もみじろぐ

とある男の、心のほんの一部

浪人生活を振り返る

さあ、昨日の宣誓通り、今日のテーマは「この一年を振り返って」です。

 

今日すべての受験が終わった節目として、この一年、浪人生として過ごした一年を振り返っていこうと思います。

 

 おそらくこのブログの中でも屈指のとても重々しく、長いお話になると思いますが、お付き合いください。

 

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Twitterに溺れた一年

事実です。ネット依存症でした。まだ完治とは言えないと思います。

どうして溺れてしまったのか、その経緯は先月中旬に黒歴史として振り返り、連続ツイートをしました。

 

以降、その時の原文そのままコピペです↓

 

現役のとき、勉強しなかった。今以上にしてなかった。 勉強して分かるようになる楽しさは知ってたんだけど、何のために勉強して何を目指しているのか全然わからなかった。

 

戦意喪失したのが高3の夏休みぐらい。親父は国公立行けとかなり前から言っていて、たぶん正しいことを言っているのだろうと思ったから国立志望になった。 親が一浪してたから同じ大学に現役で入って見返してやろうとか本気で思ってた時期もあった。

 

戦意喪失した明確な原因は記憶にない。でも期待に応えようと思っていたところに「お前が入れるわけないじゃん」という親父の一言が刺さったのは覚えている。 そのときまで勉強のフリを本当に勉強したことだと思っていた。

 

実は勉強なんてしてなかった、少なくとも当時掲げていた志望校には確実に届かない、そう自覚して溢れてきたのは圧倒的無気力感。浪人することを親父にほのめかされていたこともあって、早く受験が終わらないだろうか、とゲームとアニメに溺れて過ごした。

 

布団の中で縮こまって画面を見続けた。そうやってると全部忘れられた。出願はしたが一般受験のいくつかは行かなかった。それでもご飯を出してくれていた婆ちゃんの心中を思うと、言葉も見つからない。

 

国公立の試験には行った。試験が出来なさ過ぎて暇で、そこで「あぁこれからどうしよう」と考えた。自分が勉強しなかったのは何故なのか考えて出た結論は「やりたいことがないせいだ」というものだった。「じゃあやりたいこと、見つければいいじゃん」そう思った。

 

以前読んだ本に「好きなものをひたすら書いてみるといい」とあったのを思い出していろいろ書き出してみた。そしてそれらが交わる職業は何かと考え、見つけた。「あ、これだ」そんな感覚だった。

 

ネットにアンテナを広げる「ウェブデザイナー」。パソコンいじりが好きで、絵が好きな自分にピッタリだと思った。 必要とされるのは情報収集力、デザイン力、企画力、コミュ力、人的ネットワーク。ここでTwitterを始めた理由に繋がる。

 

大学はどうしようかと考えた。パソコン、メディア、情報系。当時は文系だった。分野的にまさに文系と理系の中間という感じで非常に迷った。親父に相談した、理系になった。当時受けた国公立に理系で大きな情報分野の学部があったというのもかなり大きい。

 

浪人したのは言うまでもなくどこも受からなかったから。受かる気がなかったというのが正しい。模試で書く志望校ですらネームバリューだけで選んで安全校も実力相応校もなかった。

 

母親を小6で亡くして中高は東京の祖父母の家に預けられていた。親父は大阪に単身赴任。「浪人中は俺が面倒みるから」そういって大阪に引き取られた。引きこもって祖父母に迷惑をかけた罪悪感からそれも止むなしと承諾した。

 

慣れない土地だった。小学生は京都で過ごしたので関西弁はすんなりと耳に入ってきた。予備校は親父が勧めてきた四谷学院だった。説明会にいってそのあと個別に相談もした。「理転で国公立、可能でしょうか」「できます」そんな感じだった。

 

友達はできなかった。喋ることは嫌いじゃない。むしろ好きだ。ただ高校や地元が同じという理由で親しくなっていく人達を見ているだけだった。たぶんチャンスはあったと思うが、掴めなかった。

 

喋る人は親父しかいなかった。あとは予備校の先生、スタッフ。お店の店員。 モヤモヤした。何か喋りたかった、言葉にしたかった。そして俺はTwitterにのめり込む。

 

最初に作った垢はもみじではなかった。これは二代目。最初はただのくだらない独り言のはきだめとしか思わなかった。だがある日、リプをくれた人がいた。存在を認識されたことが嬉しくて話しまくった。独り言ツールがいつの間にか唯一他人との会話を楽しめる場所になった。

 

抑圧された状況だったから、だろうと思う。そのたった1人に依存した。Skypeに誘われて声を交わす喜びに震えた。気がついたら5時間なんてことは珍しくなくなった。相手は女子だった。ここでネット恋愛への闇に堕ちる。

 

ネット恋愛といったが、正確ではない。俺が片思いしていただけ。毎日電話するうちに、という奴だ。俺が女子耐性がついたのはたぶんその時だと思う。結局会えないのは辛いからごめんね、ということだった。告白されそうなことは気付いてたらしい

 

その結果、病んだ。正確には病んだ自分に酔っていたかもしれない。傍からみて痛いしい自虐ツイートを繰り返した。告白したら友達には戻れないよ、と言われ相互にブロックしたが、当時は確かブロックしても相手のツイートが見れたのでお互いに覗いている状態が少し続いた。

 

そんな中途半端な状況も続くわけもなく、諦めきれなかった俺はもう一度食い下がってもう一度ふられた。そして当時の垢を抹消する。

 

