会話とはキャッチボールなのであって、
会話とはキャッチボールだとよく言われる。
どこの年代まで浸透している慣用句(?)なのか定かでないので、もしかしたら、僕が糾弾したい人らはこの言葉を知らないのかもしれない。
だから強く言う。
キャッチボールなのだ。
決してバッティングセンターでもないし、投球練習場でもないのだ。
双方向のやり取りなのだ。
相手の球をどこか遠くへ飛ばすのも、相手に受け取れない球をこれでもかと投げつけるのも、「会話」という言葉の意味から外れた行為なのだ。
初球で誤って一方的になってしまうことはよくあるかもしれない。
しかし、2手、3手でもその一方的なゲームを続けるなら、それは会話をする意思がないということになる。
会話をしよう。
自戒も含める。