もみじろぐ

とある男の、心のほんの一部

引きこもりだったんだよ

 
 
もみじは過去に三回も引きこもりを発症したことがあるのです。
 
 
 

中学生の頃

正直なところ、きかっけは憶えてない。わかりやすいきかっけがあったのかどうかも怪しいぐらいだ。
 
突然「学校に行きたくない、めんどくさい」って思うようになった。
 
いつも必死に「学校に行かなくて済む理由」を探してた。体温計を必死に温めて、37度が出たら嬉しささえ感じた。
 
布団を被って寝ているフリをしながらゲームばかりをしていた。手が痺れるほどに姿勢を動かさなかったっけか。
 
まぁ、きっかけではないけど、俺の精神に少なからず影響を与えたイベントが事前にあったのも事実だ。大人たちはきっと俺が引きこもった原因として迷わずこのイベントをあげるのだろう。
 
そう、小6の五月、母が亡くなったのだ。
 
そして面倒を見切れない、と判断した父親に父方の祖父母の元へ送られ、そこで中高6年間を過ごしたのだ。
 
それがどんな影響をもたらしたのか、我ながら把握はできていない。というか、当時の俺はそんな不幸さえ実感として感じていなかった。
 
でもやっぱり、無意識のうちに蝕まれていたのだろうか。
 
大きな大学病院に連れて行かれ、カウンセリングのような何かを受けた記憶もあるし、何かしらの薬を処方されていたらしい。「らしい」という表現はまるで他人事のようだが、俺はどうやら「都合の悪い事実は抹消する」癖があるようで、ほとんどと言っていいほど覚えていないのだ。
 
そんな引きこもり生活は1年半ほど続き、成績がとれず都立高校の受験が困難になり私立の単願に拾われるという結末を迎える。
 
高校に入って引きこもりは自然消滅した。少なくともこの時はそう思っていた。
 
 
 

受験期の堕落

二回目に発症したのは、受験期。
 
高3の夏以降、それまで順調にみえた成績がみるみる堕ちていった。
 
事実、最初から「順調にみえた」だけで決して順調ではなかった。「勉強をしている自分」に酔っていただけで、目指す大学とは途方もない実力の溝が存在した。それが本番が迫るにつれ明らかになっただけのこと。
 
「勉強のフリ」ばかりせっせとこなしていた自分に気付いた瞬間、力が抜けていくのを感じた。焦らなければならないところを、どこか冷静に諦めていた。
 
そうして、その頃からまた体調を崩すようになる。中学のときも、実際に体調不良を感じた日は少なくなかった。
 
布団に潜り込み、「勉強しないと」と囁く自分の声をかき消すように画面を見続けた。
 
いくら娯楽とはいえ、ゲームやアニメも何十時間も摂取し続けると飽きを感じてしまうようになる。しかし他に時間を潰す術を知らない当時の俺は、罪悪感にまみれつつ摂取を続けた。
 
 
 

二度ある事は三度ある

浪人生活の詳しい経過は以前で語ったので割愛。
 
浪人生として受験にリトライしても、結局本質的なところは何も変わっていなかった。
 
自分の実力に早々に見切りをつけ、当初に持っていた志などとうに忘れて、怠けに怠けたのだった。しかも今回はネット依存というおまけつきだ。
 
あんな生活がもう一年続いたかもしれないと思うと、それだけで悪寒が走る。
 
 
 
 

一言だけ

引きこもりのきっかけはちょっとしたサボりから始まる。ほんの一回、「今日はなんか面倒だからいいや」と思っただけで急速にサボりへの抵抗が減っていく。そして、楽をしたくて起こした行動が、信じられないほどの苦痛にじわじわと色を変える。
 
さながら麻薬のように。自己嫌悪がさらに自分を追い詰め、気がつけば自分の喉元を締めている。
 
言いたいことは、わかってもらえたかな。大人みたいな説教はしたくなんだけれど、経験者としてその「おぞましさ」は知っておいて欲しいと思う。
 
とりあえず出かけよう。外に出れば、光は差す。
 
 
 
 
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