もみじろぐ

とある男の、心のほんの一部

深夜の思考ログ@2017/6/11

とても久しぶりに、頭の中で言葉が渦巻いて眠れない夜がやってきた。

当方21にもなって、さもかっこつけた言い回しをしてしまうお年頃だけど、いわゆる昼寝のしすぎで偶然目が冴えているところに、センチメンタルな思考が流れ込んできたというだけだ。


さて、おそらく今までこの場所は、不肖わたくしの恥さらしの歴史そのものに他ならない。そしていつにもましてキザな言葉遣いを振り回したいこんな心の有り様では、そこにまた新たな歴史を加えてしまうだけのだが、とりあえず、この脳に延々と浮かんでは沈み、また渦巻くような言葉の嵐にお披露目の機会を与えてやるとしよう。


今、とても満ち足りた気持ちでいる。

それは今までに感じたことのあるようで、ないようで、きっと初めてだと思いたいことで、まぁとにかく何かこう良いモノが満ち満ちている。



かつての自分なら今の状況にどんな言葉を与えるだろうか。

「最高に幸せだ」「ここで死んでもいい」「リア充バンザイ」「ようやく探し求めたものに出会えた」

聞くだけで悪寒の走りそうなセンチメンタルな台詞が飛び出してきたに違いない。これが昨今巷で話題の「イキりオタク」というものだろうか。いやはや、くわばらくわばら。

さすがに不肖なわたくしでも、最近、あるいは数ヶ月前にはそんな台詞に赤面して、そんな気分になろうものなら慌てて口を塞ぐ知恵は身につけた。ようやく、という話なのだが、まぁ人類の進歩同様、我が心の進歩も日進月歩といったところで、まぁ意味がわからないのだが、五割程度わかったつもりになってくれると幸いだ。


ふむ。

つまり幸福な意味で「お察し」な状況ではあるのだが、しかしそれをわざわざ垂れ流して見せる悪趣味な気分でもない。

私がキーボードをカタカタと打ち込み始めたのには別の理由というか、いや、大したものではないのだが、もう少し違う趣向があることをご理解いただきたい。

なんというのだろう、この不思議な感覚を。

幸福と同時に余裕ができたのか、とても精神の歴史としては長い、でも時間的歴史としてはたかが3年そこらの記憶と感覚を遡っていた。


ふと自分の心の奥底あたりにある蓋を開けてみれば、自分の心の芯の素材というのは存外変化しないもので(変化することがあるのだろうか)、つまり自分の本質はそんなに変わってはいないと気付いた。

かつて、あるいはずっと、泣き喚くのごとく口にしていた通り、私は途方もない淋しがり屋だ。

「愛されることにしか興味のない人だと思っていた。」

そのようなことを誰かが言っていたらしい。全く、随分と本質を見抜いてくるじゃないか。ヒヤッとさせられる。


自分は、変われたのだろうか。本当に前に進んでいたのだろうか。知らぬ間に方向を見誤って、後退してしまってはいないだろうか。


どうでもいい。

そんなことは他人にとっては糞ほど、いや糞以下にどうでもいいことだし、自分にとっても今日の便通の調子を考えているほうがまだ有意義であろう。

私の脳みそというひねくれ者は相変わらず答えの出ない不毛な戦いに赴くのが好きらしい。



幸いと今は「なんてくだらない問に挑んでいるんだ」と諭してくれそうな相棒がいるので、不毛な戦いから帰還できないという結末はなさそうだ。

さて話を戻そうか。

私は、おそらくこの上なく一般的な人間であるし、人間らしさという意味でこの上なく傲慢であろうと感じる。

根拠はない。主観だ。

主観的に自分を擬似的に客観することで、つまり全くもって客観ではないんだが、まぁそんなつもりになることはできる。

それでそんな擬似客観で自分を見つめ直すと、自分には相反する矛盾極まりない人格のようなポリシーのような、何かがあると認識できる。

基本構造として、自分が大好き。なのに誰よりも自分を貶める。大好きな自分を殺そうと潜んでいる自分が大嫌いな自分。

対人構造として、人のためなら身を粉に、あるいは骨の髄まで砕き散らして、さも英雄のごとく朽ちたい自分。

それに一見相反するようで内に潜んでいる、他人が朽ちるのを真顔で見ていられるような、冷たく氷のごとき感受性の自分。

ふと同族と認識した他人に対して、その者の救済を切に願う自分。

恒久的な関係に飢え続ける自分。



どうであろう。

見事に人間的で、見事に一般的で、しかし見事に異端のようにも見える自我。



人は変われる、と誰かは言う。

また違う誰かは、人はそう簡単には変わらない、という。


こんなものは「諸説あり」じゃない。変わる対象が、範囲が各々の定義と裁量によって異なっているだけだ。どっちも真実に決まっている。


私は変わってもいるし、変わってもいない。

うん、なんというか字面だけならとても矛盾だが、これが矛盾とならないのが世の矛盾、というか許容の広さといったところだ。


見事に書いている私自身も路頭に迷うほどの話題の迷走ぶりだが、つまり、本当に出口なんぞ見えていないということがよく伝わっただろう。

話を具体的な、思い出話の次元に移行しよう。


思えば、私は何かに怯えて生きてばかりだった。

脅かされるのが常だったから。


決して不幸な家に生まれたわけじゃない。むしろ過保護に育てられすぎたおかげで、随分とマシュマロのような人格が成立するまでになってしまった。

父は厳格で、誰よりも真面目で、強く、前を向き続けられる人だった。たぶん今も変わらず誇れる父だ。

そんな父が幼い私には怖かった。強くあれ、そう言われているだけだったのに、それが脅威で、怯えていた。

母はそんな父を見初めるほど良い目を持っていたし、私はとうとう見ることはかなわなかったが、そんな雄々しい父でさえも唸らせるほど強い生命の輝きを放っていた人であった。

