【鎌倉市図書館のツイートを見て】居場所がない子どもに逃げ場はあるのかな
すごい今流行りのテーマみたいなんで乗っかってみるよ。ニュースにも出てた、すげぇや。
きっかけはこのツイートなんだね。俺もRTしました。
もうすぐ二学期。学校が始まるのが死ぬほどつらい子は、学校を休んで図書館へいらっしゃい。マンガもライトノベルもあるよ。一日いても誰も何も言わないよ。9月から学校へ行くくらいなら死んじゃおうと思ったら、逃げ場所に図書館も思い出してね。
— 鎌倉市図書館 (@kamakura_tosyok) 2015, 8月 26
そしてこのツイートがなされるきっかけとなったのは、子どもが自殺するのが夏休み明けのタイミングで多いという事実。
(参照にしていたニュースサイトの記事が削除されていました)(追記2016/8/25)
一番最初にこの図書館ツイートについて知ったのは、ブログを読み漁っていて偶然たどり着いたこの記事。
図書館のツイートに感動したのと同時に、すごいこの記事に感動した。
このツイートを見て浮かんだ懸念があって、この記事は図書館の良さに触れつつもそれにちゃんと触れている。
ここまでこのツイートが広まってしまうと、「やっとの思いで逃げ場を見つけた子」にスポットライトがあたってしまうのではないか、という懸念。
家から逃げてきた子供が親に連れ戻されたり、彼らの居場所を奪った側に子供が冷やかしに来るかもしれない。あるいは赤の他人が不必要なお節介を焼くかもしれない。
俺は前にも書いたけど、大人が嫌いなんだ。
世の中には子供の苦しみを慮って行動できる大人って少ない気がしてならないの。
それはたまたま、自分の周りにそういう大人がいなかったから、そういう人の言動が目立って見えるだけかもしれない。
でもムカつくじゃないか。
あんまりじゃないか。
あいつら、「子供のため」とか言って自分の都合で動きやがる。平気で傷だらけにして、子供を助けるどころか、居場所を平気でぶち壊していく。
こんなのは歪んだ見方だと思うよ、自分でも。
でも俺はそうやって嫌悪という形で昇華しないと耐えられなかった。自分に降りかかる苦しみを全部自分だけのせいにしたら壊れてしまったと断言する。
俺の個人的な怒りはきりがないから、ここで止めとく。
俺が考えたいのは、「居場所がない子どもの本当の救い方」だ。
ていうかさ、図書館だろうとどこでもいいんだよね。本人が少しでも落ち着けると感じる場所なら。
でもそういう場所は本人達が見つけるしかない。結局、他人がどうこう言える問題じゃない。歯がゆいけど。
俺ができるのはこうやって個人的などうしようもない感情を発露することだけなんだ。
でも、どうか死なないで欲しい。
そこまでの苦しみは俺はあまり感じたことがないけど、でもそれが「甘え」だとか「逃げ」だとか心ない一言で片付けられてしまうほど軽いものじゃないことはわかるよ。
周りはそんなことしか言えないひどい人間ばかりかもしれないけど、聞く耳持っちゃダメだ。
君の辛さは君だけのものだ。弱さを恥じることなんてない。
逃げて逃げて逃げまくれ。それが解決にならなくたって、死ぬよりはマシだったって後になって思えるはずだよ。俺はそう信じてきた。
正直さ、誰を責めるべきなのかわかんないんだよね。
大人が悪いんだ!!って叫んでるけどさ、それはそれで偏った見方かもしれない。
大人にはそれなりの苦労があるんだろうさ。たぶんそれは大人にならないとわかんないだろうけど。
好きで自分の子どもを追い詰めてる親なんて少ない方だと信じたいよ。
…とここまで書いていて、されに琴線に触れた記事があったので言いたいこと追加。
「いじめられっ子の自尊心が見過ごされている」という意見。
ほんまや!!俺もいじめられっ子出身のくせに忘れるとこだった!!
「図書館が逃げ場になるって素晴らしいね!」ってみんなが言ってるこの空気違和感あると思ったら、それだ。
「いじめられっ子はかわいそうだからみんなで皆で見守ってあげないとね」ってこれ、よく考えたらすごい気持ち悪いぞ…
お前ら、いじめられっ子を可哀想な存在って見下したな?
劣等人種として保護してあげないと、みたいに思ったな?
こういういじめについて取り上げられるときに感じるモヤモヤってこれだ。
いやさ、ツイートした図書館の司書さんとか、これについて賞賛する人たちに悪意があったとは言ってないよ。みんな優しい人達に違いない。
ただいじめられっ子の本当の苦しみを知らないってだけ。
どうしたらいいんだろうね。
俺自身もわかりきってるとは言えないし。
所詮他人とは分かり合えないものだ、とかそんなつまらない結論で締めなきゃいけないの?
とりあえずさぁ、なんか弱い人の居場所が少なすぎるんだよ、この世の中。
俺が提案できる居場所の作り方なんて、ネットで弱い人同士で繋がるぐらいしかないよ…?
おしまい。