手帳をうまく使えない
なんか書きたい!!って欲求がすごいのに、全然さらっと書けるネタがなくて、とうとうやってしまいました。
いつの間にかはてなブログに実装されていた、新機能。
「お題スロット」
読んで字のごとく、お題をランダムで提示してくれるのです!あら嬉しい!
さーて今週のもみじさんは…
デュクデュクデュクデュク、ドン!
手帳〜〜〜
って最初に書いてあるやないかーい👏
はい。(閑話休題
それでですね。
私、実は最近悩んでいることがありまして。
皆さん、手帳うまく使えてます?
てか、スマホやらパソコンやら、googleカレンダーやらある昨今のデジタル社会の中で、手帳使えてる??
俺はですね。
使えてないですね。
最近はGoogleカレンダーに予定を書いてスマホ・パソコン連携させて、TodoリストはTrello*1というサービスにハマっておりまする。
なんだったらスマホやらパソコンやらで予定を管理する前、高校ぐらいから手帳には挑戦してるんだけど、連戦連敗中でござる。
そもそもあれなんだよね、書くほどの予定がたっぷり入る生活をしてないのよね。
ライブとか、イベントとか、コンサートとか、早くから日程が決まってる予定がほとんどない(インドアだから)。シフト制のバイトもほとんど経験がない。デートも不定期。
あれ、、もしかして書くことなくない??
って思ったのでググってみた。
手帳にはスケジュール以外に何を書く?私が書いている8つのこと | アオイロノヲト
これによると書くことない人は
1. 目標を書け
1年間の、またはその月に「これを達成するぞ」という具体的な目標を立てても良いですし、「これを意識してやってみよう」というテーマを設定しても良いです。
→ ふむ、なるほど。良さげ。2. 大切な人の予定
→ 確かに!人の誕生日とか全然覚えられないし、書いときたい!3. 関わっている人・応援したい人の名前
同じく意識を接続する意味では、お客さんなど関わっている人や応援したい人の名前を書いておくのもおすすめです。
→ ??!えーと、うん??わからんぞ、どゆこと??4. アファメーション。
何か自己暗示をかけたいことを1つか2つ、短い文章にしてノートのページとか表紙を開いたすぐのページなどに書きましょう。
→ …うーん、、書かなきゃだめ??
というわけで、2/4、つまり1/2参考になりました。
確かに、最近は目標というより、ひたすらメモったToDoを消化してるだけだしなぁ。生活全体の指針というか、大きな目標は形骸化してるかも。
目標書いておけば、予定確認の度に目に入るわけだし、ありだな。
結局それぞれの日に書く予定がイマイチ少ないんだけど…そこは頑張って「書くぞ!」っつって書くよ、頑張る!
何当たり前のこと言ってるんだこいつ。
皆さんはどんな風に手帳を使っていますか?
軽いノリで情報提供まってまーす!
※とりあえずバイトと、来月(明日だけど)の目標書いてみたw
いじめは災害みたいなものかもしれない
ふと、新聞を読んだ。学校の図書室で。
んで、新聞の頭に「いじめ」という3文字が見えて、つい食い入るように読みふけって、言いたいことがもにゅもにゅーとなった。
インターネット使ったいじめ 1万2000件超で過去最多 | NHKニュース
もにゅもにゅー!
なんだかわからないけど、いじめの認知数が過去再高なんだとか。
ふむ。
そもそもさ、いじめを数で捉えることに意味なんてあるのだろうか。
いや、まぁ統計として、数えるのは大事なのかもなんだけどさ、いじめってなんか雲みたいなものというか、どこからがいじめってわからないじゃない?
