もみじろぐ

とある男の、心のほんの一部

「愛着障害 子ども時代を引きずる人々」を読んだよ

今回はいつもよりほんのちょっと真面目に読書感想文に挑戦するぞ。

 

 

愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書)

愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書)

 

 

この本を読んだ。

 
愛着障害って言葉、聞き慣れない人が多いんじゃない?
 
俺もこの本に触れて初めて知った。愛着の研究は元々、子供の問題として注目されたらしいんだけど、最近じゃ大人にも深く関わっていることがわかってきたんだとか。
 
 
 

愛着障害とはなんぞや

愛着障害における対人関係の特性は、相手との距離が近すぎるか、遠すぎるか、どちらかに偏ってしまい、ほどよい距離がとれないということである。
 
愛着障害の人は、些細なストレスに対しても、ネガティブな反応を起こしやすい。
 
 
本文からの引用。うん、これ俺じゃん。
 
 
さらに読み進めてみると、愛着障害にも2つタイプがあるらしい。
 
というのも人にはそれぞれ、その人の親との関係などで育まれる「愛着スタイル」なるものがあるらしく、安定型(通常の人)、不安型、回避型の3つにわけられるんだって。
 
んで、その愛着スタイルを見分ける指標は結構あるんだけど、例えばストレスが溜まった時どうするかってのがあって
 
 
不安型の人は、愛着行動や誰かの支えを求めようとする行動が異常に増加する。ずっと誰かにそばにいてもらって、話をしたり体に触れたりしていてもらわないと不安でたまらない。一方、回避型の人の場合、愛着行動の増加はほとんど見られないどころか、むしろ減ってしまうこともある。それに対して、安定型の人では、ほどよく増加すると言えるだろう。
 
 
ってことらしいんだけど、俺は紛れも無く不安型ですわ。触れて欲しい欲求やばいもん。誰かに抱きしめられて眠りたい、と何度思ったことか。
 
 
他にもいろいろスタイルの違いについて述べられてるんだけど、ざっと読んで印象に残ったとこをまとめると
 
 
  • 回避型は親密さよりも距離を求めるタイプ。何事にも醒めていて、面倒くさがり。自己開示を避けるあまり、自己表現が苦手。恋愛では淡白で、相手の痛みにも鈍感。
  • 不安型は「愛されたい」「受け入れられたい」「認めてもらいたい」という欲求が非常に強い。すぐ恋愛モードになり、べったりとした依存関係を好む。ネガティブな感情が燃え広がりやすい。
 
 
あーもう間違いなく俺不安型だわ。典型的な不安型だよ、全部あてはまる。
 
あと回避型も今まで出会ってきた人で何人か思い浮かぶな。
 
こりゃ回避型と不安型は真逆だからくっついたら大変なことになりますわ。本質的に相容れないじゃん。
 
俺はそもそも不安型の特徴こそが人間らしさみたいに誤解してるとこあったけど、違ったんだな。相当な自己中だわ、我ながら。
 
 
 
 

愛着障害の克服

愛着の原点は、親との関係で育まれる。愛着障害は、そのプロセスで躓いている。それを修復するには、親との関係を改善していくことが、もっとも望ましい。
 
と書かれているけど…まぁ難しいんだよな。これが。例えばもう親を亡くしている人は難しいわけだし、自覚がない親との関係の修復なんて地獄の苦しみだろう。というかしたくないし、できるとも思えない。
 
ってことがわからない著者ではなく、当事者ではない第三者の存在が不可欠であると語っている。そしてその第三者が安全基地たりえなければならないとも言っている。
 
 
安全基地とは、いざというとき頼ることができ、守ってもらえる居場所であり、そこを安心の拠り所、心の支えとすることのできる存在である。そして、外の世界を探索するためのベースキャンプでもある。トラブルや危険が生じたときには、逃げ帰ってきて、助けを求めることができるが、いつもそこに縛られる必要はない。良い安全基地であるためには、本人自身の主体性が尊重され、彼らの必要や求めに応えるというスタンスが基本なのである。
 
 
いやはや、まったくおっしゃる通り。そうなんだよ、そういう場所が欲しいんだよ。
 
でもそういう場所ってなかなか見つけるの難しいんだよね。人によってその安全基地に求める条件は違いがあるだろうし、特に典型的な不安型の俺はそこに求める安らぎのウェイトが大きい。
 
