知識は知恵に昇華して初めて役に立つ
知識と知恵の違い、なんて誰でも1度はググッたことはありそうな話題に触れてみる。
ふとプログラミングを勉強していて、思ったこと。
知識は知恵となって初めて役に立つ。「知識を持っている」だけでは現場で使い物にならない。
知識と知恵の違い
とりあえず、意味の確認から。
知識は、ある物事について知っていること。また、その内容。 学習や実験から得られた、誰もが事実として共有できるデータの集合体である。
知恵は、物事の道理を判断し、適切に処理する能力。 知識や経験を、必要な場面に応じて活用できる力で、知識よりも価値が高いものといわれることもあるが、知識のない知恵は役に立たず、多くの情報から必要な知識を得るには、取捨選択する知恵が必要になるため、どちらに価値があるというものではない。
“要領よく生きる”とは、物事をうまく処理して生きることです。悪知恵が働く(ずる賢い)人をイメージすることもあります。
その悪いイメージを捨てれば、“要領がいい=知恵が働く”だとわかります。
知識と知恵の違いを知る-生き方が分からない人生を変える | 成果をあげる知恵と行動
知識は食材。知恵は料理法。
「知識」と「知恵」の違いを、子どもに分かりやすく説明した... - Yahoo!知恵袋
ヤフー知恵袋のベストアンサーより
知識は知っていればいい。要するに暗記。漢字とか英単語とか歴史とか。ただのデータで情報。「知っている」ことそのものが価値を持つもので、その情報は客観的で共有も簡単。
知恵は知識の更に上の層(レイヤー)。知識と対立するものではなく、知識をベースとして初めて成立し得るもの。食材は独立して存在できるが、料理法たる知恵は食材なしには形を持てない。
反復が必要な実践的な知。経験を伴った知とも言える。
言葉とか文字では伝えられない、共有できないもの。
上の引用で「要領が良いと同義」という解釈もあったが、確かに、「要領の良さ」は教えられるものではない。本を読んでできる類のものじゃないし、人が人に伝えるのさえ難しい。なぜかというと、当人が実際に実践しないと会得には至らないからだ。
例えば料理本に書いてある情報は確かに知恵であるが、それは「著者の知恵」であって「読者の知恵」ではない。つまり読者にとって、そこに書かれている情報は最初はただの知識である。それを実践してみて、その上で失敗や成功があり、そこで得たものが知恵である。
つまり、知恵=知識×当人の経験
実践力や応用力とも言える。
これらの特徴を踏まえると、知識と知恵の一番の違いは「経験が伴っているか」にあると結論できる。
知識→知恵のアッアップグレード
違いがわかったところで、さてどうやってアップグレードしていくか。
まぁ言葉の上では簡単。経験が伴っているかの違いなら、経験を加えればいい。
例えば、料理本をいくら眺めていても、実際に作ってみなければ料理の腕は上達しません。最初は料理本のレシピを見ながら料理を作っていたとしても、試行錯誤をしながら工夫を加えているうちに、自分なりのレシピを見つけることができるようになるかもしれません。
つまり、「知識」はあなたの経験を通して初めて「知恵」に変わり、自分の能力として身に付けることができるのです。
「知識」を「知恵」に変えて生かそう | Biz Drive(ビズドライブ)-あなたのビジネスを加速する
実際に手を動かして、体感してみる。そうした”経験”を持ってして、初めて「理解」できる。「覚える」だけでは分からなかった「理解」という手応えは、自分の体感をもって初めて感じられるもの。
「覚えた」から「理解した」までの工程で得られる「経験」を得なければ、「知識」は「知恵」にならず、「知恵」で無ければ「知識」は生かせない。
知識を知恵にするのは経験であり、それには行動が必要である | あなたのスイッチを押すブログ