よく「いじめは被害者がそう感じたらいじめだー」ってあるけど、本当にそんなのいちいち報告してたら1万どころじゃ済まない気がする。
からかいだって、ふざけ合いだって、いじりだって、いじめになる可能性は十分にあるわけで。
でもそういったものは、確かに被害者から見れば加害行為だけど、得てして子供時代の通過儀礼というか、必然的スキンシップというか、そういう性質を持っている。そういうやり取りがまったくない学校生活を想像すると、それはそれで不気味だ。
俺も、いじめという災害に巻き込まれたことはそこそこあるけど、なんというか、本当に人に相談しないとどうしようもならないものと、一種のコミュニケーション、スキンシップ的な側面を持つものとあって、後者に関しては問題として取り上げてもさほど得るものはなく、むしろ溝が深まることもありうる。
いや、あるいは加害側の感覚としては、全てスキンシップ的な感覚だったのかもしれない。
昔は、誰かに傷つけられた、侵害された、そのことへのショックがあって、それを訴えることが正解なのだと思っていた。
でも今思うと、冷静に相手の意図を汲み取れば、別段傷つくこともなかったのかもしれない。
いじめという現象は、要するにすれ違いなんじゃないかな。
何かをさせたい人と、何かをしたくない人、それがこすれて、ぶつかって、先に武器を構えたほうが悪になる。
無論、言葉だろうと、拳だろうと、武力に訴えるのは短絡的だしリスクが大きすぎる。
そこでブレーキを踏めない人、あえてアクセル踏み込んじゃう人は、素直に軽蔑してるよ。もちろん。
でもそれはほとんどの人が成長につれて、そこそこ丸くなって、アクセルブレーキの扱いはまともになるのよ。
実際、大学生になってから危なっかしい運転する人にはあんまり会わない。おかげで平和だ。
つまり何が言いたいかって、いじめってのは幼さ故のトラブルなのよね。まぁ当たり前なんだけど。
かくいう俺も、つい1年前かそこらは、「いじめっ子に限って人生楽しそうやんけ!許せへん!!」とか思ってた。
「俺はどんだけ経っても傷つけられた事実は忘れないからな!許してやってるけど、忘れないからな!」とか謎のマウントとってた。
ただふと冷静になると、加害者も、被害者も、幼かっただけなのかもしれない。
幼いからすぐ手がでるし、幼いからすぐふさぎ込むし、幼いから引きずるし、幼いから世界の広さに気付けない。
勘違いしないで欲しいのだけど、不登校になってしまう子、あるいはそれ以上の選択をしてしまう子たちをdisってるわけじゃないよ。
自分もそうなったし、わかる。
当時の自分のとっては、本当にそれしか道がなかったし、それが真実だった。
その時点でそうなってしまったのは仕方ないし、その選択もその時の精一杯なわけだし、間違いじゃない。逃げることでしか意思表示できない場面だってある。
その選択を卑下したりはしない。一瞬の決意を、尊重したい。
ただいろいろ通り過ぎていった今言えることがある。
いじめって、幼さから必然的に起こる、災害みたいなものだったかもしれないって。
いわば青春の嵐。
誰を攻めてもどうしようもない類の、災い。
災いだから、傷つく人もいる。命を落とす人も。
「いや、そんなことない、いじめっ子が悪い。あいつらのせいで俺は、」とか思う人もいるかもしれない。
確かに加害者はいる。
俺も、世間にはいじめっ子出身者と、いじめられっ子出身者しかいないって思ってた。被害者でいるのは楽だし、復讐感覚で好きに物言える感じは心地よかったさ。
憎まれっ子世にはばかって、正直者ほど損をする。そう単純に世界を嘆いていたかったさ。
でもそう単純じゃないんだ。
世の中はもっと複雑で、いろんな人の"したい"と"したくない"がグチャグチャに絡み合って、幸福も不幸も、雑にふった塩コショウみたいに不均等にばらまかれていく。
しょっぱいも辛さも、酸いも甘いも、混沌でランダムで不公平だ。
そんなグチャグチャな世界で、誰が悪いかなんてはっきり決められない。加害者だって誰かの被害者で、誰かの奴隷で、その加害者だってわからない。
仮に誰かを「悪者だ!」と決めて貶めたとして、それで自分が幸せになれるとは限らない。復讐したって、傷を負った事実は消えない。どんなに色を重ね塗りしたって、固まった絵の具は剥がせない。
そんなわけがわからない世界で、空気で、空間で、僕らは呼吸をして歩かなきゃいけない。
なんだかこうして世界の広さを感じていると、いじめという問題を考えるのがちっぽけに見えてこない?
世界は広いぞでっかいぞう。北海道もでっかいどう。
もちろん、いじめって現象を「ありきたりだ」と軽く容認する社会であってほしくない。災害だから、援助もすべきだ。悼むべきだ。
でも、いじめに敏感すぎる社会も、あんまりいいこととは言えないかもしれない。
なんだか最近の社会は、みんなが悪者探し悪者叩きに躍起になってる感じだ。
悪者を痛めつけることよりも、優しくしようよ。眼の前の人に、自分に、言葉に。
僕らは戦う以外の手段をたくさん持ってるはずじゃないか。
What’s going on?
