もみじろぐ

とある男の、心のほんの一部

【報告】クリスマスはダンゴムシになったよ

先日、クリスマスでしたね。というかもう大晦日ですね。報告だいぶ遅いですね、ごめんなさい。



今年のクリスマス、皆様どのようにお過ごしになったでしょうか。
恋人がいる人は素敵な時間を過ごせたでしょうか。いやまったく、心底羨ましいな。

リア充爆発しろ!俺はキモオタだから凝縮する!!


そんな俺はといえば寂しいクリぼっち野郎かなと思いきや、とある集会に参加しましてリア充じゃないのにリア充してました。


その会とは、石の裏のダンゴムシの会


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陰気なようでいて、子供の頃ダンゴムシを見つけた時のささやかな幸せのような、素敵なネーミングです。

どんな会かと言いますと、「生きづらいふ」というブログを運営されているえんぴつめがね氏が立ち上げた、「生きづらい人の安全基地」をモットーとして集まって語り合ったり、絆を深めたりする集まりです。

毎月第4日曜日に新宿付近で会議室などを借りて行われています。

主に参加しているのはえんぴつさんのブログを通じて、興味を持った方々。俺もその一人。20代の人が一番多い…のかな?


初回が行われたのが去年の夏で、今回のクリスマス回までで毎月開催で18回。

そんなダンゴムシ会に俺は初回ぶりの2回目の参加となったのですが、暖かく迎えていただいて…むしろ古巣だからとはしゃぎすぎてしまった感さえある…ありがたやありがたや…

ダンゴムシ会の感想

今回は二次会や重大カミングアウトなどイベント盛りだくさんだったのですが、まずは本編でありメインのダンゴムシ会の活動について。

※公式レポートはこちら


僕が初回に参加した時は、当然のことながら何もかも手探りな会だったのですが、18回と回数を重ねてくるともう運営体制も盤石なものとなっていて密かに感激。


今回の会の内容はシンプルで、家族について、人間関係について、仕事、恋愛、ネガティブ思考など様々なテーマに分かれて3,4人で話し合いをしました。


皆さん普段は何かと意見を言えない生活を送っているので、それを発散すべく大いに盛り上がった議論ができました。
主に俺は不参加時期の生活ぶり(主に恋愛方面)を話す羽目になりましたw


何か明るいものをそこで得るわけではないけれど、各々が溜め込んだ言葉や想いを吐き出し、整理し、振り返る素敵な時間だったと思います。

途中でテーマやメンバーを変えて様々な人と話せたので、それもまた新鮮な交流になりました。


何よりダンゴムシの集まりそのものが、本来友達にさえ話すのを躊躇うような、内面的な事情を話せる場や関係性なわけでして。
それはとても貴重というか普通ありえないものなわけで、立派な安全基地として作用しているように感じました。


居心地が最高、とまではいかなくとも「同じ複雑で苦しい事情を抱えた人がいるんだ」とわかるので、リラックスできる時間ですよね。

めちゃくちゃ落ち着くやんけ!また来たい!というかなんで今まで欠席してたんだ自分!!


ダンゴムシ会を離れて

ここでダンゴムシ会から長い間席を外していたのに戻ってきた経緯をカミングアウトしようと思います。


初参加時の感想記事↓
momijitan.hatenablog.com


上記事では取り繕っていますが、初回のダンゴムシ会参加時、正直、「自分はこの場所にいてはいけない」と思いました。

それは当時の参加者さん達のお話を聞いて「自分とは比べ物にならないほど真面目で、不幸な目に合って損をしてきた人ばかりだな」と直感してしまった事と、「自分はこの場所にいても生きる活力を得ることはない」とこれもまた直感してしまった事が原因です。

今思えば失礼な話です。


そんな場違い感と、大きすぎる期待を裏切られたような失望感と、妙なプライドで俺は、逃げ出してしまいました。責められることでもないのはわかっているのですが、それでも俺自身としては、何か切って捨てたような冷たい感覚がありました。

幸いその後彼女ができたり、大学のサークルが充実してきたりと、「生きづらさ」とは縁遠い世界に誘われてしまったため、俺の小さな罪悪感も消え去り俺の中で「ダンゴムシ」はなかったことになりました。

やめるか悩んでいた時の記事


それはむしろ幸福なことです。祝福すべきことです。


でも結局、運悪くなのか必然なのか、自分の内に秘める「生きづらさ」につっかえて、どうにも立ち行かなくなって、転がり落ちて来てしまいました。

「彼女がいる」という状態に依存して「生きづらさ」をただ上から塗りつぶしていただけで、それが失われたら醜くて貧相な自分を直視せざるをえなくなりました。

とっても滑稽なお話です。

自分のために、自分が「生きづらく」なりたくないがためだけに人を利用して、使い捨てて、残ったのは喪失感から来るより強烈な孤独だけ。

ダンゴムシ会に復帰する直前、そんな醜い自分を浮き彫りにされて孤独でいるのが何より辛い心理状態でした。クリスマスに一人だなんて、その認識だけで息が詰まって死にそうでした。


