近況と幸せ
人によって、幸せの答えって違うと思う。
お金だったり、物だったり、名声だったり、人だったり。
俺は今、たぶん人生で一番幸せを実感している。一番生きてて良かった、明日が来るのが楽しみ、と思えている気がする。
彼女といる瞬間が、もっと正確にいうと彼女と抱擁している瞬間が、その感触が凄い幸せを実感する。
凄い自慢臭く聞こえるだろうと思う。でも、ただただ幸せなんだっていうことを言葉にしたい。
たぶんこの記事を当の本人がまっさきに読むだろうから、照れくさいのだけれど、でもまぁ、なんかその照れくさい感じも好きだ。
春休みは特にその幸せに浸れる時間が多くて、それで現実にある諸問題を忘れ、現実逃避のようにぬるま湯につかっていた。
あまり良くない傾向なんだろうと気付いてはいる。
新年度の足音が聞こえてきて、周りもドタバタし始め、親も勉強の進捗を追求しだし、俺は焦り、そして残り少ない休みを現実逃避として浪費した。
彼女が忙しかったのも大いに影響している。
中学の頃からときおり訪れる無気力な日々。突然すべてのことに興味を失い、頭を使わないゲームやアニメに没頭し時間を忘れ、自分を忘れ、課題を忘れる。ひきこもりの予兆のようなものだ。体調を崩して長時間寝込むと発動しやすい。
何か外に出るきっかけがあれば、回復する。特に人と直接会って触れることがポイントだ。
たぶんもう今日でそのひきこもりからは回復できる。心配した彼女が会ってくれるそうだ。
話を戻そう。
俺にとって幸せの答えは、たぶん、彼女。
愛する人と一緒に過ごすことが俺の最高の安らぎであり、幸せであり、夢。
いつからそういう答えが出たのかはわからないが、たぶんそれはこの先変わることはない。
それが人生の中心で、それを目的に全ての行動が起こる。
たぶん、将来の夢とか、そんなものは俺にとってはとかく曖昧で、何よりも愛する人と幸せな家庭を築くことにしか興味のベクトルが向いていない。
親父は俺に対してたくさん学び、より良い人材になって世間で活躍して欲しいと願っているが、俺自身そこに一切の興味がなく、学習意欲も低い。
家族を十分養えればそれで満足なのだ。もっとも、それがただ学習意欲も低いままに就職して叶うかという問題でもあり、そこはまだわからない。
考えるべきことを先延ばしにしている気がして、罪悪感がときおりこみ上げる。
人によって、生きるということが示す意味は違うだろう。
けど、俺は、たぶん今の幸せがそうなんじゃないかと思ってしまう。
安直なのかもしれない。
生きがいが彼女だなんて、なんて危うい考えと思われるかもしれない。実際危うい。
みんなは何を支えに、何をもとめて生きているのかな。
愛が欲しい。それだけしか俺にはなかった。いつからか、それしかなかった。
多くの人は、その人をその人たらしめる、個人を支える柱がいくつか存在するだろう。そしてそのいくつかが折れたとしてもバランスよく支えてあるため個人は崩壊しない。
しかし俺はその柱の太さが極端に偏っている。真ん中を支える大きな柱が愛で、それ以外は折れても崩壊しないが、真ん中が折れてしまうと一気に崩れ落ちてしまう。そんな気がする。
ずっと愛を求めて彷徨い、ようやく手にできた幸せ。これを手放すわけがない。
依存だとわかっている。もしかしたら健常な精神ではない何かかもしれないとわかっている。
けれど、それでも愛おしくて仕方ない。
これは、人のあり方として、一部の人からは共感されるだろうし、一部の人からは気味悪がられるのだろう。
俺は俺として苦しみもがいた中でようやく一つの確実な何かに出会えた気がしている。
言葉で語るだけ野暮なのかもしれない。
でもなぜか言葉に残したくなる。
たった1人の人の存在だけで、こうも心が救われるとは未だに信じられない。
たった1人の一言だけで、こうも一喜一憂するなんて。
たった1人の笑顔で、こうも心が踊り狂うなんて。
どれも信じられないぐらい凄いことが当たり前のように起きている。
なんだかよくわからない。別に詩人になりたいわけでもない。ただ言葉にしたい。その言葉を伝えたい。
共感できるのが嬉しい。
肯定してくれるのが嬉しい。
特別扱いしてくれるのが嬉しい。
求められているのが嬉しい。
浮かれている。一体いつまで浮かれているつもりなのだろうってぐらい、興奮が収まらない。
ほんの3ヶ月前には、「愛」と「好き」の答えに悩んでいた。
ようやく、ほんとにようやく答えが出て、まだたかが2ヶ月。
先は長いのに、どこか安らいでしまっている。安心しきっている。
いいのかな、こんな感じで