僕らはもう生き抜いてやろうよ。
わざわざ人の見ているところで
ふと思うんです。
人前でベタベターっとしてる男女。なんか微妙にはしたなくない?
まぁベタベターの基準が人によって違うのかもしれないんだけど。
なんていうか、逢引ってのは、もうちょい慎ましくても良いものじゃないかと。
なんか勝手に二人で都合よい世界に浸ってるんじゃないよ、と。ここはみんなの空間なわけで、あなたたちの部屋でも、別荘でも、個室でもなんでもないわけで。
そういうのが最近、文字だけのネットとかいう世界でも起こる。
ま、別にいいんだけど。知らんけど。
でも、なんかわかるわけよ。
あ、この人、自分のプライベートな部分をあえて見せようとしてるなって。
いたたた。
別に馬鹿にするとかそういうのではなくてね、周りは目を覆いたくなってるよって伝えたいだけ。なんというか、ほんとにただ、見るに耐えないアレがね。
んで、そういうのに限って、プライベートな部分でのはしたない衝突が衆目に晒しちゃったりして。あっさり別れました、とかなったりして。
いや、まぁ、別にいいんですけど。
個人的には隠すべきものを表にしてよかった、って経験はないんだよね。
ブログを書こうよフレンズ
ウェルカムようこそブログパーク!今日もどったんばったん、お、お、さわぎ!!
TVアニメ『けものフレンズ』主題歌「ようこそジャパリパークへ / どうぶつビスケッツ×PPP」 - YouTube
はいどーも、もみじです。
モミレンジャーオレンジです。
一人暮らしで帰宅した後の無気力と戦う内なる戦士です。
今日はシャケ(鮭ではなくシャケと言いたい)のバターホイル焼きを作りました。
シャケのバターホイル焼き〜🐟それと大根の味噌汁!作り置きしておいた煮卵!!香ばしいバターの香りに醤油とレモン汁がよく合ってめちゃうウマだった(*´﹃`*)#飯テロ
いや、ほんま美味かった。
意外と手間全然かかってなくて、アルミホイルにシャケの切り身と、キノコと、にんじん、バターを包んでフライパンで蒸すだけ!
詳細レシピ👇🏻
いやほんと、バター甘みと香ばしさが染み込んで柔らかくなった、にんじんときのこ、そこに醤油とレモン汁をかけたら、the至福だよね。
特にしめじが美味かった、柔らかくて臭みもなくて。
マジ作ってみ、簡単で激ウマだから。
これは是非我が家の定番レシピにしたい。
まぁそんな報告は日記的な前置きでして、今日のトピックは、
ブログ仲間が欲しい!
まぁなかなか誘いに乗ってくれる人が少ないのはわかってる。
うん、実際、ちゃんと文章を書くってなるとそれなりに気疲れもする。
俺も張り切ってるわりにはパラパラとしか書けてないし。ほとんど黒歴史だし、消したいとか何度も思ったし。
なので、無理は言わない!
けどあれなの!仲良い人らの文章が読みたいの!
どんなジャンルでも、どんなテイストでも、近しい人の文章が気になるの!
んで交換日記じゃないけど、なんかテーマ決めて書いてみるとか、言及し合うとか、そういう絡み合いがしたいの!文章で!
アクセス稼ぎとか宣伝とか、そういうんじゃない妙にエモくて妙にリアルな日々の話がもっと読みたいの!
ツイッターで話しきれない何かがあった時、それはブログに書くべきなんだと思う。
年代が近い人のそういう感情の発露を読みたい。「あぁーわかる!」とか「うえ、そんなことあったんかマジかよww」とかそんなこと思いたい。
んで自分のモチベもあげたい。もっといろいろ語りたい、語り合いたい。
てなわけで、ブログを書こうよ、フレンズ。
あ、ちなみに、はてなブログ鬼おすすめです。
シンプルだし、カスタマイズの自由度高いし、ふぁぼみたいなスター機能あるし、購読機能でフォローした人の投稿チェックとかできるし。
君は◯◯のフレンズなんだね!とは (キミハマルマルノフレンズナンダネとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
どういう男になるか
やっと余裕ができたので、ブログがかける。
なんとなく、「明日は仕事だ、早寝しなきゃ!」とか「明日は1限だ、やばい!」とかそんなこんなで気忙しくて、帰宅してからゆったりできる余裕がなかった。
明日は休みだよ、土曜日だよ、朝はペットボトルとビン・カンのゴミだよ!
