もみじろぐ

とある男の、心のほんの一部

年末だね

ずっと、ブログを更新したかったけど、なかなか、それをするエンジンがかからなかった。
燃料が足りてなかったり、バッテリーがあがっていたり。そもそもエンジンをかけなくても楽しいことが他にあったり。


ちょっとした身内にこのブログを読んでもらう機会もあったのにね。


とりあえず時間もできて、心の余裕もできて、でも他の楽しいことよりは今はブログの気分で。

うん。書ける。

書けるよ。


この勢いのまま、また何日分も書いて「よっしゃブログ習慣復活だおらぁん」ってしたい。
でも、きっと、カレンダーのマスを埋めていくみたいにブログを使うと、どうしても粗くなる。雑になる。薄くなる。


それは嫌だ。
僕はブログを大事にしたい。

勢いとそのときだけの感情と、なんかこうぶわーーってきて、それが続く時しか、自分で「公開する」ボタンを押せるような文章は出てこない。

今、それが来てる。
書けそうだ。すごい。久しぶりだ。嬉しい



年末だから、振り返るような記事も書きたいけど、それはまた別のネタ。

とりあえず今この勢いに乗って、
もう一記事。

書きたい気持ちはあるけれど

書きたい。

久々に書いたブログは、思いの外反響があって(スターがちょっとついたり、Twitterでふぁぼされたり程度だけど)、もっと書くよーー見ててよーー行くよーーーみたいな気持ちになる。

でもそれは、経験則的に、だいたい空回る。


狙ったものほど響かなくて、なんのことなしにその場の気まぐれと勢いで書いたものほど響く。
うーむ。ままならず。



実は、3年前ぐらい、つまり20~21ぐらいの頃、たぶん一番ブログに乗ってた時期で、毎日書いたるぞオラオラ俺の声を聞けぇ、みたいな、
ともかくすごい勢いでブログ書いてた時期がある。

その頃に、書き溜めたネタが、ふとメモ帳アプリ開くとわんさか出てきた。

書いてる途中で勢い落ちちゃって、いつか続き書くだろうと残してた下書きの数々。
なんていうのかな、今読むとあれだよね。めちゃくちゃ青い。痛い。そして覚えていない。


人によって、あるいは年齢によって、変わってくるのだろうけど、
3年前ってもう僕にとっては大昔もいいとこで、
別人の感覚。

わりと人間的にいろいろ成長があったのが、浪人〜大学時代だし、ほんとに人が変わったと自分でも思う。


昔の自分がどうしてそんなに勢いがあったのか、全然わからない。



まぁ、そう、何が言いたいかって、
昔書き溜めたネタとか、使えないんだよね。今。


思考のきっかけぐらいにはなるけれど、その下書きに費やした以上の時間で、全く別のなにかを書くことになる。

いや、それはそれで別にいいんだけど。


TwitterとかInstagramとか、やってて思うのが、ネタって鮮度が命で。
やっぱり自分の中で旬なその瞬間を逃すと、「あ、忘れてたけど、まぁなんか放流して供養しときますか」みたいな残飯処理的な感覚になる。

それはやっぱり美味しくないし、不本意なものだ。

なんだったら、話のネタの鮮度の落ち方は、魚より早いかもしれない。冷蔵庫で保存とかできないし。


たぶん3年前の僕的には、冷蔵庫的感覚で、食いかけのネタをしまってたんだけど、そりゃ腐りますわな。
想像したら相当にグロテスクだ。

最近冷蔵庫に溜まってた果物とか処理したけどやばかったし。うん、古いのダメ、絶対。鮮度、大事。



そうこう話してるうちに、この話題自体も鮮度が落ちてきた気がする。

そろそろ〆時か。


他のブロガーさんたちはどうしてるのかな。

やっぱ一度書く手を止めちゃったらなかなか書ききれなかったりする?
それとも昔のネタもきっちり処理する?