そんなとき、Twitterでクリスマスにダンゴムシ会を開催する、という通知が飛び込んできて、とても救われた気持ちになりました。

久々に勇気を出して飛び込んでみたら「石の裏の日陰に居たって幸せになれない」なんて思っていた自分は消え、「日陰ってこんなに暖かいんだ」って自分がいました。

本当に暖かく迎えて頂いて、心に染みました。なんて素敵な繋がりなんだと感動しました。心から感謝を皆様に言いたいです。

ありがとうございます。


そんな暖かい場所だからこそ、これからも長く居続けたいし、場そのものを支えたいと思っています。
ダンゴムシ皆勤賞取りたいなぁ。



二次会の感想

実はこっちがメインなんじゃないか、と錯覚してしまうほどボリューミーだったのが二次会です。

普段はファミレスで食事をするなどの会だそうなのですが、今回は一人暮らしのメンバーの自宅に集まって鍋を囲むという大イベント。

ダンゴムシ会本編で絡めなかった方とも会話でき、8人で鍋を囲むという滅多にない体験をしつつ充実したクリスマスの夜でした。今までのどのクリスマスよりも充実度は高かったかもしれません。


思い出すだけでニヤけるんだけど、なんていうんだろう、あの幸せを言葉にできない!!


大勢のご飯、特に鍋というのは絆が深まるんだなぁと、鍋の偉大さを痛感しました。もうこれは絶対みんなやるべき、人いたらとりあえず集めてやるべき。


印象的なのは餅が溶けてみぞれ風に白く濁った鍋と、〆のラーメンを食べ終わったあとで入れ忘れが発覚した白滝オンリーの鍋。

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うーん、白滝の味しかしないんだよなぁ…


代表えんぴつめがね氏の卒業について

随分ここまで長文になってしまいましたが、ここが一番語りたかった部分。


えんぴつ、ダンゴムシやめるってよ。

ダンゴムシ創設者であり代表であり仕切り役でもあったえんぴつめがね氏が、様々な事情により現ポジションから降りたいとのお気持ちを表明されました。


久々に帰ってきたら偉いタイミングだったぜこりゃ、てなもんで。


正直な感想を言うと、「仕方ない」という感情でしょうか。

俺はしばらくダンゴムシを離れていて、どんな人の出入りがあったか、どんな変化があったか、苦労があったのかを何も知りません。何も知らない若造がこれから偉そうなことを語ります。

なぜかってそれは、えんぴつさんの絞り出した言葉から複雑に絡まった何かを感じ取り、やり場のない切ない気持ちになったから。



僕はサークルでリーダー的な役割を担う経験があり、人を指揮する、指示をする、連絡など雑事を担うことの辛さを理解できます。それは1メンバーとして担うプレッシャーの何倍もの負担です。
どんな協力的なメンバーに恵まれた団体でも、優れた船頭がいなければ存続することそのものが困難です。
どれだけ社会のしがらみから逃れた人たちの集まりであろうと、人が集まった時点でそこに生まれるのは紛れもない小規模な「社会」であり、社会の存続には然るべき人材というのが必要です。


また、何か特徴的な団体が存在するとき、そこには象徴たる存在が必要です。それは必ずしもリーダーでなくても構いません。しかしその団体の中でひときわ輝いていなければ、目立っていなければいけません。灯台のような役割です。


えんぴつさんは、その「優れた船頭」と「迷い人を招く灯台」の2つの役割を持っていました。ハッキリ言って本来欠けてはいけない人材です。
しかし、それ故の負担は当人一人に長い間重くのしかかっていました。一人の人間が背負う仕事量や責任としてキャパオーバーなのは火を見るより明らかです。


たぶん会が始動した時からこの問題は見えていたし、ここに行き着くことも避けられなかったでしょう。むしろよく続いたものだとさえ思います。
それは次リーダーとして指名されている方の副リーダーとしての献身的な支えや、メンバーの謙虚で協力的な姿勢あっての賜物だと感じます。



また、この「石の裏のダンゴムシの会」という団体の性質も無関係とは思えません。

「生きづらさを抱えた人がいつでも頼れる安全基地」といっても、それは言葉から想像されるほどキラキラした場所ではなく、いうなれば様々な病気を抱えた人が集う病院の雰囲気に近いです。

病気を克服した人はその場から去っていき、闘病を続ける人は入院を続ける。
健康な人がいても、病人がいても、そこで吸う空気はどこか重々しく停滞を促してくる。


勘違いしないで欲しいのは、俺は「石の裏のダンゴムシの会」を否定したい訳でも壊したい訳でもありません。ただ、そういう性質を持つ団体であり、そういう意識を持って向き合っていかなければ存続するのも難しいと感じるのです。




つまるところ、「石の裏のダンゴムシの会」は結構な危機(≒転換期)を迎えていると思います。

いたずらに不安を煽っても苦しくなるだけですが、できるだけ多くのメンバーが問題の本質を把握しておかなければ、とあえてキツめの表現を用いて意見を並べてみました。


俺もここまで言葉を絞り出して、頭がオーバーヒートを起こしかけています。事態の本質を見抜く力には多少の自信があるのですが、これは問題が大きすぎて一人では手に負えません。

でも、今後のダンゴムシのために各々が当事者意識で議論して協力できればきっと、乗り切れます。



自分でも、久々に顔を出したネットで知り合った人の集まりに「なんでそこまで」という感覚もありますが、なんていうのかな、やっぱりこの場所と関係が好きだから。

与えられた恩恵をどこかに還元したいし、たった一晩でも鍋を囲んで笑い合えた幸せを繋いでいきたいから。


どうかこの災い、転じて福となさんことを。


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dangomushi.hateblo.jp