安全基地になりえるのは家族、友人、教師、カウンセラーでもいいって述べられてるけど、その人達に全てをぶちまけられるほどの勇気は俺にはない。
 
こんな障害?を抱えるようなきっかけになった家族に打ち明けられるはずもないし、教師やカウンセラーといった大人はあまり信用していない。結局、大人には理解できないものだと諦めてる感あるし。
 
友人はまぁ、ありなんだけど、なんというか同性に依存ってのも違和感だし。そもそも友人という立場が、そこそこお互いに深くは踏み込まない、っていうとこが売りの関係性な気もする。
 
となると、やっぱり恋人になるんだよ。
 
ザコンで、半ば幼児的な「なでなでされたい」とか「ぎゅっとされたい」とか欲望がやたら強い俺としては、そこら辺の欲を満たしてくれる存在としても、恋人の価値はこれ以上ないってぐらい高い。
 
 
けど、愛着障害を克服する手段として、安全基地の獲得が絶対というわけじゃないんだ。
 
社会的役割、職業的役割という枠組みが、愛着不安や愛着回避のジレンマから、ある程度、守ってくれる。そうして、社会的、職業的役割を果たすなかで、対人関係の経験を積み、ほどよく親しい関係を増やしていくことは、愛着不安や愛着回避の克服に、またとない訓練の機会となるのである。
 
 
こうも書かれている。確かにそれはそうなんだろうね。
 
必要に駆られて人と関わっているうちに自然とコミュ障が克服されるのと似ている。
 
自分が役割を持つことで自分の存在が必要とされていることを実感できるんだろう。自己有用感を回復できるのだろう。
 
俺はどうなんだろう。学生って立場だけではそんな社会的な感じもしないしな。
 
あ、そっか。バイトとかやってたら職業的役割とかを実感できるんだね。俺してないけど。

 

 

 
 
他にも「自分が自分の親になる」という方法もあるらしい。
 
つまり自分の中に自分を導く人格を設置するんだ。
 
これは難しそうだなぁ。なにより俺は自分に自信がないから、誰かに導きを求めちゃう。でも、自分でそれを担うって方法もあるんだね。気付きもしなかった。
 
 
愛着障害を克服していく過程でしばしば観察される現象の1つに、自分が親代わりとなって、後輩や若い人たちを育てる役割を担うとうことである。
 
あ、これいいよ。これ。結構俺人の世話するの好きだし。
 
とはいえ部活とかを真面目にやってたわけでもないからちゃんと後輩とか持ったことないんだけど。
 
 
 
ていうかあれだな、俺今回めっちゃ文章書いてるな!?
 
長いな!!
 
 
 
 

全体的な感想

愛着障害ってのはほんとに新鮮な概念だったけど、読めば読むほどあちこちに「これ俺じゃん!」ってなる部分があって面白かった。
 
ただ実際に症状を解説するだけでなく、夏目漱石川端康成といった文人のエピソードを紹介してあって、すごい説得力があった。同時に、そういった俺の中で別世界の人間と思い込んでいた人たちの、心の動きの一端を知れたのは、なぜかとても親近感が湧いた。
 
解決策として書かれていることは、なんというか前から自分が必要なのだと感じていたそのもので、「よくぞ言ってくれた」という感動があった。自分が訴えてたものが歪なものでなかったのだと安心した。新たな発見もあった。
 
ただ個人的に最後の終わり方が雑な気がした。ここ数十年の社会環境が愛着を軽視してきた、という指摘までは納得できるのだけれど、それをどう改善していけばいいのかということには具体的に触れてなかったのが少し引っかかった。
 
 
 
 
 
 
ふぅ…読書レビュー頑張って書いてみたけどすごく長くなっちゃった。
 
これさ、書いてる途中でもまた本文読み返しては言葉を選んでの繰り返しで…
 
無茶苦茶時間かかったよ!!(白目
 
それにしてはまとまってるような、まとまってないような…
 
やっぱりちゃんとした文章を書く能力全然ないんじゃないかな。
ここで原稿用紙渡されてさ、「読書感想文書いてください」とか言われても高評価を貰える自信まるでないんですけど。
 
 
 
おしまいっ♪