その頃勉強はどうなっていたのか、というと、それはそれでひどいものだった。四谷学院に通った人ならご存知の通り、月から土、朝から夕方まで拘束されるハードスケジュール。勉強習慣のなかった俺は正直授業に出てノートを取り帰ってくるのでクタクタ、という惨状だった

 

そしてこの垢、もみじが誕生する。五月末ぐらいだったと思う。Twitterなんてやめればいい、と思ったのにやめられなかった。もうその頃には既にれっきとしたツイ廃だったのだ。

 

垢を作り直してもネット恋愛の闇は終わってはいなかった。というか、俺が誰かにすがっていたかったのだ。6月上旬、人生初の彼女ができてしまう。かくして遠距離ネット恋愛スタートだ。

 

勉強と恋愛の両立をしてやる!むしろ心の支えがあったほうが捗るに違いない、そんなことを思っていた。いや、本気で。

 

細かい恋愛の経過は省略。結果として、俺がふってしまった。理由は、勉強できないのと会えないのが辛いということ。 自分の勝手な都合で付き合い、そして切り捨てた。彼女は大泣きしながら「勉強頑張ってね」と承諾してくれた。俺は涙が出なかった。

 

恋愛にうつつを抜かしている間に勉強のほうはますます手のつけられない状態になっていた。55段階、という小テストを大量に受けてハンコを集めるシステムがあるのだが、それはもう放置しすぎて消化しきれないほどの分量に。10月前半のことだ。

 

現役のときがあまりにひどかったため、相対的に勉強していたとは言えるが、やはり国公立志望を名乗っていい成績ではなかった。数学と理科が伸び悩んでいた。私大志望に切り替えたい、と親父に伝えたが却下された。

 

そしておそらく浪人界隈に本格的に参入したのが10月末頃。それより前からFFの人は少なからずいたがリプでやりとりすることはほとんどなかったはず。その頃から糞真面目な長文ツイートを吐き出す垢となる。

 

Twitterへの依存は断ち切れなかったのはやはり甘えていた、それに尽きる。勉強のネタは馬鹿がバレるから言わない、と公言していたがそれもつまらないプライドと見栄だ。11月末にはCAS中毒となり、知名度を徐々に上げていく。

 

その頃、四谷の通常授業は11月で終了しており、最後の方は授業の予習すら間に合わないというひどいものだった。自業自得と理解しながらもまだ現実から目を逸らし続けた。12月は冬季講習も少なくない数とっていたが一度体調を崩したのをきっかけにサボりも始まった

 

そして年明け元旦、とうとう親父に全てがバレる。またもや引きこもりが再発していたが、強引にドアをこじ開けられ外に連れ出される。去年の二の舞にならないという意味では助かったとも言える。しかしセンターはもう間近。

 

年が明け、志望校も練り直し(レベルも落とし)心を入れ替えたというていであったが、現実は甘くない。センター二日目で爆死。なんと去年よりも数学が悪化。とうとう親父の堪忍袋の緒がきれ、大阪の家を追い出されることとなる。

 

そして、現在。東京の祖父母の家に転がり込みなんとか受験を続けている。親父には受験やめろ、とまで言われたが、なんとか受験料を祖父母に出してもらい挑戦ができるようになる。が、現状滑り止めも全く機能せず就職ルート濃厚なもみじであった(完)

 

 

 

そしてこの後日談

 

結局、合格は貰えました

全落ちしそうなので慌てて出願した私大の後期。そして今日、前から志望校であったところのセンター出願後期にて合格。

 

親父とも一応和解をし、大学進学を許可して貰えました。志望順位としては後者の方が高いので、そちらに進学することが決まりました。

 

めでたしめでたし。

 

 

まとめ

いろんなことがあって、とっても辛かった。

「あぁ、なんか俺って死んだほうがいいじゃないか」とか思った瞬間もあった。

でも今言える。生きててよかった。

 

今年一年はいばらの道だった。

でも少しは前進したって信じたい。傷だらけになったけどその分成長したはずなんだ。

 

これから先はもっと刺の多い、いばらの道かもしれない。

でも、まだ歩ける。やりたいこと全然やってない。だから死ねない。

 

生きてやる、まだまだ。

こちとら未練ありまくりなんだよ、バーロー(笑)

 

 

 

 

 

なんでこんな記事を書いたのか

かっこよくまとめて終わりたかったけど、あえて最後に自問してみた。なんでこんな苦々しい暴露話を記事にしようと思ったのか。

それはたぶん、忘れちゃいけない気がしたから。

 

”「ネットは未来の自分のために使う」という利己主義のほうが「誰かに一度でもいいから評価されたい」という周りの空気読みよりも断然オススメ。”

otsuneさん

ǝunsʇo ıɯnɟɐsɐɯ (@otsune) | Twitter

という方が発言なさっていた名言です。過去の記事で紹介した書籍を通して知った言葉なのですが、とても印象に残っています。

 

つまりはそういうことです。

他の誰でもない、未来の自分のために、こうしてちゃんと記録することにしました。

正直、どう未来に役立つか、なんて今は全くわかんないです(笑)

でもなんか「書かなきゃ!」って思ったんです。

 

おしまい。

 

 

 

 

 

※参考文献

ネットで成功しているのは〈やめない人たち〉である

ネットで成功しているのは〈やめない人たち〉である

 

 過去の記事で紹介した書籍というのはこれ。ネットで活動されている様々な人の意見が凝縮されていて何回も読み返しては「ほえー、なるほどなぁ」ってなってます。