もみじろぐ

とある男の、心のほんの一部

「自分が嫌い」病の人が増えてる気がする

日本人の美徳とされる謙遜。そんな謙遜も最近だと度を過ぎてる気がしてならない、もみじです。こんにちは。
 
 
 

本来の意味より軽くなる単語たち

クソ、クズ、ゴミ、雑魚…こういった単語が若者間ではよく日常会話に出てくるんですよね。
 
例えば、
「絵うまいねー」
「いや、マジで俺の絵とかクソだから」
 
これクソって言葉を謙遜で使ってるんですよね。俺らの親世代(40~55辺り)が聞いたら「なんじゃそりゃ」って感覚なんじゃないですかね?w
 
 
僕達はそこら辺の言葉をその文脈で使うことに何も感じなくなりつつありますが、やっぱりこれ、良い傾向とは言えないと思うんです。
 
 
 

みんな自虐趣味あるの?

そんな行き過ぎた謙遜の影響かどうかわかりませんが、なにかにつけて「自分が嫌い」と連呼する人が増えている気がします。
 
俺はそういう考え方、それを堂々と公言する姿勢があまり好きになれません。
 
 
なんとなく、自分にもそんな時期があったので、気持ちはわかります。
 
「誰かを傷つけるくらいなら、誰かに傷つけられるくらいだったら、自分で自分を傷をつけた方が痛みも少ないし楽だ。そうすることで他のあらゆる痛みを忘れることができる。」
 
実際、その通りだと思います。
でも、やっぱり好きになれない。なんでかな。
 
 
俺は、目の前で、自分の体を傷つけて、傷を抉って、苦しそうに笑ってるような人を、見ていたくないって思う。
 
本当はそんなことしたくないのに、そうすることでしか心を保てない気がして、そんな自分はきっと気味が悪いのだろうと、ますます絶望に染まって孤独を選択しつづける。
 
 
それは「見たくない」と視界の外に出るまで離れることも可能だけど、俺は近寄って、こう言ってあげたい。
 
「それ、痛くないの?」って
「君は本当に一人なの?」って
 
 
 
 

「自分大好き」にならなくたっていい

「普通」「どちらでもない」「そこそこ好き」でいいんじゃないかな。十分だよ。
 
俺が思うのはね、自分にくらい優しくしてあげてもいいんじゃないかなってことなんだ。
 
知ってるよ、本当は自分を嫌いたくなくて、誰かに止めて欲しいって思ってること。
 
 
だからまずは自分を、ゆっくりでいいから、許してあげようよ。そしたら世界が少しだけ、変わる気がする。正直になれるって案外スッキリするんだ。
 
時間かかってもいい。いつか「こんな自分でも自分だし、まぁしゃーないか」って思えれば、それでいいんだ。
 
 
 
残念ながら、この苦しみに直面してる人全員にはあてはまらないかもなんだけど、言いたいことがもうひとつ。
 
 
難しく考えなくたっていいんだ。自己嫌悪とかそんなの関係なく、関わってくれる人はいるよ。どれだけの心に闇を抱えていようと、人は誰かと関われるし、くだらない話をして笑顔になれる。
 
 
 
その笑顔は本物だ。そのときの君は心の闇なんて忘れてる。
 
 
 
 
このブログのサブタイトルを改めて、
Your heart is unbreakable.
 
 
 
信じる者は救われる、と断言はできないけどさ、
俺は疑うよりは信じていたいんだ。
 
 
 
 
気分が沈んだなら、ポエムに浸ってみるのもアリだと思うな↓