もみじろぐ

とある男の、心のほんの一部

Are you コミュ障?

昨今、「自己紹介に必ず挟まなきゃいけないフレーズなのか」と思えるほど頻繁に使われる単語、コミュ障。

 
今回はこのコミュ障について、言いたいこと。
 
 
 

コミュ障ってなんだよ

コミュ障(こみゅしょう)とは、コミュニケーション障害の略である。日本民病の1つであり、他人との他もない雑談が非常に苦痛であったり、とても苦手な人のことである。
 
 

俺はたぶんコミュ障じゃない

たぶん、俺がコミュ障を名乗ったら、「てめぇ何を言ってやがる」と非難が殺到すること請け合いだ。
 
だから下手な謙遜はやめて、認めよう。たぶん、俺はコミュ障ではない。元コミュ障なのは間違いないんだけどなぁ。
 
最近の話をするなら、一年前、浪人の1年間は本物のぼっちだった。リアルで誰とも会話しなかった。たぶんなんか最初の声かけの勇気がなくて、そのまま時間だけが流れてしまったんだと思う。
 
とはいえ、まぁ昔から家に帰ってきては「今日は○○なことがあってね」みたいな話をしたがる子供だったし、話すことは大好きだ。
 
いろんな人と言葉を交わすってのが楽しいし、自分では生じえないような情報を得られるってのがワクワクするんだよね。
 
 
 

コミュ障には言ってはいけないこと

例えば、コミュ障経験がない人がいたとしよう。その人はコミュ障に対して、きっとこう言う。
 
「会話なんてノリだよノリ」
 
いや、みんなこんな言い方するとは言ってないよ。でもなんていうのかな、「そんなの簡単だから余裕余裕」みたいなニュアンスを含んだ言葉を投げかける気がする。
 
これは、コミュ障に一番言ってはいけないこと。
 
それは、頑張る力を失っている人に「頑張れ」と言うようなものだから。
 
それは本質的な解決には何もなってないし、コミュ障側に「お前とは違うんだよ」っていう不満を抱かせてしまう。
 
まぁこれはコミュ障に限った話じゃないんだ。「持つ者」から「持たざる者」への提言ってのはホントに軋轢(あつれき)を生みやすいから、気を付けないといけない。
 
 
 

救いはあるのか

コミュ障に救いは…あるよ。
 
でも、まず最初に、キツイことを言っておく。
 
現実ってやつは、自分から動けない人に厳しく、冷たく、残酷だ。
 
説教したいわけじゃない。でも、事実。
 
俺は、コミュ障をコミュ障足らしめているのは「一歩目を踏み出す勇気のなさ」だと思ってる。だから、コミュ障を克服したいなら必要なのは「勇気」なんだ。
 
面と向かって声をかけるってのは、大変だと思う。だから、個人的にオススメするのはネットで知り合いを作ること。実際にぼっちだった俺が実践した方法もこれ。
 
俺がネットをオススメする一番の理由は、主にコミュニケーションをするのが文面だから。こうしてブログなんてものをやっていると痛切に感じることなんだけど、言いたいことを文章にするってのは結構大変なんだ。
 
だから、文面でのコミュニケーションはそういった文章力を磨くことができると思う。肉声を交えた会話よりもニュアンスが伝わりにくいゆえ、「なんとか伝えよう」っていろいろな言葉や表現にチャレンジする。それが尊いんだ。
 
ただ、文章力だけではまだ足りない。というか、いくら文章力が高かろうと「他人との他愛もない会話」をそつなくこなす能力があるとは言い切れない。
 
なぜなら「他愛もない会話」に必要なのは「中身」以上に「会話を途切れさせない技術」だからだ。
 
「会話を途切れさせない技術」を具体的にいえば質問や相槌、スムーズな話題転換能力だ。「話題を広げる能力」や「相手にもっと話させる能力」といってもいいかも知れない。
 
残念ながら、こればっかりは方法論はない。仮にあったとしてもそれをマニュアルのように実行しても不自然さが生じる気がする。
 
 
 
「じゃあどうしろっていうんだ。結局慣れるしかないってことかよ」
慣れなきゃいけないのは事実だが、最初の一歩で苦しんでる人に「慣れろ」ってのはいささか乱暴な解決策だ。だから俺はこう提案する。
 
 
「会話を好きになれ」
 
「好きこそ物の上手なれ」という。人間苦手意識を持ってしまうとモチベーションを保つのは困難だ。ゆえに、好きになることからだ。
 
好きになるには会話の楽しさを知る必要がある。ここで有用なのがネット。
 
ネットをオススメする第二の理由は、いろんな人がいるから。そしてその中にはきっと自分が「もっと話したい」と思える人が現れるから。
 
「もっと話したい」という思いは会話の楽しさを知る兆しだ。だから、その感覚を大事にして、勇気を出して飛び込んで欲しいと思う。
 
 
 
大丈夫だよ。君の話を聞いてくれる人はきっといる。
 
「ずっと一人でいい」なんて悲しい強がりはしないでよ。現実は動けない人に冷たいけど、少しでも動いたものには、何かを与えてくれる。