ちきりん氏の「大学サボる」炎上に物申す
個人的にどうしても言及したかったので、久しぶりブログをがっつり書く。
先日、とあるツイートが炎上していた。
ただの炎上事件ならば我関せずだが、今回は俺がブログというツールに出会うきっかけでもあった人、書籍もだしている有名ブロガー「ちきりん」氏のツイートがその対象だった。
事の顛末はTogetterで確認するのが手っ取り早い↓
ちきりん 「あたしは大学時代、つまらない授業をほっぽってアルバイトに精を出し社会勉強をし、そのお金で海外放浪して世界を知った。」 - Togetterまとめ
一見、考えの薄い馬鹿がTwitterで失言をして、正論の嵐でズタボロという構図に見えるかもしれない。
しかし俺は正直この炎上を「そうだね、こいつ馬鹿だね」と笑って流せない。軽くRTできない。
なぜなら俺はずっと前からこの人を知っているし、ファンではないが当人の著作に力と感動を貰った一人だからだ。
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その人のたった一つのツイートが誤解され、拡散され、中には悪意や敵意のコメントがついた状態で多くの人の目に触れた。「ちきりん」を知らない人には酷い悪印象を植え付けたに違いない。
悲しいことだ。
身内がもしTwitterで炎上していたらどうだ。仮にどんな失言をしてしまったとしても気の毒に思うじゃないか。そんな感覚だ。
身内でも顔見知りでもないのだけれどね。
ただ俺はせめて、一時的にでも尊敬した人が批判の渦でもみくちゃにされるのを黙って見ていたくなかった。
正直ちきりん氏の主張は刺々しい部分もあり、俺もちきりん全肯定信者では全くない。むしろ苦手に感じる意見も多々ある。
しかしそれでも自分が批判に便乗するのも興味なさげに流すのも不快なほどの炎上ぶりだった、許せなかった。
それだけの思いで今から必死にちきりん氏の肩を持つ。
冷静になる余裕がある人は、どうか俺の釈明を聞いてから自分の気持ちと正直な感想を口にして欲しい。
件のツイートをまず俺なりに冷静に分析したい。
あたしは大学時代、つまらない授業をほっぽってアルバイトに精を出し社会勉強をし、そのお金で海外放浪して世界を知った。学生時代という時間の使い方の生産性は、すべての授業に出る生活より圧倒的に高かった。「さぼらず授業にでるのが良いこと」と思ってる人、それって本当に自分のアタマで考えた?
確かに当人の発言に多くの人の誤解を招く言い回しがあったことは事実だ。
多くの人が怒りを覚えた箇所は主に4ヶ所だと思う。
- 「つまらない授業サボる=良いこと」
- 「アルバイトで社会勉強」
- 「学生時代の生産性」
- 「本当に自分のアタマで考えた?」
多くの批判がこの4つのポイントに集中していると思う。
まず俺もフォローにしようがないほどに悪いと思うのは、最後の「自分のアタマで考えた?」という文言だ。これは強烈だ。こればっかりは当人にも間違いなく煽る意思があるし、十人読んで十人が煽られたと感じるだろう。
しかし釈明したいのは、この文言はちきりんのある種の十八番台詞なのだ。頭を「アタマ」とカタカナ表記していることからも特別なこだわりを感じるだろう。彼女はこれと同じ名前の本もだしている。
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残念ながら読んだことはないので本書の内容に基づいた反論はできないのだが…
つまり煽り文句であることには違いないが、この件に限って特別に悪意を込めた煽りではないのだ。最後に付け足す決め台詞のような感覚に近いだろう。
もっとも事前の述べた内容が火種ならこの文言はまさに油なので、結果多くの人が文末で不快の頂点を迎えたと思う。
この文言を選んでしまったのはちきりん氏の間違いない失策、というか落ち度であろう。
しかし俺が真に釈明したいのは「つまらない授業サボる=良いこと」というポイントだ。
この部分、多くの人が「大学の授業を全てサボる」のように無意識に解釈して批判をしている節がある。あるいはそう思わせるような的はずれな批判をしている。
よく読み返してみて欲しい。
このツイートはあくまで「つまらない」授業はサボるということだけを主張している。
決して大学全ての授業を愚弄したわけではないのだ。
無論、そう捉えても無理はないとは思う。しかし今からでもいい、冷静に読み返してみてくれまいか。
多くの人がまるで「大学の講義の価値をバイトや海外放浪と比べた挙句に全否定された、自分の頑張っていることを全否定された」ような批判の食らいつき方をしているが、どうにも的はずれに思えてならない。
ちきりん氏が言いたかったのはきっとそんなことじゃない。
しかも、「サボる=良いこと」だとも言っていない。
彼女の主張の核は、正確には「サボらずに出ることが良いことなのだろうか」という問いかけだ。煽り文句に引き立てられて断定のように感じるが、あくまで「問いかけ」だ。
逆説的に多くの人が「大学サボる=良いこと」と解釈しているが、そんな主張はこのツイートのどこにもない。
強いて言うなら、「学生時代の生産性」という部分がそう印象づけてしまったのだろう。
しかしここもよく読んでみて欲しい。
学生時代という時間の使い方の生産性は、すべての授業に出る生活より圧倒的に高かった。
「すべての授業に出る生活」という言い回しを彼女は使っている。「すべての」が重要だ。
「すべての授業に出る生活が生産性がなかった=一部の授業に出ないでバイトなどの経験をしていた方が生産性があった」ということだ。
何も全部の授業をサボったわけではないだろうし、生産性があったというのも、イコール大学の授業の価値がなかったということではない。
つまり彼女は直接的に「大学に行く価値ない、サボらない方が馬鹿だ」なんて言っていないのだ。
彼女の主張は「大学をただ真面目ぶって授業受けに行く姿勢でいいのか、思考停止してただサボらないでいることで満足していないか、もっと外に目を向ける必要もあるのではないのか」というものだ。
少なくとも俺はそう解釈できた。
もちろん安易に曲解されてしまう時点で、発言に問題があったのは言い逃れようのない事実だ。
しかしそれでも気付いて欲しい。
誰かが曲解して抱いた怒りや敵意につられて、当人の文章を「そういう発言」というフィルターを通して見ていなかっただろうか。
本当に炎上しなければならないほど中身のない一言だったのだろうか。
人の言葉というものは、多くの人の手を渡るうちに原型を留めないほど変わってしまうことが多々ある。
文字という情報量が最低の伝達手段では誤解は日常的に起こってしまう。
発した当人の意思とは全く違う方向に燃え広がる炎上も、きっとこの件に限った話ではないのだろう。
ネットでは日常茶飯事、こんな些細な炎上は氷山の一角なのかもしれない。
俺はこの件で炎上を煽った人を責めたいわけでもなく、その煽りに乗せられて安易にRTして誤解を広めた人を責めたいわけでもなく、かといってちきりん氏本人を責めたいわけでもない。
誰も責めたくない。責めたところできっと不快を表現されるだけだろうし何も変わらない。
俺はただ起こっている現実が悲しかったのだ。
どうかお願いだ。
多くの人に言葉が届く立場にいる人ほど言葉をもっと大切に慎重に扱って欲しい。
もっと言葉が暴走しない世界であって欲しい。
もっと優しい言葉をみんなが使う世界であって欲しい。
要するに、知っている人が炎上しているのを見ているのが個人的に辛かった。
本当に、ただそれだけの中身のないお話。