もみじろぐ

とある男の、心のほんの一部

人に汚く頼ること

ここのところ、僕はずっと調子が悪い。


恋人がいないから、とわかりやすい理由はあるのだけれど、そんな自分がまたどうしようもなく醜くい。

思えば昔から、正確にはTwitterに依存するようになってから、恋人ができるようになってからだけど、

「人を汚く頼る」方法ばかり覚えてしまったな、と思う。



人は利害の一致で繋がっている

僕は恋人を利害で捉えてしまっている。

また好意を抱いた相手を利害で測って取捨選択している自分がいる。


学校で居場所がないから友達を作る。

一人では効率が悪いから同僚と協力する。

同様に、自分の寂しさを埋めたいから、社会的な孤独から逃れたいから恋人を作る。


ぜんぶぜんぶ自分のため。自分の利害のため。

利害が一致するから人は一緒にいられる。行動できる。好きになれる。


逆に利害が合わなければ人は決裂する。

自分が得しない相手と関わる意味がない。

気の合わない人と一緒にいる意味はない。俺に何も与えてくれない人といる意味はない。俺をわかってくれない人といる意味はない。



そうやって、俺は貴重な出会いを砕いてきてしまった。

今は、後悔しかない。


自分はどうして、そんな身勝手なことを考えられたのだろう。

自分が相手に何を与えることができたのか、考えることもなく。被害者ヅラして。

自分の願いが叶えてもらえなかったからと、切り捨てて、結果今もこうして「叶えてくれる誰か」を求めている。自分は何を努力することもなく。



「この人なら自分を愛してくれるかも、必要としてくれるかも」

そんな思いだけで、いろんな人を振り回した。心を乱した。甘えに甘えた。


でも自分は相手に何をしてあげたというのだろう。

自分の与えられるものだけに夢中で。本当にその人を「幸せにしたい」と思っていたのだろうか。

人の弱さにつけ込んで、無理やり心の距離を近づけて、

何をそんなに焦っていたんだ。何をそんなに嘆いていたんだ。


こんな、ただただ「寂しい」というだけで、なんて身勝手なことをしていたんだろう。

そこにあったのは本当に「好き」なのか、「愛情」なのか、「好意」なのか


簡単に相手が変わる「好き」に一体どれだけの本心が入っていたというんだ

言葉の上ではなんとだって言えてしまう。

ただ言葉にすることで退路を断っていただけじゃないのか、責任を生じさせていただけではないのか、相手からの返報性を期待しただけではないのか


「好きに理由はない」と誰かが言った。けど理由も原因もハッキリしない感情をどうやって判別すればいいのだろう。

友情なのか、恋慕なのか、ただの哀れみなのか、もはやただの性欲なのか

もう何もわからない。



愛情に、好意に、説明をつけないと飲み込めない自分が嫌だ。

もっと言葉じゃなくて感覚的に飲み込んでしまいたい。

ただなんとなく、一緒にいると楽しいから、安心するから。そう言いながら幸せになりたい。



優しさは道具

僕は人に「優しい」と言われる。

それが妥当な評価なのか僕にはわからない。

何が本当に優しいことなのかもわからない。



ただ自分の唯一の武器かもしれない、という不思議な自負がある。

傲慢かもしれない。錯覚かもしれない。


ただ人の心に入る時、それが「役に立つ」ものであることを僕は昔から知っている。

誰かに愛されるためにそれが「役に立つ」ものなことを知っている。


だから利用した。

だから身につけた。


人の心を読み取って、その人が望むように振る舞う。その人が欲しい言葉を与える。その人をよく見ていれば、そんなのは造作もないことだった。


だから弱い人は僕にとって都合がいい。

自分と似た弱さを持っている人はとっても都合がいい。


どんな言葉を欲しているか。どんな気持ちを欲しているか。手に取るようにわかる。つけ込みやすい。

弱い人は人に頼ることを諦められない人だ。だから分かり合える。だから必要としてもらえる。


逆に強い人は都合が悪い。取り付く島もない。

きっとこの人は僕がいなくても一人で歩いていってしまう。

それでは困るんだ。僕を必要としてくれないと。





核は恐怖

ドロドロと、自分の中に汚いものが育っている自覚がある。

どうしてみんなはこうならないのだろう。

どうしてみんなは一人でそんなに勇ましく、強く、気高く歩いていられるんだろう。


僕にはわからない。どうしていいのかもわからない。


自分が生きる意味すらわからない。

だって自分は何者でもないから。

醜くて、怠け者で、何の力もないから。

今まで必死になれたことなんてなかった。成し遂げたことなんてなかった。

こんな醜悪な自分をどうやって信じろというのだろう。どうやって価値を見出だせばいいというのだろう。

自信なんてあるわけがない。

前に進む力さえない。


そんな僕がやっと覚えた一つの知恵が、「人に汚く頼る」ことだ。


自分では自分が信じられない。でも誰かが自分を信じてくれたなら。自分を愛してくれたなら。きっと生きる意味になるんじゃないだろうか。

大好きな人のためなら、頑張れるんじゃないだろうか。

少なくとも生きていいと思えるんじゃないだろうか。



でも結局そんなものは現実逃避の一つでしかなかった。

誰かの愛に溺れるのは心地が良かった。安心できた。

恋愛は僕にとって嫌なことを忘れさせてくれる、不安を一時的に見えなくしてくれる薬でしかなかった。


僕の現状はまさに薬物中毒者のそれじゃないか。


きっと世間は、多くの人は、こんな自分を気味悪がるだろう。

親父は軽蔑するだろう。

友達はドン引きして遠くから眺めるだろう。

好きな人は、これから好きになるかもしれない人達も、怖がって離れていくだろう。



そう、怖いんだ。

僕はただ怖い。

こんな自分が嫌われてしまうのが。認められないのが。怖がられて気味悪がられてしまうのが。

誰もが自分を理解してくれず、哀れな目で見られるのが怖くてたまらない。



この恐怖を打ち消してくれる人がいたら、とても嬉しいのだけど、またそこに頼ってしまいそうな自分も怖い。


こんなことを書いて、どんな感想を抱かれるのかも怖い。


何かを期待している自分も怖い。