もう「普通」じゃなくていい、自分だけの居場所を〜持たない幸福論〜
「持たない幸福論」を読みました。いやぁ実に読み応えがある本でした。随分前にkindleで買ったんですけど、この記事を書くまで5周はしました。
持たない幸福論 働きたくない、家族を作らない、お金に縛られない
- 作者: pha
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2015/05/26
- メディア: 単行本
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パット見、タイトル、目次、を眺めると「ニート推奨本かな…?」とか思ってしまう人がいると思う。
でも俺はそうじゃないと断言したい。
なんていうか、この本は「人が気楽に生きる道しるべ」をゆるく語ってくれるような本だ。
仕事、家族、お金といった切り口から、現代に漂っている「一般的な幸福観」に冷静な分析と指摘をくわえて、そこに自身の経験も交えて、独自の「ゆるい幸福論」を展開している。
とにかく文体、語りの雰囲気、考え方が「ゆるい」のが魅力だ。
俺はもう読み始めてから「ほへー、そんなゆるい考え方・捉え方もあるのかー」と感心しっぱなしで、山の中で全てを悟っちゃった仙人のお話を聞いてるような気分になった。
でも決して宗教っぽくないというか、押し付けがましさを感じないんよね。なんかゆるい。
それに何より著者自身が多くの読書と思考を重ねてきた説得力があって、ここぞという時に先人の言葉や史実を引用して、なおかつそれを噛み砕いて自らの意見の補強にピッタリあててくる。
「この人めっちゃ頭いいよね?!」って凄い思った。
生きるのがしんどいのはなぜ?
「なんでこんなにみんなしんどそうなんだろう」
この一文から本書は始まる。
物資的にも豊かだし、文化も充実している、治安もいい。そんな今の日本で、こんなにも生きるのがつらそうな人が多いのは変だと著者は言う。
確かに、現代は恵まれてるにしてはあちこちに「生きづらさを抱えた人」が溢れてる気がする。俺は「恵まれてるからこそ生じる生きづらさなのかな、仕方ないのかな」なんて半ば諦めたように考えてたけど。
しかし、著者はその原因を、社会を取り巻く意識や価値観の問題である、と指摘している。
今の社会では、生きていると常に外からうちからプレッシャーをかけられるように感じる。
例えば
「大学を出て新卒で正社員で就職しないと一生苦労するぞ」
「ちゃんと働かないと年をとったらホームレスになるしかない」
「X歳までに結婚してX歳までに子どもを作らないと負け組」
「仕事も家庭も子育ても大人なら全部完璧にこなせるのが当然」
(中略)
「病気になるのは自己管理が足りない、社会人として失格」…etcなんか、普通とされている生き方モデルがすごく高いところに設定されていて、実際にそれを実現できるのは全体の半数以下くらいの人だけでしかないのに、「真面目にやっていればそれをみんな普通に達成できるはず」というプレッシャーが社会全体に漂っている気がする。
確かに大人達は、あるいは社会は、そういった生き方を「普通」として強く勧めてくるよね。自分達がそうしてきたからなのか、あるいは自分ができなかったからこそなのか分かんないけど。
俺も例に漏れず、家族から「普通の人はそんな風にならないよ、お前普通じゃないよ」とかたくさん言われたけど。ムカつくよね、なんだ、「普通」って。
その「普通」のレールに乗れない人もいるんじゃないのか?
そもそも、なんでそういう生き方が「普通」とされるんだ?
その「普通」の生き方でしかほんとに幸せになれないのか?
