担を増やしてしまい伝わりにくい。
分かり合いたいと願うなら、きっと自ら率先して汗をめいっぱいかかなければならないのだと思う。
自ら自分の壁も壊し、余計な感情も吹き飛ばし、相手の壁も壊すぐらいの気概がないとダメなんだと思う。
でもそこまでのことを出来ている人はなかなか見ない。俺もたぶん、できていない。