何度も言うけど、人に依存して何が悪いの?
依存って言葉、なんでこんなにマイナスの意味で流布しちゃったのかなぁ。
アルコール依存、ギャンブル依存、そういう単語に引っ張られすぎじゃない?
俺はよく夜中にツイッターで病みツイートとかをよくする、実はちょっと痛々しいキャラクターだったりする。
最近ブログであんまり闇を履かなくなった反動が出てる感あるんだよね、どうしたもんか…
そこでよく言うのが、「依存させてください」だったり「共依存しませんか?」だったりする。
別にふざけてはいないよ。ちゃんと本心だよ。
こういうことをカミングアウトすると大抵の人が反応に困ると思う。
まぁわかるけどさ、そんな引かないでよ。
でも、俺にも反省すべきところはあるんだ。
本当に依存症という病気で、苦しんでいる方がいたら謝らせてください。
軽々しく依存という言葉を使ってごめんなさい。幸い僕はそれがないと発作が起きてるとか、苦しくて眠れなくなるとか、そこまで生活に支障をきたす症状は抱えていません。
ていうか、共依存って言葉を「双方向性の依存」としか捉えてなくて、精神医学的な定義があるって知らなかった。俺が使ってる意味では「相互依存」って言葉の方が適切みたい。ごめんなさい。
俺の使う依存って言葉は、当たり前だけど、病気レベルの話じゃない。
もしかしたら俺が自覚してないだけでなんかの病気かもだけど、たぶん特に体に異常はない。
俺の中に依存としか言いようがない欲求があるんだ。
わからないかなぁ。わかってもらえないんだよなぁ、なかなか。
例えるなら俺のこの欲求は、男なら誰でも持っている「彼女欲しい」って感情に女子の「なぐさめてくれる彼氏欲しい」って感情をグチャグチャにねりこんで、それを鍋で三時間煮込んで出来上がった何かだよ。
上手に焼けました♪
…って煮てたんだった、間違えた。
まぁそこら辺の黒い(?)感情をぶちまけた記事は実は結構書いてて…
要するに、前の記事を読んでくれれば、改めて言うことはなにもない。
いや、言いたいことはあるよ!!!
「依存したい」っていう欲求のどこが悪いのかな?!
害を与えるわけじゃないし、そもそも小さなレベルの依存なら誰でもしてると思うんですよ。
恋人に甘えるとか、友達に悩みを聞いてもらうとか。それって依存でしょ?言葉の意味から外れてないよ?
そもそも依存の『依』は依頼とか依然とかの『依』だよ?全然ネガティブな意味の漢字じゃないよ?「よりかかる、頼る、そのまま」って意味なんだよ?
だから、俺がいう「相互依存」は「互いに甘えたり、頼ったりできる関係」のことなんだ。
ただ、それをそのまま「甘えて頼り合いたい」と表現するには俺の欲が異常に強いから、依存っていう言葉の「相手によりかかるという強い欲求」ってニュアンスを使ってるの。
よりかかって何がいけないの?
それができるの唯一の存在が恋人って存在じゃないの?
あ、家族もあるか。
まぁ、俺は、今の家族にはしたくないけどさ。
依存をテーマに論じた記事を読んだ。
「ほどほどにバランスのとれた依存ならいいじゃない」って結論。そしてそれに言葉を与えるとするなら「夢中って言葉が適切じゃない」っていう提案。
いいね、夢中。夢中って言葉に変えた途端なんかネガティブなイメージめちゃくちゃ吹き飛んだな。
「君に依存させてください」
じゃなくて
「君に夢中にさせてください」
なんか告白に使えそうなぐらいイケメンなセリフになったやんけ!!!
まぁでも正直、依存って言葉の方がしっくり来るんだよね。なんでかな。
何度も言うけど、人に依存して何が悪いの?
おしまい。