わぁ、なんてこったい8時前に起きなきゃ。
まぁゴミそんなに溜まってないし、生ゴミじゃないしだいじょうぶ!!←
見事フラグを回収するかは、Twitterでご確認ください、皆様。
最近よく自炊をしている。
味噌汁はあれから2回作ったけど、うむ、なかなか奥が深い。出汁の風味を残しつつ、野菜も柔らかく、そして味噌の味もちゃんとする理想はまだまだ先だ。
そんな矢先、こんなニュースを読んだ。
かなり共感した。
というか、オリラジの人のキャラをあまり知らなかったのだけど、ここまで典型的なモラハラを家庭内で行っていて、しかもそれを開けっぴろげでいる状態に、そこそこショックをうけた。
正確には、それに対して謝っちゃう奥さんとか、良い夫って評価しちゃう世間とか、そこら辺全体にショックを受けた。
いやいやいや。
そもそも、なんで家事って妻の仕事って固定観念から抜け出せてないわけ。
家の仕事でしょ?家庭のタスクでしょ?二人のタスクでしょ??
なんでいつの間にか責任者一人と、被扶養者一人になってるわけ。
なんでちょっと家にいるだけで、買い物しただけで、子供の迎え行っただけで偉そうなの。
そんなんで威張れるんだったらお前さんよ、それを日常的にこなしてる奥さんの偉さ半端ないやんけ。
同じ目線で立つとか許されないレベルだよもう、土下座しよう()
まぁ、偉そうにしたくなる気持ちはわかるよ。
かくいう俺も、なんとなく「自炊してる俺やるやん」って思ってるとこはあるし。
でも、それを内側に秘めるのと、恩着せがましく妻や人に自慢するのとでは話が違う。
それを当たり前にやっている人が近くにいるのだから。
そもそも俺が思い切って自炊を頑張り始めたかというと、別世帯で同居していた婆ちゃんが入院したからだ。
元々母親を早く亡くした僕は、ばあちゃんにずっと育てられたようなものだ。
以前から、料理の味やクオリティが著しく下がっているのを感じていたし、そんなときでも文句だけ言ってふんぞり返って待っている爺ちゃんと、自分の姿にムズムズしていた。
料理するのは好きだったし、たまにやっていたけど、それはただの趣味レベル。冷蔵庫にあるものを効果的に使えず、レシピのための買い物にいき、しかも中途半端に余らせて食材をダメにしたり。
まぁつい最近までそんなどこにでもいるような、生活力の微塵(?)もないクソ男の一員だったわけで。それを思えば、俺に人のことをとやかく言えない気もしてくる。
話が逸れてしまった気もするけど、ま、結論からいうと、そういう男にはなりたくないなって。
今だから言えることだし、たかがこの程度で満足してちゃきっとダメだから、もっと頑張らなきゃなんだけど。
というか、男だ女だという話以前に、単純に自炊が楽しいし、当たり前の家事が当たり前にできて、なんかそういう当たり前の要素で人を支えられるって嬉しいなって思うだけなんだよね。別に威張りたいわけでもなくさ。
そりゃもちろん感謝されたいし、期待するけど、なんか見えないところでさり気なく細やかなところを整えておく感じというか、それもまた好きなんだよね。「実は綺麗にしておいたんですよ、うへへ」っつって。
うん、尽くすタイプ。ひょっとしたら生まれてくる性別間違えたかも。
なんか幼い頃から、なぜか"台所にエプロン姿で立つお父さん"っていう存在にすごい憧れがあるんだよね。
テレビの番組で見たのか、あるいはごく稀にカレーを作っていた父の後ろ姿だったのか、原因は覚えていないけど。
スポーツ選手とか消防士とか警察官とかじゃなくて、家の台所の父親ってシチュエーションがなんだかすごいかっこよく見えたんよね、なぜか。
今思うとギャップ萌えだったのかもしれない。当時そんな言葉はなかった気がするけど(笑)
つーわけで専業主夫めざして明日も味噌汁に挑戦だー! \オー/
あ、就職決めてるから専業ではないか。