もみじろぐ

とある男の、心のほんの一部

死んだらどうなるんだろう

誰もが一度は真剣に悩んだかもしれない問い。
 
今回は、若干話は逸れるかもだが、俺が今まで感じた「死」への思いを綴ってみる。内容が内容だけに重苦しくなってしまうのを許して欲しい。
 
  

「死」を目の前で見た

過去の記事で何回も書いているが、俺は母親を亡くしている。その時の感覚を少し丁寧に思い返してみる。
 
正直、俺は死ぬなんて思ってなかった。でも母が「がん」という病気で体調がだんだん悪くなっているのは知っていた。
 
入院した病院は家から遠い田舎の病院で、亡くなる前日にお見舞いにいった。
 
俺には元気そうに見えた。ただ気丈に振舞っていただけなのかもしれない。
 
次の記憶は病室。白く冷たい病室で、「死」を目の前に呆然と立っている自分。
 
「悲しい」でも「寂しい」でも「悔しい」でもない。頭の中が真っ白になって何も感じなかった。事実を受け入れられないというより、受け入れたはいいが「こんなとき何を思えばいいんだろう」って感覚。
 
何を考えたらいいのかわからなくて、頭がただぼーっとした。
 
「泣かなきゃ」と思って泣いてるふりをした記憶がある。
 
去年あたりになってようやくそれについて「悲しい」という感情を感じるようになった。「心にぽっかり穴が開く」ってこういうことなんだろうか。
 
 
 
 

「死にたくない」

そんな経験があったからかはわからないが、正直俺は「死んだらどうなっちゃうんだろう」と考えたことがあまりない。
 
というか「死んで何を得られるか(極楽浄土があるとか、救われるとか)」という問題より「自分が死んだら何を失うか、負の影響をもたらすか」って問題に目が向いてしまう。
 
例えば、自分が死んだら母を既に失っている父はどんなに苦しむことだろう、とか。
 
それに、一つ確信しているのが「死んだらいろんなやりたいことができなくなる」ということ。
 
当たり前といえば当たり前なんだけど、結構大事な気がする。
 
「死んじゃったら何もできなくなるかもしれない」
 
それはとっても嫌だ。経験してないこと山ほどあるのに。
 
この考えは年をとって「やりたいことはやりつくした」となったらまた変わるのかもしれない。
 
でもそれはまだ先の話だ、と放置したい。
 
考えても答えが出ない、考えるのさえ面倒に思えることなんて、別にほっといていいと思うんだ。
 
「今できることをする」
 
当たり前で、一般的で、当たり障りなくて、つまらない結論だけどそれでいい。
 
 
もう一つ、母のことで思ったのは「死んだらひどりぼっちになっちゃうな」ってこと。
 
まぁ死後の世界みたいなのがあって、そこで例えば誰か先に死んだ人と会えるとしても、でもやっぱり現世に生きている人たちからは離れて「一人」になっちゃう。
 
 
俺は寂しがり屋だから、ひとりぼっちは嫌いだ。ひとりでいたいときもあるけど、やっぱり誰かと一緒にいたい。
 
一緒にいられなくなるのは辛い。
 
 
だからまだ、「死にたくない」。
 
 
 
 
 
最後に、参考になるなと思った記事を貼っておく。幼い頃、「死」を想像して泣いちゃったことありますか?