なんでそんな「普通」を強制する考え方が世の中を支配しているかというと、実際に「普通」通りに生きていれば安定した幸せを得られた時代があったからだと言う。
でも今はもう「普通」であることで幸せが保証される時代ではなくなってしまった。なのに価値観がそれに追いついていない。
古い生き方は一部の人間しか救う力がないのにそれに代わる代わる新しい生き方もまだ力を持っていなくて、古い価値観がいまだに人々にプレッシャーをかけ続けて苦しむ人が増えている。
(中略)
そうだとしたら、現状に合わない価値観は徐々に捨てていって、新しい生き方を探っていく必要があるだろう。
痛快な仙人的視点
とにかく、世の中でよく言われる「当然とされる価値観」とか「生きがい」にサラッと物申してる感じがとても痛快。全部紹介してるとキリがなさすぎるので、第一章「働きたくない」で特に「むふふ、言うねぇ」ってなった部分を抜粋。
頭固い古い価値観まみれの人達が読んだら「そんなのただの屁理屈だ、甘えだ」とか言いそうだけど。
仕事をするために人生があるのではなくて、より良く生きるための手段の1つとして仕事というものがあるに過ぎない。
確かに。より良く生きるために働いてるのに、働くことで生きづらさが生まれるのなら、まさに目的と手段を取り違えてる感あるよね。
まぁもちろん皆生活のために働いてるのはあるだろうけど。
でも身体を壊すほど働くのは馬鹿らしい気もする。
働きたくないなら、可能な範囲であまり働かない生活を選択するのもアリだと思う。
「何かやらないと時間がもったいない!」とか「ぼーっとしていると人生がもったいない!」とか言う人は、結局単に体力が余ってるだけなんじゃないかと、小さい頃からずっと体力がないほうの人間だった僕は思う。
あーなんかわかる。
凄いバイトとか入れて頑張ってる人を見ると「よくそんなに元気余ってるなぁ」とか思うし。
俺も子供の頃も外でずっとスポーツしてる子を見て「なんでそんな体力あるんだ…?」とか思うぐらいには体力なかったし。
本当は、絶対にやらなければいけないことというのはそんなにないのだ。
(中略)
もし「他の人が頼りにならなくて自分が頑張るのをやめるとすぐに破綻してしまう状態」なのだとしたら、その状態自体がもう既に破綻している。
ははは、確かに。
サークル活動とかで結構思い当たる節あったけど、この言葉のおかげで「俺がやらなきゃダメだ、俺がどうにかしないと」っていう責任感みたいなのは薄れたかな。
だってそもそも「1人だけが頑張らなきゃいけない状態」っておかしいもん。
人間は毎日何もしないでいても飽きるし、毎日やることが決められていてもつらくなる。
何もしないのでもなく全てが決められているのでもなく、ある程度未知で新鮮さを感じる状況の中で、自分で考えて判断して選択して行動していきたい。そして何か自分を取り囲んでいる世界に影響や変化を与えて、自分が世界に影響を与えられるという実感を得たい。
むむむ…仙人的。確かに暇すぎても苦痛、忙しすぎても苦痛だもんね。
多くの人が言う「社会に貢献したい」って思いって、結局「自分が世界に影響与えた!やった!」って満足感だよね。
その満足感を感じるポイントは人それぞれだろうし、それこそ「社会に出て働く」もそうであれば「家の片付けをする」もそうだし「ゲームをクリアする」まで本質的には「自分の身の回りの世界をいじって影響を与えた」満足感に違いない。要はその人が満足できればなんだっていい。
違うのはその「いじる世界」の規模が違うだけで、そこに「どちらが偉いか」なんて問題はない。
つまり、ニートしてゲームしてることも、社会に出てあくせくと働くことも、根源的欲求は同じなんよな。まぁ親の金とかで生活してたら感情的に罪悪感はあるだろうけど、「社会的でないこと」自体を責められる必要はない気もする。むしろ消費者としては社会に貢献してるし、うん。
注)本書はニート推奨本ではございません、俺の勝手な意見です
人間はみんな限られた時間と小さな空間の中で、他の人から見たら取るに足りないつまらないものを大事にしながら生きていくしかないのだ
よく言った!!所詮この世は無常じゃあ!!
居場所の重要性
この本は四部構成なんだけど、俺の読んだ印象としては「三部とまとめ」みたいな感じがした。
なので、本文について深く考察すべきは最後の四章、「居場所の作り方」ではないかと。
人間が人生の中でやることって結局、大体七割ぐらいは「居場所を作るため」の行動じゃないかと思う。
同意!めっっっちゃわかる!!居場所ほちい!!
