もみじろぐ

とある男の、心のほんの一部

行間を読む

どうも、もみじです。
三日坊主は免れました。


昨日の記事ですが、朝に慌てて書いたのであとで見ると「もう少し行間を空けておいたほうが良かったかなー」と微妙に後悔しています。
でも訂正するのは面倒だからしない(笑)




そういえば行間といえば【行間を読む】という慣用句がありますね。

この言葉、もみじの中学時代から愛用している広辞苑(電子辞書)によると{文字面に現れていない筆者の真意などをくみとる}ことらしいです。

ここで言う’行間’とは単純に行と行の間というより、それらの行には明記されてないが文脈などから推測されうる背景や筆者の真意が存在すると仮定された場所、と捉えるのが妥当でしょう。


他に【行間ににじみ出る思い】みたいなフレーズもありますよね。





【行間を読む】というのは見えないものを感じ取るという意味では【空気を読む】の文章バージョンと言ってもいいかもしれませんね。


しかし僕が思うにこの2つは見えないものを感じ取るための情報の量に違いがあります。
【空気を読む】場合は例えば人とのコミュニケーションにおいては相手の口調や表情、周囲の環境など様々な情報があります。しかし【行間を読む】場合は文脈意外に情報がありません。おそらく【空気を読む】より難易度は高いのではないでしょうか。というかそもそも【行間を読む】ことを現実で強いられる場面はほとんどありえないと思います。あくまで十分条件で必要条件ではないはず。もし必要とされてしまうならそれは文章の書き手の説明不足と言ってもいいかもしれません。


僕より丁寧な解説を書いている方が知恵袋にいました。↓
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1443092114




また【行間を読む】と【空気を読む】というのは混同されている場合があるようです。また現実においての会話の間(ま)のこと(文章で表すと’……’のような)を表しているとの解釈もあるようです。
参考までに↓


http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1469634849;_ylt=A3xTwsZQuhpTQjQAg71zAPR7?fr=rcmd_chie_detail





我ながら難しい話題になって微妙に混乱と後悔をしているもみじでした。
本日はこれにて。