はてブしていいのかためらう

はてブ

いつも見てます。チェックしてます。


ぶっちゃけ思うのが、はてブって、ネットの下水道みたいなとこある。

いや、下水道は言い過ぎか。

なんかうまいたとえが出てこない。
でも少なくともきれいな場所じゃない。
なんかこう、混沌で、複雑怪奇で、魑魅魍魎的な、そんな感じがある。


だからこそ、単純に、購読してるはてなブロガーさんとかの記事で「いいね!コメントしてシェアしたい!」みたいなときに、すごい迷う。

てか、迷った。
さっき。

結局はてブしちゃってTwitterにまでシェアしちゃったけど。


はてブ、って本来、はてなブックマーク、読んで字の如し、個人用のブックマークリストみたいなものなのに。

はてブ数ランキングなんてのができちゃって(詳しい歴史知らないですごめんなさい

はてブつける=晒し者にする、みたいになっちゃってる節ない?

まぁ、いうて、5回に1回くらいは、ネットの光属性的な、もうただただいい話とかも上がってくるけども。



ブログにコメントしたいとき、どうしたらいいのかなぁ。

記事にコメント書くと、そのブログを読みにきた他の人にも見えちゃうところにコメントが出ちゃうから、それはそれで恥ずかしいというか気まずいというか、、
なんか勇気いる。

だからはてブ…と思ったけど、それはそれで…
もともといくつかコメントついてるならやりやすいけど…

ファーストペンギン、こわい…


俺はどっちがいいかなあ、って考えたけど、
ぶっちゃけ言及されるのが半年に1回ぐらいだし、どっちでも嬉しいわ、あはは。

Twitterとかでアンケート取りたいけど、、

なんかちゃんとブロガーしてる人たちってTwitterそんなやらないし…
活発にTwitterしてるブロガーってアフィ&サロン界隈のイメージ…
しらんけど。



どうですか、みなさん?←

ブロガーとしての片思い

ブロガーになって、4年?いや5年?

とにかくかなり経った。

 

ブロガーでない瞬間もあったけど、こうして筆を取ればすぐに僕はブロガーだ。

 

かなり前、

僕は僕の言葉をより多くの人に届けたかった。

TwitterとかFacebookとかで、自分の言葉を自分のものとして、自分の一部として宣伝しまくった。

 

それは目立ちたかったのか、共感が欲しかったのか、まぁなんかしら意図があったのだと思う。

 

そんな頃、

Twitterで、さほど会話したこともない、でも時々ふぁぼを送り合うような人が、ブログを始めた。

僕と同じ、はてなブログだった。

今思えば、既にあったものをそこに書き出しただけかもしれない。

 

ただ僕には、そのタイミングは僕のブログを見て始めてくれたように思えて、なんだか少しワクワクした。

 

その人のブログは、とても生々しくて、とても叙情的で、

上手く言えないけど、魅力があった

 

たぶん僕よりいくつか年下で、

若さゆえの葛藤とか、色恋とか、そういう身近な話題を僕には見えない角度から描き出せる人だった。

 

勘違いしないで欲しいのだが、僕はその人とお近づきになりたいとか、そんなことは思わなかった。

ただ、その人の読者でいたかった。

 

たぶんその人の魅力的な文章は、その人をちゃんと知る人に見られてはいけないもので、だからこそその文章は魅力的だった。

知ってる人が誰もいない場所で、誰に届ける意図もなく、かといって愛着を込めずにはいられない、そんな文章が良かった。

そういう文章を、同世代で、書き続ける人を僕はそんなに知らなかったから、なんだか川の向こう岸で同じようにぼーっとしてる人を見つけたような、ささやかだけどほわほわする気持ちになった。

 

 

その人は、ときたまこうしてブログを開くと、未だにブログを書いていてくれる。

 

嬉しい。

 

仲間がいるって、嬉しいね。

 

きっとこの嬉しさは片思い。

でも別に切なくない。

自分をアピールしようとも、思わない。

 

ただ、僕は向こう岸を眺める。また忘れた頃に。