経験がもたらすものは単純な「覚えた」ではなく「理解」だという。
伝説の打ち切りマンガ「ポプテピピック」がLINEスタンプに よくみたらクソむかつくとき、完全に理解したときなどに便利 - ねとらぼより
我々は理解という単語を日々「わかった」という用途で軽く使ってしまうが、この場合でいう理解とは「情報を使いこなせる状態」を示している。
つまり知識は「情報を持っているだけ」の状態であり、
知恵は「情報を使いこなせる」の状態だ。
情報を使いこなせる、と言ってもイマイチ想像しにくい。
料理に例えるなら、料理法を会得した状態であり、情報は食材だ。つまり知恵を身に着けた状態とは、自由自在に料理ができる状態を示す。
そこに至るには二度や三度以上の料理経験は欠かせないだろう。
つまりトライ・アンド・エラーだ。
我々は何度もの挑戦と挫折、失敗を繰り返すことで、知恵にたどり着けるのだ。
プログラミングは知恵となって価値を持つ
さて、ここまできてようやく持論の回収。
他の全てのことにも共通すると想像するが、あえて自分の専門分野のみで語る。
プログラミングは知識だけ持っていてもクソの役にも立たない。
JavaやRubyの軽い経験があるとはいえ、HTML,CSSエンジニアに特化した僕がプログラミング全体に対して何かを述べるのは少し気が引けるのだが
昨今、IT需要に応えるべく活発化するプログラミング講座、セミナーなどが増えている。
僕もエンジニアの卵の端くれとして、そういった仕組みには多いに助力をいただいたが、ここで警鐘を鳴らしたい。
ネット上で、プログラミングをさも軽い資格取得のようにぶら下げている宣伝文句が目立つ気がする。僕が通う大学の学部や研究室もまた、対外アピールとしてプログラミングをぶら下げている側面がある。
宣伝が悪いと言いたいわけではない。だがあまりにも実態が伴っていない。
宣伝する割には「その恩恵を受けてエンジニアとして第一線で活躍中!」なんて話を全く聞かない。
ハッキリ言ってプログラミングを舐めている。エンジニアを舐めている。プログラミングが一朝一夕でできる技術のように言われるのが我慢ならない。
「すぐにエンジニアになれる!」というのもブラックバイトの「働きがいのある職場です!」並に信用ならない。
プログラミングの深みを知って、何か作品を作ろうとチャレンジした人ならわかる。
ただ知識があるだけではプログラミングは何も恩恵を与えてくれない。何度も挑戦してトライ・アンド・エラーを繰り返した人にしか、知恵を求めた人にしか、恩恵を与えてくれない。
覚える文法は多いし、初めての概念は理解に苦しむ。バグやエラーは常に起こる。そして簡単な文法でさえ、繰り返し反復しないと抜けていく。
しかし、多くの困難を乗り越えて完成した作品と無事に動いたソースコードには、無限の愛情と誇りが沸き起こる。
それがプログラミングだ。
僕は知らない。
— Dr.メットール村井 (@fera_lady_Z) 2018年1月2日
たくさんのプログラミング言語を知ってるけど、ろくなコードを書けないプログラマに対する煽りで
「一生世界に挨拶してろ」
以上の破壊力を持った言葉を。
まさにこれ。
試しにやってみて「Hello world」できた!だけじゃ話にならない。
もっと圧倒的に辛酸の含んだ経験をしないと、「使える」段階には来ない。そこまで来なければ知識だけあっても知ったかにしかならない。
プログラミングが誰でも通れる広き門とは思っていない。だから挫折する権利もある。
けど向き合うと宣言したのなら、少なくとも教育する側は「知識」だけで満足させてはならない。そこまでの覚悟がないならそもそも向き合うべきではない。
知識は知恵となって初めて役に立つ。「知識を持っている」だけでは現場で使い物にならない。
多くの学徒と教育者に届け、この思い。
もちろん自戒を含む。
僕も、知恵として使える武器はまだまだ少ない。