もみじろぐ

とある男の、心のほんの一部

ネットがリアルになる怖さ

ネットで悪口を言ったらきりがない。
 
そしてそれがリアルの人間関係にまつわることで、それが相手に見つかる恐ろしさ。
 
 
 
久しぶりにネットの怖さ、正確にはリアルとネットが混ざる怖さを目の当たりにした。
 
 
 
とあるブログで、ものすごい他のブロガーさんのことを批判した記事があった。
 
リアルでオフ会をして、そこで男女間のトラブルがあったようだ。
 
それに対する反論の記事もあった。
 
その細かな経緯を第三者に解説する記事もあった。
 
 
 
似たような光景を、去年ツイッターでも見かけた。
 
俺がぼんやりと籍を置いていたツイッターの浪人界隈。
 
そこでも男女関係をめぐるトラブルがあった。
 
悪口が飛び交っていた。
 
それは見ていて心地いいものではなかった。
 
 
 
 
ブログでもやっぱりあるんだ、そういうの。
 
いや、きっと、ネット中あらゆるサービスでそういうのはあるんだろうね。
 
出合い系とか、そういうんじゃなくてもあるんだ。
 
 
 
そう考えると、俺は、色んな意味で運が良かったのかもしれない。
 
そんな何が起こるかわからない複雑な人間関係の中、ネット恋愛なるものを堂々とやっていて、それをステータスとさえ思い込んでいたのだから。
 
 
 
今こうしてネットだけではない人間関係が充実しているのはとてもありがたいことだ。
 
 
たぶんだけど、そうやってネットでいろんなものに飢えている人たちで、リアルの人間関係にすごく恵まれている人は少ないだろう。
 
ネットで存在感が大きい人達は、そこにいる時間が長いから存在感が大きい。ネットに割ける時間が多い人達は、つまりそれだけ時間に余裕のある人達だ。つまりリアルで過ごす時間が短い人達だ。
 
全員がそうとは限らない。けど、そういう傾向が強いのは間違いない。
 
一年前の俺がそうだった。
 
 
今はそうじゃない。本当に、本当に、ありがたいことだ。
 
 
 
ネットがリアルになる、ネットが自分の全てになる怖さをひしひしと感じた。
 
そうやって生きている人も世の中にはたくさんいるし、それが不幸と決めつけるのは傲慢だ。
 
だけど、どこかで足場を踏み外すとそんな闇に堕ちてしまうとも限らない。
 
 
 
自分がそういう精神的に危ない時期を経験したからこそ、似たような状況を見てしまうと胸が痛む。「なんとか力になりたい」と心が叫ぶ。
 
でも、できない。
 
俺は常に差し伸べられる手を渇望していたけど、それが全員とが限らない。余計なお節介かもしれない。迷惑かもしれない。屈辱かもしれない。
 
 
 
結局「今日も世界は光と闇があるなぁ」って感慨深くなって、一日が終わる。
 
 
 
今日も、明日も、その先も。
 
 
光にいる多くの人がそうだろうし、あるいは何も感じないかもしれない。
 
 
だけど明るい道ばかりを歩いてきたより、暗い道の景色も知ってることはなんか得をしていると自分で思う。
 
暗くて寒い場所を知っているからこそ、今が暖かくて明るいと感動しながら生きていける。
 
 
 
 
 
 
おしまい。