もちろん、ここで言う「居場所」は物理的な意味だけでなく、精神的な意味も含む。「自分が安心していられる、ここにいても大丈夫と思える場所」のことだ。
「仕事を頑張る」のも「家族を作る」のも、全ては居場所のためって感は大いにある。ていうか、人は常に人と関わって生きていかざるを得ない(というか生まれた時点で関わっている)ので、まぁその中で多くの人が自然と居場所ができてくるよね。
生まれた家族、学校の友人関係に始まり、部活の先輩後輩、会社の仕事仲間、恋人、自分の作る家族まで。
居場所は不安定
でも、そういう居場所は、決していつまでも続く安定性を持つものじゃない。
学校を卒業すれば友人とは疎遠になるし、部活のOBとかOGなんてのも何年も歓迎されるもんじゃない。会社だって転職したらおしまい、あるいは人事異動しただけでも変わっちゃうかも。恋人だって別れるかもしれない。家族だって何かのきっかけで居心地が悪くなるかもしれない。
第二章「家族を作らない」で詳しく語られてるんだけど、昔はイエとかムラっていう強い枠組みあって、そこで居場所の安定性はかなり保証されてた。
でも今はそんな強い枠組みはなくて、その分居場所からこぼれ落ちてしまう人が増えてしまった。
居場所を複数作る
「そんなこと言われても!どうすりゃええねん!!」というと、顔を出せる場所を複数確保しておくことが大事らしい。
どんなに気が合う相手でもずっと顔を合わせていると嫌になってしまって相手の些細なことが気になってイライラしたりするし、気に入った場所でもずっと同じ場所にいると飽きが来てうんざりしてきたりするものだ。そんなときにちょっと別の場所に行って違う人に会って、雑談したり軽く愚痴を言ったりできると全体的にうまくいったりする。
そんで、そのきっかけとして紹介されているのが、「ネット」と「趣味」だ。
今はインターネットの登場によって、頻繁に会わない人との繋がりを維持するコストがすごく低くなったので、昔よりも複数の場所に少しずつゆるく属するみたいなのがやりやすくなった。
(中略)
何か共通の好きなモノがあると集まりやすい。趣味というのは自分が楽しむだけじゃなくて人と繋がるためにも役に立つので、趣味を持つのは大事だ。
うむうむ。ネットでの浅く広く的な繋がりはとても時代に合っていると思う。
ていうかそれで居場所を保っている人が一体いくらいることか。
ネットがあれば、知らない人と知り合うのはもちろん、あまり会えない知り合いの近況も手軽に知れる。
それに趣味ほど人を繋げてくれるものはないよね。
学校とかで最初に話した人と「趣味が同じ」なのに気付いたときのあの興奮!たまらんよね!同志がいたぜええ!!っていう
趣味があればそれだけで会話のネタには困らないし、一緒にできることも多い。結果として知らない同士でもめっちゃ仲良くなれる。
ここ数年はTwitterで趣味の合う人だけと絡む「趣味垢」なるものを使う人も多いし、絵が好きならpixiv*1、喋るのが好きならツイキャス*2、文章を書くのが好きならブログって感じで、それぞれが「ネットと趣味の二人三脚」感で居場所を作っていく傾向があると思う。
居場所がなくなっても作ればいい
コミュニティは生き物、なんてよく言われる。
中のメンバーが段々と入れ替わることで雰囲気そのものが変わったり、あるいは同じメンバーで続けていても各々がいろいろ変わっていって居心地が微妙になったり。
そんな風に変化していく中でコミュニティそのものが解散、崩壊してしまったりすることも珍しい話じゃない。
でもそれで何もかもなくなってしまうかというと、そんなことはなくて。その場で培った経験とかは自分の中に蓄積されていくし、メンバーの中の個人的な繋がりは消えずに残ってたりするし。
場は消えることがあるけど、その場の精神は胞子のようにばらまかれて受け継がれていって、別のところで少し形を変えた新しい場が生まれていく。
一度なくなった場でも「またあんな場所があったらな」って誰かが動き出すかもしれないし。自分で呼びかけて作っちゃうのもアリだし。
要は気楽に、1つの場所にこだわりすぎないように、ゆるく人間関係を広げておくのが大事なんだとさ。
居場所の具体的な作り方、コミュニティでのトラブルの対処法、流動性・ゆるさを保つ秘訣など、まだまだ感動したポイントはたくさんあるんだけれど、これ以上書くとただのコピペになっちゃうんで、興味の湧いた方は是非読んでみて。
持たない幸福論 働きたくない、家族を作らない、お金に縛られない
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最後に感想ぽろり
いやぁほんと長かった。
読者の皆さんとこれを書ききった俺!お疲れ様!!
個人的にちょっとコメントしたいのは、「俺にとっての居場所ってなんだろう」ってことで。
特に家族っていう幸福の代名詞的パッケージについて、この本では「絶対視は危険」って警鐘を鳴らされているのだけれど、俺としてはそれでも家族に並々ならぬ憧れがあって。
自分の家族がいわゆる一般的な核家族として機能してなかったからこそ、その機能に対する期待値だけやけに高くて。
心を許しあった女性と、お互いを尊重しあえる相手と、そこで過ごす時間に至福が詰め込まれている気がして。
要するに「持たない幸福」もありだけど、今のところは「持っている幸福」に浸ってみたい気持ちもあるよってそんな感想!
おわりっ!
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