もみじろぐ

とある男の、心のほんの一部

「友達」って関係に期待しすぎない方がいい

こんな記事を書きたいと思ったのは、先日Twitterの友人がこんなツイートをしていたから。

友達なら全部言わなきゃいけないなら、言ってないことだらけだよ!!!

その定義なら友達いません


(無断で引用してごめん!!)

「友達=なんでも話せる仲」なんて大間違い

俺はそう思う。

逆に、「友達だから話さなきゃ…」「友達なのになんで頼ってくれないの」とか言っちゃう人の気持ちがわけわかめ

いや、わけはわかるんだけどさ。でもあんまり共感はできない。

友達ってそんななんでもかんでも解決してくれちゃうような万能な関係じゃないでしょ。
友達に何を期待しているの、一体。


俺って、冷めた考え方してるかな?


友達っていうのは、もっとこう、なんていうか、ゆるい繋がりだと思う

友達とすることに何か凄い深い意味なんてない。

なんとなく気が合って、なんとなく挨拶して、なんとなく話して、なんとなく一緒に飯食って、なんとなく遊びに行って、んでなんとなく別れて。

学校とかで一緒にいることが多いってだけで、お互いの全部知ってるわけじゃないし、全部話したくなるわけでもないし、お互いの嫌いなところも結構あったりする。

でも気が付くと一緒に行動してる。話してる。飯食ってる。

あるいは顔も知らない文字だけの繋がりでも、毎日のように会話したり、見かけないと少し寂しくなったり。


そんなもんだと思う。


嫌になったら距離置けばいいし、なんか話したくなったら「よ!元気?」とか軽いノリで声かければいいし、かといってうまくいかないからってそんな悩むことでもないし。
関係が切れたところでそんなに失うものもないし。


一番人間関係として安定した形だと思う

だってお互いが自由なまま関係を続けることができるから。

それに相手に関して責任を持たなくていい。

家族とか恋人とか、近い関係では難しいことを友達って関係はさらっとやってのける。

そういう意味じゃ凄い包括的だ。

学校卒業してもよく会って遊ぶ人から、SNSで何度か会話したことのある顔の知らない人まで、友達って言葉ならカバーできる。

ひとによっては、そこに「親友」とか「知り合い」とかラベルを貼らなきゃ落ち着かない人もいるかもしれないけど、俺はめんどくさいから、だいたい友達ってことにしちゃう。


深い関係

もちろん、人間関係にはもっと深い部分で繋がることも必要だと思う。ていうか人の心ってそういうのを求めちゃうところがあると思う。

自分の話を嫌な顔せずにずっと聞いてくれる人とか、なんとなくずっと一緒に過ごしてもあんまり疲れない人とか、そういう相手をどうしても欲してしまうと思う。

俺はそこら辺の役割と友達とを完全に分離して、「恋人」って役割に求めることにしてる。
だから逆に、友達に対して期待もせず淡白でいられるのかもしれない。


たぶんだけど、友達に多くを求めすぎてしまう人は、そういう「深い役割」を求められる相手が他にいないんだと思う。

別にそれは「家族とか恋人がいないから」というよりは、そういう人たちがいたとしても「その人たちにあまり期待していないから」な気がする。

別にそれが悪いとは思わないけど、友達って関係はその重みに耐えれるほど頑丈なものかな、なんて疑問に思ったりする。


かといって恋人とか家族なら耐えられるだろう、なんて過信していると、崩壊しちゃう例も少なくないし。
むしろ友達にも多少分散させておいた方がよかった…なんて事もあるし。


はああぁぁ、人間関係ってめんどくせーなー


まとめ

こうやって友達についていろいろ考えちゃうのがもうナンセンスな気もする。

難しいこと考えずゆるく一緒にいられるから、なんとなく話したくなるから、友達なんじゃね。

それ以上でもそれ以下でもない。

結局定義なんて人それぞれだけどさ、俺はやっぱりゆるい感じが好み。

ほどほどに期待せず、期待されず、でもお喋りには付き合いますよ的な。


だからほら、ゆるく僕と友達になりましょう。繋がりましょう。


友達って多くてもマイナスはないじゃん?