もみじろぐ

とある男の、心のほんの一部

差別について少しだけ考えてみた

今日、というか木曜日に履修している大学の講義が予想外に面白く、また考えさせられたのでさらっと記事にしてみた。
 
 

 

講義のテーマは
Diversity and oppression
What is oppression?
What is discrimination?
というものだった。
 
 

まずは英単語の意味の確認から

diversity = 多様性
oppression = 抑圧
discrimination = 差別
 
 

差別といえば

特にわかりやすいのは人種差別。黒人と白人。
 
俺は世界史を学んだこともなければ、諸外国について深く調べたこともないが、キング牧師の演説ぐらいは知っている。最近では黒人の少年が白人の警察官に射殺された事件なども印象に残っている。
 
今でも根強い差別がある社会が目の前にあるのに、俺たちはどこか別世界で起こっている非現実的な事象という認識だ。
 
 
 

日本人に差別ってあるかな

俺はあると思う。
 
差別という言葉の正式な定義からは外れてしまうかもしないけど、「いじめ」とか差別って言って差し支えないと思う。
 
いじめられっ子は大抵浮いている。つまりみんなから違う存在と認識されて、違う扱いを受ける。これを差別と言わずしてなんという。
 
差別をする側に差別を受ける側の気持ちはわからないように、いじめる側にいじめを受ける側の気持ちなんてわからない。
 
何の理由もなく他人を蔑んでおとしめて、それでも笑って飯を食える人間はごまんといる。
 
 
 

差別はなくならない

なんで差別が生まれてしまうのか、なんて難しい話はできない。でも、感覚的にわかる。
 
現実は残酷なんだって。
 
けど、諦めるわけじゃない。それは差別をする人と何も変わらない。
 
俺たちができるのは「差別をする立場をとらないこと」だけ。簡単そうで、難しそうだ。
 
でもさ、少なくとも俺は「差別をされる側の気持ち」を考えたら、差別する側に立ちたくないって思うんだ。
 
なんだ、結局は思いやりの話じゃないか。
 
みんなはどうする?
 
 
思いやりについて語った過去記事もついでにどうぞ↓