もみじろぐ

とある男の、心のほんの一部

僕が本当になりたいのはエンジニアじゃなかった

今日、また面接を受けてきた。

正確には選考に至る正式なものではなく顔合わせとしての面談、というものだったのだが、まぁ同じぐらい緊張したのには変わらない。

今回も、また自分の中に一石を投じられた。

そして図らずも自己分析を余儀なくされた僕は、ふと思った。

僕が本当になりたいのはエンジニアじゃなかった。


僕らはPawn(歩)

チェスのポーン。または将棋の歩。つまりは歩兵。

僕ら就活生は、そういうものじゃないかと思った。


確かに、最初からビショップとか、ルークとか、なれると思ってたわけじゃない。

だけど。



今日の企業はわりかし勢いのあるところで、最近名前もチラホラ出てるところで、かなり前から憧れの企業だった。

僕にとっては遥か高望みで、高嶺の花子さんで、ほんとスカウトが来たのがビックリするぐらいだった。

もしこんなクソ雑魚な僕に需要があるのなら、どんな場所でどう使われても光栄な気がしていた。

だけど。



たぶんその企業だから、というわけじゃない。たぶん多かれ少なかれ、どこもそう。

「歩兵、足りなくなったから補充したいんだ」

そう聞こえた。実際それと同じ意味のことを言われたかもしれない。

別にいいさ。どうせ最初はみんな歩兵だ。

でも歩兵にだって意地はある。志まで歩兵なわけがない。いつかキングを取ってやる。


だけど、エンジニアって、もしかしてずっと歩兵なのかな。

そう思ってしまった。

例えば、家を建てるとした時、エンジニアは大工さんにあたるんじゃないかと。

悪いなんて言わない。大工さんには大工さんの誇りがある。工夫がある。専売特許な技巧がある。


けど、それは誰かに使われる人だ。裏方だ。あまり光の当たらない場所だ。


それが明確に嫌だと感じた。


目に見えるものを作っていたい

思えば、僕は元々プログラミングどころか、パソコンにも疎かった。インターネットに触れる時期も遅かった。


そんな僕がどうしてここまでのめり込んだか。

それはプログラミングが、道具として優れていたからだ。

作りたいものを作る道具として。イメージを実現する道具として。

僕にとってプログラミングはゴールじゃなかった、優れた道具だ。そして道具の使い方を覚えたのは、作りたいものがそこにあったからだ。


例えるなら、漫画が描きたかったから、Gペンを扱っただけのこと。文房具マニアになったわけでも、文房具屋さんをやりたかったわけでもない。文房具を生産する工場の職人になりたいとか思ったこと一度もない。

僕は漫画が描きたかったんだ。(実際描いてた時期もあったけど!


僕は作りたいものがあって、それを実現したかった。

HTMLにこだわったのは、フロントエンドにこだわったのはそのため。SEを名乗らなかったのはそのため。

わざわざ情報系の学部に入ったのに、プログラミング専攻の研究室に所属しなかったのはそのため。

僕は人の目に映るものを直接、自分の手で作りたかったんだ。

設計図を再現する人じゃなくて、設計図を書く人でいたかったんだ。誰かの下とか、言いなりとか、クソ食らえ。


今になってようやく思い出した。

手元の技術の誇示に夢中になって、エンジニアという進路しかないと自分で道を狭めていた。

危うく本当の想いを忘れるとこだった。

エンジニアというよりはデザイナーでいたいし、会社員というよりはアーティストでいたい。

まぁ、悪く言えば、理想が高すぎるし我も強すぎるんですがね。はい。

人に”思いやり"を配りたい

僕が就活を意識してエンジニアという肩書きを背負う前の話。

ゼミの先輩と就活の話になり、「何かやりたいことあるの?」と聞かれて即答した。

「Webデザインをしたい」

自信満々に答える僕に対して、怪訝な顔をして先輩は言った。

「んー…、Webデザインで何をしたいの?」

答えに詰まってしまった、悔しい思い出。


今はもう答えられる。


O・MO・I・YA・RI!


おもてなしではなく、おもいやり。

自分がどんな人間か、どんな性格かを聞かれた時、人はどう答えるだろうか。

「何事も責任を持って最後までやり遂げる…」
「サークルでリーダーシップを発揮し…」
…etc


僕は、自分を「優しい」人間だと思っている。

ついでに人前でそう答えられるほど恥を知らない根性もセットで持ち合わせている。

でも考えてみてくれ。責任感が強いも、リーダーシップも、相対的な自己評価だ。僕は一定数の人より相対的に「優しい」自覚がある。

と言うのも、今の世の中、他人に本気で興味がある人はかなり少ない。

就活で最も企業が期待する能力がコミュニケーション力というが、コミュニケーション能力は人に興味がなくても会得可能なスキルだと感じる。それどころか、"人に興味のない方が”得意とする分野だったりする。

木を見て森を見ず、の逆。群衆を見て一人を見ず。現代社会はそんな雰囲気が強い。

話が少し逸れたが、僕は他人に興味があって仕方がない部類の人間だ。木を見て森を見ずが好きなタイプだ。もちろん興味の外に放り出す人物も少なからずいるが、それでも知り合った人一人それぞれの深い部分にとても興味がある。

それゆえに人をよく観察するし、当人の意思や言葉をより多く取り入れる。そしてその個人の求めているものを与えたくなる。
より快適に過ごして欲しいと願ってしまう。

喧嘩をしていれば仲裁したい。
怒りに震えていれば落ち着かせたい。
悩んでいれば話を聴きたい。
苦しんでいれば痛みを和らげたい。
自身を傷つけていれば、その手を止めてあげたい。

自分が直接何かできなくても、健やかで幸せであって欲しい。

幼い頃から、ずっと変わらず、そう思っている。


小学校かなんかの成績表で担任が「人をよく見ている」的なコメントをくれた記憶があるし、亡き母が僕を「正義感の強い子」とどこかに書いていた記憶がうっすらとある。


そして、同時に優しくないものに憤っている。人にも、仕組みにも怒っている。

デザインにもムカついている。



世の中には優しくないデザインが多すぎる!


つまり、これが答え。

僕は、物を通して「人に優しくしたい」んだ。そういう形で、人と、社会と関わっていたい。

もしそれが出来たなら、僕はそういう人間であることに誇りを持てる。


どうしよう

実はちょっと、まだ考え中。

とりあえず、思わぬきっかけで自己分析できたので、この記事はもろ自分用。


実際それっぽいこと言って、現実性としては皆無。


いうて、せっかくいろいろ勉強したし、フロントエンドエンジニア的なことはしたい。

Web開発なら裏方じゃなくて表側をやりたい。

※サーバーサイドがやりたくないわけじゃないけど、デザインに手出しできないポジションは嫌だ

でもなんかそもそもWebに拘る必要もないのかなって思い始めて、しかして完璧に素人同然で、芸術的バックグラウンドもない自分が飛び込めるデザイン系の何かってあるのかなとか考えたり。

うーーん。


?「これはもみじにとって大きな一歩だが小さな一歩だ。」