母も私の誇りではあるが、病床の母は、小さくなっていく蝋燭のようで、私にはまた違う心理的な脅威を与えていた。


生まれもち、またそうあることを許された甘ったるい性格は、一度外にお披露目されれば簡単に人を集めた。もちろんいい意味でもある。

しかし私の大半の記憶を占めるのは、私を脅かす数多の外の脅威だった。

いじめられっ子、という立場もさほど悪くなく思えた。

大人受けのいい子、というのもなかなかに心地はよかった。

深く傷つきはすれど、自然治癒は間に合っているように思えたし、実際ほとんど間に合ってはいた。

何かに触れて壊してしまうぐらいなら、自分が一手に引き受けてしまいたかった。

怯えて自分を隠し、また自分を守り、他人を守った気になって、それが処世術だった。外との繋がり方は、それしかわからなかった。


思春期と呼ばれる時期には身体に異常が出たりもしたけれど、しかしそれも怯え、逃げ続けた過程であったように思う。


恋愛なる甘美な蜜に出会って、しかしその怯えた姿勢は変わらなかったと思う。

何より家族という仕組みが持っている(と勝手に妄想していた)安心を希求していた私は、常にそれとはアンバランスな代償を支払い、またそれを相手にも求め、自壊をしていった。

ただ必要とされるのが嬉しかったし、不必要の烙印を押されるのが怖かった。

切り捨てるべきものを切り捨てられず、しかし繋ぎ止める気概もなく、なんともどっちつかずの迷い人であった。



ほんの、最近、という言葉の範疇に含められるほどの時期に、最も自分を安く切り売りしていた。

セフレというやつなのだが、まぁなんとも歪で不健康で、しかしそこにも一筋ぐらいの満足のような、幸福のような何かはあったように思う。

その瞬間だけは、満たされた錯覚を味わえたからだろう。



今思えば、一体何に怯えてここまで走ってきたのか、よくわからない。

よくわからないのだが、ふと思うのは、いつから私はこんな「悲劇のヒロイン」視点でしか過去を見れなくなったのだろう。


もう夜も更けそうである。

随分と悲壮感な空気で包んでしまったが、安心して欲しい。私としても明るい気持ちで朝を迎えたいのだ。



ここ二週間ほどで私の身におきたことは、もう奇跡に近いと言っていい。

いや、あまりドラマチックな演出は好みではないから、そんな大風呂敷を広げるような言い回しはやめておこう。


奇跡というか、偶然というか、あるいは必然というか。

いやどれも妙にキザで聞き心地がよろしくない。


もう少し具体的で冗長な表現にするなら、ようやく生きた心地がした、という感覚だろうか。


別に死んだような日々を送っていたわけでもあるまいに、という感じだが、安心というニュアンスの最大限の語彙力を発揮した結果そうなってしまったのだ。許して欲しい。



なんというのだろう。

宙に浮かぶような心地なのに、むしろ重量は強めで、地とは確かに繋がっているような。


しかし正直な部分、今もまだ怯えていないわけではない。

これはもう私の生き方の問題というか、その癖が骨の髄まで染みていて、なかなか一朝一夕で解毒できるレベルの毒素ではないのだ。

とはいえ今までのそれとは、怯えの水準値はあきらかに低く、初めてのような安らぎに包まれている。


あまり怯えてばかりでは、男子の端としての最低限の矜持もない腰抜けになってしまう。それは避けたいところだ。


人は、何をもってその場を安全と判断するのだろう。

何をもって心の扉を開放するのだろう。


別に何か明確で汎用的な答えが欲しいわけじゃない。

ぼんやりと結果論として、ふと不思議に思うだけだ。



なぜ自分は選ばれたのだろう、とか

なぜ自分は報われたのだろう、とか


どうして自分は、選んだのだろう。とか。



有り体の言葉で、他人の余興へ変換するために言葉にするのは容易い。

しかし言葉だけで表現することが最善でないことを私は知っている。情報量のいくつかが削ぎ落とされてしまうことを知っている。


なので、もうわかりやすくまとめてしまうことを諦めている。


感覚としては、生きた心地がした、がやはりしっくり来る。

別に諦めたつもりもなかったが、生き続けていてよかったと、感じる。



どうせこれからもとりとめのない言葉と思考と試行を重ねて、ついでに歳も重ねて行くのだろう。

そんな中で、やっぱりこの瞬間、あるいは時期は一際光っているのだろうし、たぶんその光が前に伸びていけば、それはそれは夢の広がることこの上ない、といったところで。


わからないことはわからないまま、わかることはわかるまま。


所詮は人生の広大な旅路の一点。後から辿れるように、ピンだけは建てておかないと。