もみじろぐ

とある男の、心のほんの一部

最近ゲームが全然楽しくない

全国のゲーマーさん、特にソロプレイ大好きな方、先に心から謝罪させていただきます。この記事はゲームを貶めるものでもなければ、ソロプレイな人を遠回しに批判する記事でもございません。
 
 
一見、ネガティブな記事っぽくしてるけど、実は明るい話です。タイトル詐欺です。炎上商法です。ごめんなさい。
 
 
 
楽しくないってのは言い過ぎで、単純に凄い飽きっぽくなってるのと、そもそもあまり自主的にやる気にならない。
 
勘違いしないで欲しいのは、誰かしらに「ねぇこのゲームやろうぜ」って誘われたら全力でやる。その人といる間はたぶん飽きずに目を輝かせてる自信がある。
 
 
つまり簡単に言うと、「誰かと一緒にゲームを通じて楽しさを共有する」って状況がなければ、今の俺はゲームに対してモチベを出せる自信がない。1人で周囲に誰もやってないゲームを黙々と進める気力が全然起こらない。
 
以前はそんなことなかった。むしろ1人でも楽しく、といってもやっぱり飽きつつ惰性でやってる部分もあったけど、今はその惰性でやる気力すら起きない。
 
 
 
なんでかって、それは凄い自分の中でピンとくる出来事がこないだあった。
 
 
元々、ゲームに関しての考え方で彼女と大喧嘩するほど、ゲームに対しての異常な執着があった。ゲームを否定する人間だけ、妙に腹が立った。
 
 
その執着の根源は、親父によって植えこまれたトラウマだった。
 
 
ところがだ。
 
先日親父が帰省してきてうちに泊まることがあった。
 
その夜、二人で人生について語り明かしてすっかり目が冴えてしまって寝れずにいたところ、親父が言ったのだ。
 
「ゲームしようぜ」
 
耳を疑った。
 
 
結果的には、俺がWiiUで遊んでいるのを親父が眺めていただけの時間だった。
 
でもその時間が心から幸せだった。
 
 
親父が興味津津にゲームについて聞いてくれた、見てくれた、誘ってくれた。その事実だけで十分だった。
 
親父も操作したがっていたが、親父にとってはあまりにも複雑な操作で見る方に専念したかったらしい。どうせなら二人で操作したかったが、それでも興味を持ってくれただけでこの上なく嬉しかった。
 
 
心の奥にあった膿みたいなものが、スッと溶けて消えていくのを感じた。
 
 
「あぁなんだ、俺、家族と一緒にゲームの楽しさを共有したかった、ほんとにそれだけなんだ」
 
 
 
 
その出来事でたぶん、俺はいろいろ満足してしまったんだと思う。
 
 
 
そして思ったのが、ゲームの存在意義って、こういうことなんだろうなって。
 
つまり、ゲームって「誰かと同じルールの中で何かをこなす楽しさを共有するためのもの」なんだって。それは試合をゲームと呼ぶようにスポーツと似てる。もちろんトランプとかボードゲームとかもそう。
 
いわゆるテレビゲームはその共有している部分をより視覚的に鮮やかにしただけのものなんだ。
 
それは確かに視覚に負担をかけるものだし、その他のゲームより夢中にさせてしまう要素が強いのも確かだ。その部分だけにスポットライトをあてて批判的になる人もたくさんいる。
 
 
でもその本質は「人を楽しさで繋げてくれるもの」でしかないということに気付いたんだ。
 
 
 
俺はゲームをしたかったんじゃなくて、ゲームをして人と繋がりたかったんだ。
 
 
 
一番繋がりたかった人と少し繋がれたから、しばらくはゲームがなくても大丈夫みたい。
 
もちろん誰かがうちに遊びに来たときにゲームするのは大歓迎だけど。むしろ俺が誰よりも楽しんじゃうけど。
 
 
 
あっあと、ポケモンの最新作だけは楽しみ。
 
買ったらすぐ飽きちゃうんだろうけど、でもやっぱり初めてプレイしたゲームには思い入れあるし、新しいポケモンとか冒険とかには相変わらずワクワクしちゃうんだよね。