「頑張れ」という言葉の向こうに
以前、こんなツイートをしたことがありました。
やっぱり「頑張れ」って残酷な言葉だと思うの
— メープルもみじ(母) (@robibon1) 2015, 1月 24
皆さんはどう思いますか?
僕はある本を読んでいて、「あ、そういうことだったのか」と一つの真実を見つけました。
嫌な「頑張れ」と、嬉しい「頑張れ」がある
「頑張れ」って本来は励ます言葉なんですから、当然嬉しいはずなんです。でもいつからか「頑張れ」って言われても「うるさいな」って思う瞬間が増えましたよね?
なぜなのか。
それはズバリ、その相手が自分を「わかってくれていない」から。
友達に「頑張れよ」って言われたら素直に嬉しくても、親に「頑張りなさい」と言われてモヤモヤするのなんかはまさにコレ。
プレッシャーがかかるのが問題だ、って意見もあるかと思います。しかし、それも元を辿れば「わかってくれない」人が相手だからプレッシャーを感じるんです。「わかってくれる」人相手ならプレッシャーなんて感じません。
みんな「わかってくれる」人を求めている。
孤独であればあるほど、人は「わかってくれる」人を探します。「わかってくれない」人に囲まれて生きるのは窮屈です。
では「わかってくれる」人はどうすれば出会えるのか。
俺の答えは、「自分から意見を言い続けるしかない」です。
「わかってくれる」人なんてそんな簡単に見つかりっこない。そう思っている人もいるかもしれません。そんな人がいたら俺はこう言います。
「全部わかってくれなくたっていいじゃない」
「わかってくれる」とはすなわち共感です。共感はどんな些細なことでも可能です。そして凄いパワーを持っている。その一回の感情だけで会話が弾んで、心を晴れやかにしていきます。
最後のまとめとして、一言。
これは俺がTwitterに一年間没頭して感じたことでもあります。
全部分かり合えなくなっていい、でも自分の言葉を紡いでいれば少し「わかってくれる」人は必ず現れる。そうやって人の輪は広がっていく。
俺もまだまだいろんなことを喋り続けます。ひとりでも多くの「わかってくれる」人を求めて。
おしまい。
※参考文献
不登校、ひきこもり こころの解説書―僕がひきこもりだったときに言えなかったこと
- 作者: 金馬宗昭
- 出版社/メーカー: 学びリンク
- 発売日: 2010/03/08
- メディア: 文庫
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ある本とはコレ。かつてひきこもりだった僕はとても共感できました。が、かなり闇が赤裸々なので人によっては重苦しい内容かもしれません。