もみじろぐ

とある男の、心のほんの一部

ひとつずつ、一歩ずつ

心に余裕がないとき、悪いことが起きたとき、悲しい出来事が突然襲ってきたとき。

そんなときこそ、ひとつずつ、一歩ずつ、何かをしていくしかないと思う。




最近、以前ほど、苦しむことがなくなった。

思い悩むことがなくなった。

何か強い感情に捕らわれて、自分だけの世界に閉じこもらなくなった。



あくまで相対的な話だから、全くスッキリ快活ってわけじゃない。でも、かなりマシになった。


なぜだろう。

最近は、「できること」と「できないこと」の区別が冷静にできるようになってきた。

「今思い悩んでも仕方がないこと」が感覚的にわかるようになってきた。


大学の成績が発表されて、正直留年が危ぶまれるレベルまでの酷い成績だった。

堕落した自覚もあって、予想していた話だし、そんなにショックはなかったのだけど、家族には相当なショックを与えてしまったらしく。申し訳ない気持ちになった。


絶望しても仕方ないし、これから挽回を図るしかない。

そう、冷静に考えて、やるべきことを、改善すべきことを書き出していったら、落ち着いた。




当たり前な話、と言ってしまえば、それまでなんだけれど、結局人は目の前にあることをひとつずつ片付けていくしかできないんだな、と思った。

人は行き過ぎた防衛本能とか、危険予知とか、そんな能力のせいで、未来とか社会とかいろいろ怖くて仕方なくなってしまうけど、きっとそれは知覚過敏みたいなものなんだと思う。

どうにもできないことを心配したり、悩んだり、そんなことをしても何も現実は変わらない。むしろ苦しくなるだけ。


自分にできること、自分にはできないこと、他の誰かにならできること。それをハッキリさせることを、アドラー心理学では「課題の分離」っていうらしい。

心がぐちゃぐちゃになったときほど、課題を分離すると物事は単純に見えてくる。



何かやらなきゃいけないことがあるとき、人は人じゃなくて機械に戻った方がいいのかもしれない。

余計な感情は捨てて、やるべきことを順序立てて、決められた目の前に出てきた処理を黙々と実行する機械になれればいいのに。




とりあえず、怠け者が染み付いている俺は、自分という機械を動かすマニュアル(やることリスト)をこまめに作りながら、頑張ろうと思う。

気が滅入るような問題でも、紙に箇条書きにするだけでわかりやすくなる。


先の大きなことはどうにもできない。

だけど、目の前に今できることはある。

それだけを見て、複雑にならないように、段階ごとに、ひとつずつ処理していこうと思う。


恐怖も不安も、その時になって感じて、その時になってどうにかすればいい。

わからないことはわからない。わかることだけ、どうにかできる。

きっと今は、怯える時間じゃない。