もみじろぐ

とある男の、心のほんの一部

家族を愛せない

改めて、思った。
 
俺は今、自分の家族、親戚をすごく嫌っている。
 
 

 

恨んでいる、と言っても言いすぎじゃない。
 
 
そして怯えて、距離を取っている。
 
 
 
でも本心は、明るく食卓を囲む日常を取り戻したい。家族を愛したい。
 
今からでも、取り戻せるんじゃないかとさえ、思ってしまう。
 
 
 
 
最初は嫌いなのは、父だけだった。
 
俺の無力さを見抜いていて、それを糾弾してくるのが嫌で仕方がなかった。
 
手のかかる息子に、全力の愛を注いでいるつもりだったのだろう。責任を負って、道を正さねばと思ったのだろう。
 
しかしそれは、俺には煩わしいものでしかなかった。
 
それに怯えて、どんどん行動が縛られていった。
 
 
 
中学になって、一緒に暮らすようになった祖父も嫌いになった。
 
父に対しては放任主義なくせに、父の目の届かない場所で父とは真逆の注文をつけてくる。
 
父の教育方針に愚痴を言いつつ、実際に父が俺を責めているときには止めようともしなかった。
 
 
 
そして、受験期が終わった3月。
 
みんなが嫌いになった。
 
 
唯一、甘く優しかった祖母が、たった一言だけで嫌いになった。
 
感情が溢れだし、泣きそうになってトイレに逃げ込んだ俺を「男のくせに泣くな」と罵った。
 
俺がその場から逃げ出したいと感じるにはそれで十分だった。
 
 
一人になれない家に、居場所なんてない。
 
 
 
逃げ出したくて、救いを求めて逃げ込んだのは母方の親戚。
 
母方の祖父母も、叔父の一家も優しかった。
 
でも、俺が、家を出るために父を説得するように懇願したとき、動いてはくれなかった。
 
 
動きづらかったのは当然だ。
 
所詮は違う家、人様の家族問題に首を突っ込めるはずもないのだ。
 
 
けれど、必死の思いで救いを持てめて縋ったその時の俺にとって、その事実は絶望でしかなかった。
 
 
そして、そうやって奔走する中、家が違うというのがどれほど恐ろしいことなのか気付いてしまった。
 
お互いがお互いに話してはならない不満や、疑問を抱えていた。
 
それを見てしまった。聞いてしまった。
 
 
心なんて最初から許していないじゃないか。
 
俺に対する態度はあくまで可愛い子どもをあやすもので、本音とは違ったんだ。
 
 
親戚が集まったときは、あんなに楽しそうに話していたのに。
 
あの笑顔はなんだったんだ。
 
その笑顔の下で何を思っていたんだ。
 
 
大人ってなんて恐ろしい生き物だろうと思った。
 
これが本当の本音と建前なのかと驚愕した。
 
 
 
 
もう怖いんだ。
 
あの大人達が全員。
 
 
 
だから愛せない。
 
愛するが何かハッキリわからないけど、たぶん心を開いて話せないとそれは成し得ないものな気がするんだ。
 
 
俺はあの人達に心を開ききれない。
 
心を開いたところで、また否定されるんじゃないか、って恐怖で鳥肌が立つ。
 
 
 
だから早く心に開ける場所を、家族を、と心が叫んでいる。
 
けれど、それは単に「自分にだけ都合のいい場所」を渇望しているようで、傲慢が過ぎるのではないかと思ってしまう。
 
 
甘えているのではないか。
 
 
家族に起こる問題を調べれば調べるほど、我が家以上のひどい親の話が目にとまる。
 
 
そんなのに比べたらよっぽどマシだ。
 
 
というか、恐怖だけが残っていて、もうなぜこんなに今の家族に怯えているかすらよくわからない。
 
一体俺は何をされたのだろう。
 
記憶が曖昧で原因を断定できない。
 
 
 
こんなことをぐるぐる思考していると、脳に疲労を感じてどうでもよい気分になる。
 
複雑な思いなど忘れて、さりげなく家に帰ればいいのではないか。
 
 
案外、まだ温かい場所かもしれない。
 
そんな期待がどこかにある。
 
 
 
 
でも、やっぱり、何かのきっかけで傷は開く。
 
その確信もあって、気乗りしないんだ。
 
 
 
 
 
 
おしまい。