もみじろぐ

とある男の、心のほんの一部

ブログで鍛えられるのは文章力というより思考力?

ブログをやっていて得られたものはなんですか?と聞かれたら、俺はこう答えようかと思っている。
 
 
ブログでは思考力が鍛えられる!!
 
 

 

 

文章力とは

 文章力ってなんですか、そもそも。
 
誰か教えて下さいよ、数値化して。
 
 
「文章力係数オーバー120、執行対象です」って*1
 
 

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まぁ冗談はさておき、文章力って曖昧でわかりにくいんよね。
 
感想文を書く力なのか、物語を書く力なのか、要点をまとめた論文を書く力なのか。はたまた単純に文章を書かされたときの手が動きの早さなのか。
 
あるいはそれら全てなのか。
 
 
あ、どうせ全てなんでしょ、いいって。この手の単語はいろんな意味を含んでて、辞書引いてもピンと来ないってのが相場なんだから。
 
 
 
ブログをやってきて、そういう広義の文章力ってのも、まぁ少なからず鍛えられてると思うよ。でもたぶんブログのスタイル?というかテーマによって、かなり偏った文章力が鍛えられてると思うのよね。
 
俺で言えば、若干砕けた会話調のエッセイスタイルが板につきつつある。
 
これはまぁ確かに文章力でもあるんだろうけど、それは違うジャンルの文章、例えば大学のレポートなんかには全く使えない文章力。
 
だから俺はレポート苦手。
 
「ブログやってるから余裕ですよねー」とか友人に煽られるけど、全然そんなことないから。いやほんとマジで。
 
 
 

文章力というよりは

 えーと、結論として、俺は「ブログをやれば文章力アップするよ!」とはあんまり言いたくないの。
 
なぜならブログで培われるそれは一般的に使われる「どんな文章にも使える万能な能力」ってニュアンスとはちょいズレているから。
 
ニュアンス的には文章のクセと言った方が近い。
 
 
そして、もしブログで誰もが等しく会得できて、実用的な力があるとしたらそれは「伝えるための思考力」って表現の方がしっくりくる。
 
何か自分の伝えたいことがあって、それをいかに文章として表現するか。その過程で必要になる思考力だ。
 
 
 

ブログにおける思考

 ブログってのはある程度の文章量がいる。
 
手抜きをしようと思えば、理屈ではいくら短くても記事は成立する。
 
が、人が何かについて語ろうと思うとき必然的に文字数がいる。
 
 
そして書き始めてみて、人は気付く。
 
自分が何も考えてないことに気付く。
 
 
闇雲に手を動かしただけでは、文章として成り立たないことに気付いてしまう。
 
故に、自分の思考を、言いたかったことを脳内で再構築する。その過程は誰にでもあるはずだ。
 
 
というか、このプロセスは誰もが小学生の頃に、「読書感想文を書け」と渡された原稿用紙を前にしたとき、間違いなく行っているはずなんだ。
 
その結果にできあがる文章の出来は置いておいて、ともかく皆、その考えるプロセスが実行されている。
 
 
そしてブログを書くとは、そのプロセスの数を増やすということなんだ。
 
 
 
だから鍛えられると思うんだ。
 
ブログを書くことで得られるのは、生み出された記事そのものよりも、それを生み出す過程で通った思考の経験なんじゃないかな。
 
 
 
 
 
 
世の中には、自分で考える、ということを放棄、あるいは手を抜いている人たちがたくさんいる気がする。
 
個人的に、そういう人間は好きになれない。
 
 
考え続けることこそ、人の本質だろう。
 
 
 
だけど、考え続けるという姿勢の証明としてここにしがみついている俺のあり方は、もしかしたら不器用なのかもしれない。
 
器用な人は、考えるというスイッチのon/offを場面ごとに使い分けているのかも。俺はそれが下手くそで、徒労をしているのではないか。
 
最近そんな不安がつきまとうんだ。
 
 
 
 
 
 
おしまい。
 
 
 
 
 
 
〜関連記事〜
 
文章力について触れてる記事があったので

yamayoshi.hatenablog.com

 
 
面白かったので是非この記事も合わせて

yamayoshi.hatenablog.com

*1:ネタがわからない人は「PSYCHO-PASS サイコパス」で検索、けんさくぅ